第7話

 中国・厦門。


 西に向かった半兵衛らが未だ海上にある頃、由井正雪は既にこの地に戻り、状況の報告をしていた。


「オランダ側は台湾からの船をいつでも送ることができると言っていますが、具体的な行動については一年くらい様子を見ようということになりました」


「なるほど。つまり…」


 鄭成功は西の方を向く。


「一年以内に、何とか陛下と合流をしなければならないわけですね」


 朝貢の使節を送れるとはいっても、現在、その送る相手との連絡が取れていない。


 永暦帝は広西・南寧なんねいの地にあって、鄭成功らがいるのは福建である。


「南寧に向かうためには少なくとも広州を落とす必要がありますが…」


 その広州を攻めるとなると孔有徳こう ゆうとくをどうにかしなければならない。福建にいる面々は科挙に受かっただけの軍人経験の浅い者達ばかりであるが、広州の孔有徳や雲南の呉三桂らは歴戦の指揮官であり、容易に相手ができない。


「しかも、我々が広州方面に向かうとなると、清も一か所に兵を絞れるようになります」


 現在、永暦帝と李定国が雲南から貴州にかけて活動しており、福建で鄭成功が活動をしている。そのため、清も兵力を二手に分ける必要があった。


 鄭成功が広州に合流すると、味方の兵力も増えるが、清も兵力を一か所に集中できる。そうなると、保有兵力の差としては明の側が圧倒的に不利である。


「一年待って、オランダ側にも支援してもらうというのは?」


 甘輝の提案を、鄭成功は「待てぬ」と一蹴した。剛毅で性急な面は相変わらずである。


「それに我々がある程度清の主力とも戦えることを証明しない限り、オランダも艦船までは出さないでしょう」


「つくづく隆武帝りゅうぶていが愚かであったことが悔やまれますのう」


 甘輝の言葉に、鄭成功が睨みつけるような視線を向けた。


 隆武帝は、鄭芝龍らによって建てられた最初の明の皇帝であり、鄭成功に皇族の姓である「朱」を与えた人物でもある。そのため、鄭成功にとってはある種の恩人とも言える存在であった。


 しかし、総合して見れば部下を掌握する才能も、天下に向けての展望もなく、一年余りの後、無謀な出兵を企てて清に捕らえられ、福州で処刑されてしまったのである。絶食して自害したという説もある。


 仮に隆武帝に我慢があれば、今頃朝廷はこちらにあり、オランダとの連絡も容易だったはずである。


「今更それを言っても始まりますまい」


 全体としての方向性は定まったが、どうにかして広州を落とさなければならないという状況が出てきたのである。孔有徳の名望を考えれば容易なことではない。


 厦門の面々はそう考えていたのであるが、そんなところで突然の吉報が飛び込んできた。



 孔有徳が李定国りていこくに敗れて、戦死したというのである。



「真か…?」


 鄭成功が唖然とした様子で、読み終えた手紙を眺めている。正雪もさすがに唖然となった。



 手紙によると、孔有徳は永暦帝を捕らえんとばかりに軍勢を起こし、貴州まで侵攻したのであるが、かえって李定国の反撃を受けてしまい、大敗を喫してしまった。李定国の軍はそのまま孔有徳を追撃し、彼が逃げ延びた桂林まで包囲したのである。


 孔有徳は「今はこれまで」と自害をし、その軍も大きく損なわれたという話であった。



「これぞ天祐! 今こそ、陛下と連絡を取るための軍を派遣せねば!」


 鄭成功が勇み出る。


「ただ、福建を全くの空にするわけにもいかないでしょう」


 甘輝が言う。鄭成功の性格なら全軍総出で出ていきかねないが、それをされて厦門などを奪われてしまっては本末転倒である。


「私も同感です。国姓爺には清の本軍を引き付けるため、こちらに残っていただく方がいいと思います。ですので、ここは施琅殿の艦隊に、我々浪人軍が向かいます」


 正雪の言葉に鄭成功が目を見張る。


「由井先生が動いていただくと?」


「清軍は、我々のような存在がいることを察知しているとは思いますが、まだ正体を掴めていないと思います。我々が向かう方が得でありましょう」


「分かりました。何卒よろしくお願い申し上げます」


 鄭成功はその場に平伏せんばかりの勢いで、正雪に頭を下げた。



 その日から急いで編成が行われ、施琅が指揮する三万ほどの水軍がすぐに編成された。ここに浪人達八千が乗り込み、合計四万近い軍が秋の頃に厦門を出発した。


 目指すは広州、そして永暦帝のいる南寧である。

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