第9話
鄭成功の軍が広州に向かうという情報は、当然、広東にいる
この時、呉三桂は雲南にあり、両者の連携はうまく取れていない。もっとも、李定国と鄭成功の間もうまく連絡が取れているとは言えないので、両者の作戦は五里霧中なところもあった。
広州までたどりついた施琅は海上から城内に降伏を呼びかける。
「孔有徳は死んだというではないか! お前達も生を全うすることで、道も正すべきではないか!?」
城内からは芳しい反応はないが、それは施琅も想定済みである。海上からの呼びかけは、あくまで自分達がここにいるという偽装に過ぎない。その間に二隻の船に千五百人の浪人達を移して、更に西へと派遣させていた。
「お前達こそ、鄭成功のような若造に軽く扱われていて、自尊心はないのか?」
広州の城内から逆に罵声が飛んでくる。あながち嘘でもないので施琅は船上で苦笑を浮かべた。
すぐに兵士達にやり返させる。
「馬鹿めが! 我々には遠くから援軍も来ておるのだ! お前達も厦門や梅州での話は知っているだろう?」
そう呼びかけて、残っている浪人から誰かを連れてくるようにと指示を出した。彼らが連れてきたのは戸次庄左衛門である。
「そなたも城内に向けて、降伏するように呼びかけてくれ」
通訳を介して説明させる。庄左衛門がけげんな声をあげる。
「わしが言っても、相手には伝わらんのではないか? 何故、わしが降伏を呼びかける必要があるのだ?」
「降伏の呼びかけ自体に意味はない。あくまで敵に日本からの浪人がここにいるのだと示したいだけなのだ」
そうすることで、欽州に向かった正雪ら別動隊への警戒が緩むはずなのであるから。
「…分からんのう?」
「…とにかく、多くの者が呼びかけることで相手もより恐れおののくゆえ…」
中々納得しない庄左衛門に、施琅は呆れながら頼み込む。
(正雪殿ももう少し物わかりのいい責任者を置いていってくれればいいものを…)
既に西に行ってしまった正雪らに対して、施琅は恨み言をつぶやく。
「…よくは分からぬが、そこまで言うのであれば呼びかけてみよう」
そう言って船上の目立つところに立つと。
「清の愚か者どもよ! あ! 我々に仕えることを、お勧めいたそう!」
と大袈裟に見栄を切ってみせる。
城内が「何だ、あいつは?」とどよめく様を見て施琅は「まあ、いいか」と溜息をついた。
その間、正雪らを乗せた船は夕暮れから夜にかけて沿岸を進み、昼間は少し沖に出て待機していた。
「海南島との海峡を通るのが非常に警戒しなければなりません」
船長が語るように、海南島と大陸の間は極めて狭くなっている。さすがに夜間に通ることは困難であるので、昼に通過するしかないが、島の側には監視がついており、抜けることは難しい。
「こっそり抜けるのが不可能である以上、賄賂を渡して、あくまで商業船だということを主張してはみますが、うまくいくという保証はございません」
「分かっておる」
正雪は十兵衛やその他を見渡した。一同大きく頷く。
いざという時は、戦うしかない。
船は次第に海南島に近づいていく。浪人らは船の下の方に潜み、上には施琅の配下ら数十人が残った。正雪も船員のふりをして、こまごまと動いて様子を見る。
船はそのまま海口の港に入る。船長が船上から呼びかけた。
「福建からの船なんだがね! このまま欽州に寄って、陽京(ヴェトナム北部の街。現在のハイフォン市)に行きたいんだが!」
「福建から? 何でこんなところまで来るんだ?」
「言わなくたって分かるだろう? 国姓爺様が広州を攻めるから、このあたりの物資が欲しいんだよ。と言っても、売り買いしようと思っているのは単なる魚なんだけどね、臨検してくれよ」
船長の指示で船員が大きな箱のようなものを港に持っておりた。港にいる兵士達が「中身を改めさせてもらう!」と大仰に言い、箱を開いた。金貨や銀貨が詰まっている。
「…分かった! ただ、この魚は傷んでいるな。これは没収するぞ!」
「ああ、何とでもしてくれ!」
「気をつけろよ!」
「おうとも!」
船長と港の担当者との話し合いの全てが分かるわけではないが、通行を認めてもらったらしいことは態度で分かった。
港が小さくなって見えなくなるころ、正雪は溜息をついて、船長に話しかける。
「かたじけない」
「いえいえ、うまく行って良かったです」
船は最大の難関を切り抜け、北西に進路をとり、欽州を目指す。
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