第3話

 由井正雪ら浪人軍は衡陽の外れの方に布陣するよう指示をされた。


「ここは…また、随分と外れの方でありますね」


 正雪は十兵衛と顔を見合わせ、苦笑せざるをえない。


「味方であるのかどうかという猜疑の念があるのだろう」


「仕方ないところでしょうね」


 逆の立場ならどうするかとなると、やはり重要な場所には布陣させられない。この場は受け入れるしかなかった。


「物事は良い方に考えましょう。ここから李定国の采配が見られるというのがあります」


 正雪は小高いところに移動して、李定国の布陣を確認した。本隊は衡陽の北に布陣している。その数は四万ほどか。


「合計で八万の軍を動員しているという風には聞いております」


 通訳が横で解説をする。


「ふむ。ということは、あの山間にでも潜んでいるのだろうか」


 清は更に北にある湘譚しょうたんに布陣しているという。そこから南に向かう途中で、衡山こうざんの近くを通る。その付近に伏兵をしかけて決着をつけるつもりのように見えた。


「清は二十万の兵を動員しているといいます」


「さすがに多いのう」


 日本では考えられない規模の軍勢である。しかも、それが最大でないというのであるから、正雪にも容易に想像ができない。


「総大将はニカンと聞いております」


「ニカン?」


敬謹親王けいきんしんのう家の御曹司です。清王朝の原点ともいえるヌルハチから見て曽孫にあたります」


「徳川で言うなら親藩ということか。さすがに内陸に関しては清も優秀な者を総大将に据えているのだな」


 そのニカンの軍勢についてはまだ視界には入ってこない。


「我々も衡山に布陣したいところだがのう…」


 あの場所であれば、両軍の配置も戦い方もよく見える。


「ならば、そなただけ通訳をつれて行ってくるか?」


 柳生十兵衛が口にする。


「ここであれば、さしたる戦いにもならないだろう。両軍に分からないようにのんびりと観戦しても良いのではないか?」


 十兵衛の提案に、通訳が「冗談じゃない」という顔をする。わざわざ激戦になりそうな場所に近づいて、何かあったらどうするつもりだ、そう言わんばかりだ。


「そうですね。十兵衛殿、お言葉に甘えさせてもらってもよろしいでしょうか?」


「えぇっ!?」


 通訳が驚くそばで、十兵衛は頷いている。


「それでは、しばし失礼をいたします。行くぞ」


 正雪は、哀れな通訳を一人連れて、北の方へと向かうのであった。



 五里ほど北に向かうと、すぐに衡山へと着いた。


「そう不平を申すな。二人で戦うわけではないのだ。目立たないところに移動するのだから」


 正雪はそう言い、山の中で隠れられそうな場所を探す。


「お、あそこが良いのではないか。街道がよく見えるし、逆に街道から向かうことは難しそうだ」


 山が崩れたのであろうか、切り立った場所を見つけ、その上側へと正雪は歩いていく。


「しかし、日本の皆さんは足腰が強いですね…」


 通訳がへえへえと情けない息をしながら、呆れたように語り掛けてくる。


「そうか? まあ、毎日修練しているからのう」


 南澳や厦門に来てからも、早朝の鍛錬は欠かさずにやっていた。そうした地道な鍛錬が差となって出ているのかもしれない。


 程なく、目的の場所に移動し、木陰に隠れると街道の様子がはっきりと見える。


「これはいい。恐らくこの付近が戦場になるだろうし、両方の移動の様子がよく見えるであろう」


「…一体、どういう戦いになるんでしょうね?」


「そうじゃのう。俺なら、一隊を進ませて少し戦わせて撤退する。相手は親藩の王が出てきているという以上、戦意は相当に高いだろう。追いかけてくるはずだ。そのうえで、この山の近辺に伏兵を仕掛けておいて、包囲するような戦いができれば一番良いのではないか?」


 通訳に話すと、彼がそれを実際に通訳している。誰かに説明しているのか、と考えた正雪は一瞬を置いてハッとなる。


 誰もいないはずの場所に来たはずなのに、誰に説明をしているのだ?


 振り返ると、通訳はそばにはいなかった。数町ほど離れた場所にいる。その傍らにいる男には見覚えがあった。


「これは、これは李将軍、こんなところで会うとは奇遇でございますな…」


 訝しむような李定国に対して、正雪は笑みを浮かべた。

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