第3話
半兵衛は案内されるまま、プロビンティア城下の街の民家に連れていかれた。欧州風の建物が多い地区であるが、この建物は中華式の瓦葺のものである。
「こちらへ」
女二人が案内する。半兵衛は一緒に来た二人を残して中に入った。何らかの罠である可能性もある。
女も半兵衛の意図を理解したのか、残りの二人についてこいとまでは言わなかった。
それほど大きな建物ではない。玄関から廊下を経て、すぐに応接間らしく広い部屋についた。その中に福建人らしい男がいる。
歳は五十を超える。服は貧相だったが、体つきや動作はしっかりしていて、見た目に騙されると痛い目に遭いそうだ。
「すみませんね。お呼び立てして」
男の言葉に半兵衛は驚いた。
「日ノ本に来たことがあるのか?」
男の日本語は連れてきた女よりも遥かに流ちょうであった。ただし、あまり品のいいしゃべり方ではないが。
「日本には何度も行っていますからね。若い頃には坊津から多くの日本人を逃げさせたものですよ。もう30年以上前になりますかねぇ。日ノ本で大きな戦がありましたでしょう。負けた側の有力者を結構逃がしたりしたものです。結構小金とかくれたりしましてね、日本はいいところだと思ったものですよ」
「…国姓爺の配下という話を聞いたが」
「それはオランダ人の勘違いでしょう。あっしの師匠は国姓爺様から見ると祖父筋に当たりますかね。顔思斉(がん しせい)という名前をご存じですか?」
「…いや、知らぬ」
「国姓爺の父の鄭芝龍のことは?」
「それは名前だけは知っている。直接会ったことはない」
半兵衛が答えると、男は笑う。
「会うには北京に行かなければいけませんからね。大変です」
「鄭芝龍の上役だったということか?」
「そうです。このあたりを根城にして、福建と日本の間で色々とね…」
含みのある笑いを浮かべた。日本人である半兵衛にとっては不愉快なこともしてきたのであろう。
「顔思斉が鄭芝龍らに殺された後、鄭芝龍らにはついていけなくなって、ここでのんびり暮らしているってわけです。ただ、活動するとなると、やはり昔の繋がりが頼りですからね。そういう点ではオランダの連中が鄭成功の名前で活動していると考えるのは仕方ないかもしれません。また、その方があっしにとっても都合がいいですしね」
「俺に接近してきたのは何故だ?」
「それはご挨拶ですねぇ。日本から百人もの人間が来たとあっては、我々の縄張りを侵しに来たのか警戒するのが人情ってものでしょう」
「…ああ、俺が新しい鄭芝龍としてやってきたと思ったわけか」
半兵衛は相手の考えに思わず失笑してしまった。船も満足に操れない、福建語も理解できない自分がまさか海賊の一味と間違われてしまったとは。
「最初はね。どうも違うらしいということはすぐに分かりました。ですので、何をしに台湾に来たのかが気になったんですよ。国姓爺の差し金ですか?」
「違うな。おまえは国姓爺の人となりを知らんのか?」
鄭成功は良くも悪くも真っすぐである。あらかじめ敵情を視察してあれこれと工作を練るような人物ではない。
「残念ながら、あの人は権勢家ですからねぇ。あっしのような下っ端は近づける人ではありません。父の芝龍とは船の上でまずい飯を一緒に食ったこともありましたが」
「その割に仲たがいしたようだが?」
「あいつは要領がいいんですよ。女のことにしてもそうだし、首領を殺す時も手際が良かったですからね。あっしのような鈍い奴には嫉妬しかありません」
そう言って、「嫌な奴でした」と繰り返す。そうした言葉の端々からも嫌っていたという心情が伝わってくる。
「俺は個人として台湾が気になって、やってきた」
半兵衛の答えに、男は「へぇ」とつぶやくような言葉を漏らした。その表情を見ると納得したようには見えないが、何を聞かれても半兵衛はその一事で押し通すつもりであった。
「…ま、そういうことにしておきましょう」
「少なくとも、お主の商売の邪魔をするつもりはない。俺達は商いの才能はないからな」
「それは分かっていますよ。才能があるのはこちらでしょう」
男は刀を振る仕草をした。
「日本の武士は、中国の兵士十人に匹敵します。その中国の兵士でもオランダの兵士五人には匹敵しますから、さしずめオランダ兵五十人分ですな」
「オランダの兵は強いだろう?」
「いえいえ、奴らの船と武器はとんでもなく強いですが、奴ら自体はそれほどでもありませんよ」
「しかし、おまえたちはオランダの下にいるではないか。いずれは反発するつもりなのかもしれないが」
「そうなんですよ。何故だと思います?」
「むっ?」
「オランダだけではありませんよ。ポルトガルだって、イスパニアだってそうです。あいつら、弱いんですよ。弱いのに、日本も中国もあいつらには勝てない。何でだと思います?」
「それは武器と船のせいではないのか?」
「武器と船のせいなら、中国と日本の兵法で何とかなりませんか? 貴方も『孫子』とか『呉子』とか聞いたことはあるでしょう」
「…向こうも同じように兵法を知っているということではないか?」
「奴らは兵法のことなんか全く知りませんよ。誓って言えますが、奴らの中に本当の物知りはいません。まあ、あっしの見る限り中国にも日本にも本当の物知りはいませんでしたが。鄭芝龍のような要領のいい奴は一杯いますがね」
「……」
「これですよ」
男は机の上に、箱のようなものと本を置いた。
箱の中には銀貨がかなりの容量で、詰められていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます