第七章 李定国

第1話

 李定国り ていこくはこの年、32歳。


 李定国の経歴は複雑である。僅か十歳で張献忠ちょう けんちゅうの幕下に入り、当初は明に対する反乱軍に身を投じていた。その後、張献忠の躍進とともにその立場を上げて行き、張献忠が大西国皇帝となると、安西将軍に任命された。


 張献忠は四川を占拠し、一時期は東にも領土を広げて威をなしたが、明に代わった清が攻撃をしてくると次第に押されるようになってきた。また、内訌も激しく、屠川とせんと呼ばれるほどの大虐殺を行うなどして基盤を失い、順治三年(1646年)に戦死した。


 李定国はその後、同じ立場で年上の孫可望そん かぼうと行動を共にしていたが、富貴や肩書を望む孫の方針と次第に対立するようになっていった。


 結局、孫可望が永暦帝の保護に回り、李定国は軍を率いて雲南、貴州を中心に活動するようになる。そうした中で、孔有徳を敗死させ、更に東へと進もうとしていた。



 永暦六年(1652年)十一月、李定国の軍は長沙ちょうさから衡陽こうようへと向かおうとしていた。湖南第二の都市であり、この場所を奪えば、桂林との連携もつながるようになり、広州がほぼ孤立することになる。


 もっとも、この間も李定国の孫可望に対する不満は尽きない。戻ってくるようにという命令が頻繁に届いていたからである。その裏に「これ以上、李定国に手柄を立てられたくない」という孫可望の妬みがあるのは明白であった。


 実際、孔有徳を敗死させて以降、李定国の評判はうなぎのぼりであった。李定国の軍は規律もしっかりしており、民衆に迷惑をかけることがないことも相まって明の第一の将軍という評判すら立つようになっている。


 孫可望が妬むこと自体はやむをえないが、李定国には迷惑この上ない話である。


「今こそ、全軍をあげて戦おうという時であるのに」


 とはいえ、不満をあげる以上のことができないというのもまた現実である。よしんば孫可望を排斥したとして、その後が良くなるという見込はない。むしろ酷くなるに違いなかった。李定国も永暦帝の宮廷に出入りしたことはあったが、その時に居並ぶ者達の質の低さに辟易したこともある。


(あの連中と比べれば、孫可望は同僚ではあるし、最低限の話は通じるからなあ…)


 おまけに孫可望がいなくなれば、永暦帝の面倒まで見なければいけなくなり、身動きが取れなくなってしまうのも確かである。


 李定国は結局、「清軍の攻撃が激しいこと」、「新手が送り込まれているので落ち着く暇もないこと」などを挙げて、兵糧物資などの支援を要請する返事を送る。


 もっとも、それが容れられる可能性が低いとも思っていた。何せ孫可望も、いや、永暦帝周辺が全員、皇帝の所在地にふさわしい建物を作ろうとしているという話を聞いていたからである。



 李定国が衡陽に向かっているらしいという話を聞き集め、正雪達は桂林けいりんから北東に進んでいた。李定国が連戦連勝ということで、清軍は街道を出歩くことを恐れてしまっているらしく、近くに展開されている部隊はいないらしい。それで完全に安心しているわけではないが、事実、街道を歩いていても敵対する者はいない。むしろ、李定国の下にはせ参じようとしている者が多い。


「しかし、李定国と合流できても、果たして向こうが会ってくれるかどうか」


 という疑問が浪人達から上がる。


「それは心配いらん。国姓爺からの手紙や一部の献上品は持ってきている。さすがに全部は持ち運べないが、船には残されてあるから、後ほど送ることは可能だ。とにかく、まずは合流せぬことには何も始まらぬ」


 正雪がこぼす通り、未知の場所をひたすら進むという不安の方が遥かに大きい。


「十兵衛殿、それがし、かつては海に関しては何も思わなかったのでござるが、ここ数日、一日でも早く終わらせて早く海に戻りたいと思うようになりました」


 正雪の言葉に、十兵衛も笑う。


「拙者もそう思うようになった。習慣というのは怖いのう」


 ともあれ、千五百人の浪人は桂林まで移動し、そこから湘江を上っていき衡陽を目指していた。



 衡陽の近くまでたどりつくと、既に城壁の周囲には李定国の部隊の旗が翻っていた。


「どうにか、たどりつくことができたようじゃのう」


 一同安堵の声を漏らして、早速、陣地に向かい、李定国への面会を求めた。


「…福建の国姓爺からの…?」


 兵士達もあまりに唐突な名前に驚いたが、ひとまず報告をする必要があると感じたらしい。陣の中へと入っていく。


 待つ間、一同は周囲の陣営を見渡していた。


「福建とは大分様相の異なる軍隊じゃのう」


 十兵衛の言葉に正雪も頷く。実際、服装はもちろん顔の造形もかなり異なる者達が多くいる。かなり雑多な混成軍らしいということが伺えた。


「しかし、李定国の軍は、決して無用な殺戮をしたり、略奪をしたり、狼藉を働くことがないという風に聞いております。これだけ雑多な軍をまとめあげるというのは、相当なものでございましょう」


 目的を共にする同士であることはもちろんであるが、単純にどういう人物なのか会ってみたいとも思うようになっていた。

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