第10話

 海南島との海峡を抜け、船は欽州に近づいていく。


「果たしてどの程度の兵がいることやら」


 欽州の守備兵の情報は全くない。広州から大分離れているうえに、南寧から近いこともあり大軍は置けないはずであるが、仮に一万でも置いていたとしても浪人軍の五倍以上となる。


「より西に行きたいところですが、そうすると鄭主側の領土と近くなります」


「分かっている。余計なもめごとは起こしたくない。街の近くで降りて、徒歩で欽州を目指そう」


「それがよろしいかと思います」


 その日の夜のうちに、船は欽州の港の東側付近の陸地に近づいた。浅瀬のギリギリまで近づいたところで縄を下ろし、一人一人降りていく。


 船員以外の全員と通訳となる者数名を下ろす。


「十日後、再びここに参ります。ご武運を」


「うむ。よろしく頼む」


 船から降り、正雪ら一行は海岸沿いに街を目指した。


 近づいて斥候を放ったところ、欽州にはほぼ軍勢がいないということが分かった。


 それには安堵した正雪らであるが、続く一報には驚きを受ける。


「永暦帝は既に南寧を出て、西に向かおうと考えているらしい」


 というのである。


 しかも、現在は南寧から100里ほど離れた安竜にいるという。



 さすがの正雪も、これには唖然となる。


「何故だ? 今が一番の好機ではないか」


 清の中央政府はドルゴンの死後、まだ混迷しており、南の方に集中して対応できていない。その状況を突いて李定国が孔有徳を討ち取ったという。今が最大の好機であるはずなのに、何故積極的に打って出ようとしないのか。


(皇帝のそばにいる文人どもが、危険を冒そうとしないということか)


 施琅や甘輝らから、鄭氏が以前抱えていた隆武帝などのひどさについては聞いていたし、明末の堕落ぶりは日本にいた時から知っていたことである。その悪弊が今また出てきたということであろうか。


(いっそのこと、国姓爺が国を名乗ってしまってもいいのではないか)


 そういう怒りも湧いてくる。とはいえ、明があることを前提に優先順位を変えさせることはできても、明を捨てろと鄭成功を説得するのは不可能に近い。


「とはいえ、南寧から100里も離れたところにいるとなると、とてもではないが、人を派遣できぬ」


 全く見ず知らずの場所で100里を移動するのは不可能である。しかも、沖合に待たせてある船は十日後に戻ってくる。


 それだけなら船の待機期間を伸ばしてもらうことで対処はできるが、これだけ消極的な態度をとっているとなると、永暦帝を厦門に連れてこられるかどうかも疑わしくなってきた。鄭成功は片親が日本人ということもあって、正雪らに親近感を有していたが、永暦帝やその取り巻きにそうしたことを期待するのも難しい。


「…皇帝一味を福建に連れてくるのは無理だろう」


 しばらくの思案の後、柳生十兵衛が語る。


「はい。私もそう思いました」


「皇帝と連絡が取りやすい人物と話をつけた方が賢明ということになる」


「…李定国ですか」


 雲南・貴州を中心に戦っている李定国ならば、少なくとも皇帝との文書のやりとりはしているであろう。


 とはいえ、李定国は孔有徳に勝利した余勢を買って湖南に向かっているという。欽州から湖南までとなると、安竜に行くよりも遥かに遠い。


「…李定国に会うか、何も得ずに厦門に戻るかのいずれかということになる」


「そうですね」


「李定国の大勝により、清もさすがに本腰を入れる可能性がある。動けるのなら、今しかない」


「分かりました。しかし、一旦動き出した話が振り出しに戻るというのは非常に心苦しいものがあります」


「どうしようもないことだ。諦めるしかない」


 浪人達の軍は欽州の街で改めて地図を取得すると、湖南の地図を見る。


「李定国と我々で広州を攻め落とせば、連絡がつけやすくなるが…」


 しかし、正雪の中に漠然とした不安もよぎる。


 そうやって得た戦功を、永暦帝は有効に使うことができるのであろうか。取り巻きらによって、無に帰してしまうのではないだろうか、とも。


(いや、それを今考えていても詮無き事。まずは李定国と合流することだ)


 何とか考えを切り替えるしかなかった。

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