第六章 東インド会社
第1話
二日後、金井半兵衛の使いは早くも厦門にたどりつき、正雪にゼーランディアでのことを伝えていた。
「何と、バタヴィアだけでなく、オランダの都アムステルダムに!?」
オランダ側の提案に正雪も驚きを禁じ得ない。横で聞いていた忠弥は「どれだけ遠いところなのだ?」という顔をしているし、シャクシャインは「オランダとは何なのだ?」と尋ねてくる。
「まさかそのような提案をしてくるとは。面白い、わしもできうるならオランダという場所を現地で確認したいと思っておったのだ」
「ま、待て、待て、待て」
乗り気になった正雪を忠弥が止める。
「お前は行きたいのかもしれないが、お前が遠くオランダまで行ってしまったら残された者はどうなる? お前が二年三年も不在だと現在の状況が大きく変わってしまうかもしれぬ。大友や伊達の遊びとは違うのだぞ」
大友や伊達の遊びというのは、天正年間と慶長年間に欧州に使節を派遣したことを言う。
天正年間の派遣は九州の諸大名、大友宗麟、有馬晴信、大村純忠らが中心となって四人の少年を派遣したというものである。四人の少年はローマ法王グレゴリウス13世とも会い、更に続くシクストゥス5世の戴冠式にも出席している。
しかし、この欧州に派遣されている間に、豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、更には徳川幕府の時代となり禁教令が厳しくなっていく中で、一人は棄教、一人は追放、一人は殉教という末路を迎えることになった (伊東マンショは本格的な禁教令が出る以前の1612年に病死した)。
慶長年間の遣欧使節は、伊達政宗が支倉常長をスペインやローマに派遣したことを言う。支倉はスペイン王フェリペ3世に謁見した後、ローマに向かい法皇パウロ5世とも面会をしている。
前者は八年、後者は七年という期間がかかっている。もちろん、留学や国交交渉という別の目的もあって向かっていたため最短ルートというわけではないが、行って戻るだけでも二年三年はかかることは明白であった。それだけの期間、正雪抜きで運営していける自信は浪人達にはない。
「加藤様も最近体調を崩されておるし、お前抜きではどうにもならぬ」
「…それでは半兵衛を行かせるか?」
「半兵衛ならまあ…」
忠弥はそれでも渋る。
「さすがにオランダまで行くのはないだろう。何とか断った方がよい」
「馬鹿者。俺達はオランダに行かなければならないのだ。派遣させる人選はともかくとして、断るなどもっての他だ」
正雪も厳しい剣幕で言い返す。
「オランダに行かなければならない? 何故だ?」
「俺達はオランダの組織というものを学ぶ必要がある。そのためには、オランダに行くのが一番いいのだ」
「組織…?」
「以前に言っただろう? 台湾、琉球、マカオ、ルソンなどにまたがるような勢力にしたいと。しかし、日ノ本にあるやり方ではダメだ。中国のやり方でも同じだ。一番理想に近いのは、オランダのやり方なのだ。だから、オランダに行かなければならないのだ」
「オランダのやり方を、真似するのか?」
「真似というのも簡単ではないだろう。オランダでは帳簿の計算から何から違うという。俺はやるからには本物を目指したいのだ。そのためには、やはりオランダの考え方というものを一から学ばねばならん。そのうえで、台湾なりルソンなりに組織を作り、広くアジア中から参加者を募るのだ」
「…アジア」
「そうだ。アユタヤやバタヴィアだってそうだ」
忠弥はしばし茫然と口を開いていた。しばらくして、溜息をつく。
「お前の考えることは正直よく分からないが、そこまで熱く語る以上は素晴らしいことなのだろうと思う。ただ、現実を見据えると少なくともお前がいなくなると浪人共をまとめることは非常に難しくなる。だから、お前がオランダに行くということは受け入れられん。これは俺だけでなく、国姓爺も柳生様も加藤様も同じだと思う」
「分かった。俺はバタヴィアで話をつければここに戻ることにする。ただ、オランダに派遣するのは誰でもいいというわけにはいかない。腕っぷしではなく、しっかりと考えられる奴を派遣する必要がある」
忠弥も頷いた。
「そうなると半兵衛は欠かせないだろうな。あとは…」
「若い者を中心に十名くらいを募るとしよう。おまえのところからも行くか?」
忠弥はシャクシャインに視線を向けた。
「まだ見ない国には行ってみたい連中も多いだろうが、我々はおまえ達と比べると暑さに弱いから難しいと思う…」
事実、シャクシャインと共に来たアイヌの壮丁のうち、少なくない者が厦門の暑さにやられている。
「確かにな…。いや、待てよ」
「何だ? 妙案でもあるのか?」
「妙案というわけではないが、いい方法はあるかもしれない。うん、そうだな。加藤殿と柳生殿に話をした後、俺は台湾で半兵衛と落ち合い、バタヴィアに向かうつもりだ」
「それでも半年くらいはいないわけだな。お主抜きで半年というのも不安だ」
「おいおい。情けないことを言うな。俺がいつ何時病気になるかもわからんのだぞ」
正雪は「しっかりしろよ」とばかりに忠弥の背中を二度、叩いた。
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