第6話

 モーリシャスを出た船は、その後、ケープタウンへとたどりついた。


 この年、ヤン・ファン・リーベックがこの地に中継貿易のための拠点地を作ることとし、その建設を進めていたのである。


「オランダは、どこにでも拠点があるのだのう」


 半兵衛も玄謙も感心したかのようにまだ建設途中の拠点を眺める。


「おお、日本人とは珍しい」


 不意に日本語で声をかけられた。振り返ると、責任者らしい男が近づいてきていた。


「ヤン・ファン・リーベックという」


「金井半兵衛と申す。その日本語は?」


「ああ、10年前に出島の方に赴任していて、な。その時に日本語を覚えた」


 半兵衛と玄謙は顔を見合わせた。日本語が分かる人間が、日本以外の場所で働いているという事実に、少なくない驚きを抱く。


「日本に来て、オランダに戻って、今度はアフリカですか?」


「そうだ。東南アジアを回ったこともある」


「…となると、世界中の言葉を覚えているわけですね?」


「いや、さすがにそこまでは行かないとは思うが…」


 ファン・リーベックは自分の船の方に向かった。そこで果物のようなものを取り出し、二人に渡す。


「航海はまだ長い。壊血病などにならないよう、果物などは用意しておいた方がいいですぞ」


「それはそうですね」


 ここまでの旅だけでも長い。来るまでの間にも「運が悪いとサイクロンなる暴風に

襲われるかもしれない」だの、「イングランドやポルトガルの船がうろついている」だの、色々なことを言われてきた。幸いにもそうした目には遭ってきていないが。


「この後も、また赤道近辺の暑い場所を通るし、ポルトガル船団などと出くわすかもしれぬ。ヨーロッパについたとしても、現在は英国との間に一悶着を抱えていて、スコットランド沿いを回っていかなければならない」


 ファン・リーベックからもまた物騒なことを告げられ、不安を抱きつつもケープタウンを後にした。




 幸い、日本人達は幸運に恵まれていたらしい。その後も何の問題も起きることがなく順調に航海が続いた。


 しかし、その間、別の形でも一悶着はあった。暦である。


「…ああ、そうか。日本は月の暦なのであったな」


 モーリシャスでも通訳をしてくれた船員が思い出したかのように言う。今は何月何日かと他愛もなく確認した時に、明らかにかけ離れた日にちを告げられて半兵衛が「そんな馬鹿な」と散々文句を言った末に判明したことであった。


 ここで二人は初めて、オランダをはじめヨーロッパでは、月ではなく太陽の暦で生活しているのだと知る。


「つまり、お互い間違っていたわけではなく、太陽の暦と、月の暦とで日付が違うということか。うーむ…」


 半兵衛は唸った。太陽の暦、月の暦などと言っているが、もちろん半兵衛はそんなことを知っていたわけではなく、二つあるということも初めて知ったのである。


「日本の暦だと、どうしても日数が短くなるから、閏月を入れたりするだろう? 太陽暦でも正確無比というわけではないが、そうしたものは非常に少なくて済む。日本もいずれはこちらの暦を使うことになるだろう」


「ふうむ…。閏月というのはそういう意味があったのか」




 暦などの問題、更にはマナーなどの違いもどうにか理解できるようになった頃、一行はヨーロッパへと入った。


「そのうち、リスボンなどに行くのも面白いかもしれない」


 ポルトガルの首都リスボン近辺を通った時に、船員が陸地の方を指さしながら言う。


「しかし、あの場所には日本語が分かる者はおらぬだろう?」


 半兵衛が質問した。長い航海を共にし、多少、オランダ語を理解できるようにはなってきたが、あくまで「多少」であり、見ず知らずのオランダ人と会話ができるとはとても思えない。ましてや、ポルトガル人であれば更に言葉が変わることになる。


「ただ、以前、日本からの使節がポルトガルに行っていたと思うけれどな。あ、いや、あれはイスパニアだったか…」


「伊達様が送っていた船がありましたね」


 玄謙が答える。


 伊達政宗が派遣した船は、スペインのセビリア付近にあるコリア・デル・リオに長く滞在しており、船団のうちの少なくない日本人がこの地に残った。そのため、現代にいたるまでこの地には日本を意味する”ハポン”姓の人間も多いと言われているが、もちろん、半兵衛らがそうした事情を知ることはない。



 ポルトガルの西側を通った船は、そこから北海へと出た。


 ドーバー海峡はイングランドによって封鎖されており、通ることができないとされていたのである。



 船はスコットランドの北を回り、ようやくオランダ・アムステルダムへと着いた。

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