第9話

 ゼーランディア城の執務室。


 台湾総督の配下達が激しい剣幕で言い争いをしていた。


「だから入れ過ぎるとまずいと言ったんだ!」


「収支が未達だと文句を言っていたのはどこのどいつだ!?」


 諍いの原因は、ここ二、三か月の急激な情勢悪化である。台湾で働く福建人に渦巻く不穏な空気…オランダ人に対する反発が看過できない状況まで達していた。個々人の暴行事件は数知れず、昨年までなら居丈高に拷問道具をちらつかせれば委縮していた連中が「やれるものならやってみろ」とばかりに息巻いている。


 何かある度に数十人、下手すれば百人以上の人間が城まで押し寄せて抗議をするため、兵士も怖気づいてしまっていた。


 台湾にいるオランダ人は数が少ないため、労働力が足りないという問題点を抱えており、そのために福建からの移住を奨励していた。その通り増えたまでは良かったが、今度は使われている福建人が不満を抱え始めた。それを力で抑え込んでいたが、どうも限界点を超えてしまったらしい。



 こういう時のために原住民を懐柔していたはずなのだが、情勢が不穏になってからというもの「喧嘩はお前達の問題、我々はどちらの味方もしない」という態度に変化した。福建人に懐柔されてしまったのか、福建人の強盛さを見て自分達が巻き添えになることを恐れたのか、恐らくはその双方であろう。


 混乱に拍車をかけるがごとく、鄭成功が抱えている船団を厦門に集中させているという。狙いが台湾であるならば、オランダは内と外から同時に攻撃を受ける公算が大である。


 ひとまず急ぎバタヴィアに使節を送り、援軍を要請することにした。


 この使節は程なくバタヴィアに着いて台湾の現状を報告したが、オランダにとって苦しいのはバタヴィアにも十分な数の人間がいない。一部の艦隊を割いて送ることはできるが、限度を超えて送ってしまうと今度はバタヴィアが危険に晒されることとなり、下手をするとオランダの東インド経営全体の破綻へとつながることになる。オランダの重点としては、何よりもバタヴィアであり、そのうえでの台湾である。台湾のために全力を注力するわけにいかない。


 最悪の場合は、台湾の艦隊をバタヴィアに移すしかない。そうならないための方策を最後まで尽くす必要はあるが。



「あの日本人は何のために来たのだろう?」


 そんな中で、数か月前に来た日本人百人のことを思い出す者がいた。


「…彼らが来てから、福建人が生意気になっていったような気がする」


 一人が言う。


 オランダ人は資料や統計をしっかりとるので、「気がする」というだけでは動かない。すぐに資料室に行き、今年に入ってからの暴行事件などの累計を調べた。


「…日本人が来てすぐというわけではないが、次第に増えてはいる」


 日本人が来てすぐに爆発的に増えたわけではない。ここ最近で増加が著しい。直接的な因果関係があるかどうか、その証明は難しい。


「…穏当に尋ねてみるのがいいのではないか? 何だかんだと日本は国内では唯一我々と交易をしている。極端に悪感情は有していないだろう」


 という意見が出て、それが採用された。



 永暦六年(1652年)七月、金井半兵衛らの下にオランダ人からの出頭要請が来た。


「…大丈夫ですかな?」


 浪人達も台湾の情勢は感じ取っている。オランダ人がその状況と自分達を結びつけて考えていると想像するのが自然である。


 しかし、半兵衛は全く動じるところはない。


「何、仮にわしらを殺したとしても、困るのは向こうだろう。恐れるところはない。堂々と行けば良いのだ」


 既に台湾に来た時に一悶着は経験している。今になって急に敬遠するような態度を取ったのであれば、かえって疑いの種をまくに等しい。


 半兵衛は要請を受けるやすぐに加藤市右衛門だけを連れてゼーランディア城に向かった。「要請があったので参った」と二人で挨拶をすると、逆に入り口にいたオランダ兵が驚いている。


「わしらが二人だけで来たのが驚きのようだな」


 半兵衛は市右衛門に笑う。



 事実そうであった。


 不穏な状況であるから、危険を察して十人ほどは連れてくると考えていたのである。


 人数が多ければ、それを不穏として主導権を握ることができる。しかし、たった二人で来られたのではそれはできない。日本の浪人の強情さは入国時に既に理解しているところであるし、二人しかいない相手に必要以上に居丈高になるとオランダ側の弱みを見せることになってしまう。もちろん、拷問や殺傷などはありえない。それをきっかけに日本人と福建人が連合して攻めてくる事態すら招きかねない。


 半兵衛と市右衛門には、ワインが出された。


「何だ、この血のような飲み物は?」


「これはヨーロッパでよく飲まれるワインというものです」


「ほう?」


 半兵衛と市右衛門は互いに顔を見合わせた。


 力づくでは難しいので、酔わせて情報を得ようということであろうかと見当をつけたのである。


「昨今の街の状況はご存じであろう?」


 穏やかな様子で問いかけてくる。


「知っている」


「どうでしょう。我々に協力していただけないでしょうか?」


「協力?」


「日本の幕府とオランダは友好的な関係を築いております。ここ台湾でもより友好的な関係を築きたいと思います」

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