第5話
その三日後、郭懷一は厦門の街並みを歩いていた。
「このあたりが日本人地区か…」
金井半兵衛から、「協力できるかもしれないが自分の一存では無理だ。我々の軍師に会って話をしてくれ」というのでやってきたのである。
「ふむ…」
そのついでに厦門の街も歩き回る。
活気に関しては、少し薄れたように思えた。鄭芝龍が押さえていた頃は良くも悪くも享楽的であった。羽目を外す連中が多く諍いも絶えなかったが、代わりに底抜けの明るさがあった。
今は明るさのようなものは薄い。鄭成功が押さえているのであろう。代わりに、街の治安は保たれているようで静かである。
どちらが良くどちらが悪いと一概には言えない。しかし、少し寂しいなと郭懷一は思った。
そうこうしているうちに、日本人らしい男が歩いているのが見えた。その隣には郭懷一が見たこともない不可解な服装の者がいる。
「もし…、あっしは台湾の金井先生から由井先生への紹介状を預かってきたものですが…」
声をかけてみる。日本人の方が「おっ」と声をあげ、紹介状を見せてほしいと言う。渡して見ると、それを一読し。
「確かに半兵衛の字だな。よし、こちらへ来い」
と気楽な様子で案内した。付き従うと、街の中心ではなく外れの方に向かう。
「由井先生はこんなところに住んでいるんですかい?」
「ああ、いつ清軍が来るか分からんからな。いつでも対応できるようにしている」
「なるほど。由井先生は日本人らしく堅いお人なのですね」
「まあ、そうとも言えるな。しかし、そなたは随分と日本語が達者だな」
「へい。坊津あたりで…」
と、郭懷一は金井半兵衛にもした話を聞かせる。話しているうちに日本人が苦笑した。
「そいつはまずいな」
「何がまずいんです?」
「俺は長宗我部盛親の落胤ということになっているからな。本当に長宗我部盛親がいたら、でっち上げがバレるかもしれない」
そう言って、日本人は自分の名前が丸橋忠弥であると教えてくれた。
正雪の屋敷は奥にある非常に小さいものであった。
「正雪、入るぞ」
忠弥が外から挨拶して、そのまま中に入る。
小奇麗に整理された廊下である。奥に入ると、書棚のようなところに座っている小柄な男がいた。
「由井正雪です」
「あ、郭懷一です」
「これが半兵衛からの紹介状だ」
忠弥に渡された手紙を正雪は一読する。途中、「ほお」と声をあげた以外は静かな様子であった。
「なるほど…。台湾で福建人を組織して、オランダに反抗を…」
「それで正雪先生を紹介されました」
「…ただ、日本はオランダとは交易を認めております。それを浪人とはいえ、日本人が覆してしまうのはまずい」
「由井先生、駆け引きはやめにしましょうよ」
郭懷一が申し出る。元々、相手がただでやってくれるとは思っていない。何かしらの条件があるのであろう。それならそうと早く言ってもらいたい。
「…条件というのは、仮に手伝うとするならば、国姓爺の手で、となります」
「それは難しいでしょう」
郭懷一は即答した。
「金井先生も申しておりましたし、私も鄭成功のことは存じております。彼は今、明のことしか考えておりません。彼が清の前に、台湾のオランダをということはまずありえないでしょう」
正雪は平然とした様子で聞き流している。
「公算のある話なら、国姓爺を説得することはできます」
郭懷一は思わず「本当か?」と問いかけそうになった。
(一体どうやって?)
疑問はあるが、正雪が「できる」と言った以上は、できることを前提に答える必要がある。
「公算はあります」
「…承知しました」
正雪は立ち上がり、外に向かう。忠弥と付き添いの男も慌てて立ち上がり、正雪にどこに行くのか尋ねる。
「決まっておろう。国姓爺に会いに行くのだ」
正雪の答えに、郭懷一は耳を疑った。
(今から、すぐに?)
永暦六年、鄭成功は正月から長泰を攻撃するべく編成の準備に勤しんでいた。
忙しい時期ではあったが、正雪が面会を求めてきたとなると会わないわけにはいかない。諸事を甘輝に任せて執務室へと現れる。
正雪は、手短に郭懷一のことを説明した。鄭成功は一応聞いてはいるが、あまり乗り気なようには見えない。
「できましたら、今年中に台湾を取れればと思いますが、いかがでしょうか?」
「うむ。由井先生の申すことはもっともなれど、現在、我々の主敵は清なのであり、大きく手を広げるのは難しい状況がございます」
予想された答えが返ってきたが、正雪は微笑して再反論した。
「国姓爺、そうではありません。清に対抗するために、明のために、今、台湾を取った方がいいのです」
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