第2話

 台湾の南部、現在の台南市にはゼーランディア城とプロビンティア城という二つの城郭があった。このうち、プロビンティア城の東側にはヨーロッパ風の区画整理がなされており、オランダが長期にわたって植民計画を練っていることが分かる。


 金井半兵衛は、もらった土地を三交代制で使うこととした。30人余りずつ3つの隊に分け、五日間ごとに二つの隊が農作業に励み、残りの30人は自由に見て回れるというものである。


「北の方はどうなっているか気になるのう」


 とはいえ、さすがに五日では北に向かって戻るということもできない。



 この時期、北の方にはスペインが築いたセント・ドミンゴ城があった。スペインは1642年にオランダから追放され、その後はオランダが改修して使用している。


 この北と南の二か所が主要な拠点と言えた。もちろん、半兵衛には知識としてはあるが、実際に見て回るだけの時間はさすがにない。



 しばらく情報を集めているうちに、妙なことに気づいた。


「オランダ人は、鄭成功が近いうちにこの台湾に攻め込んでくることを警戒している」


 というものである。


 それは理解できる。何せ福建から台湾は距離が近い。また、鄭成功の海軍はこの地域では最強の勢力を誇っている。


(正雪もそうしようと思っているわけだから、攻められる側がそうした危機意識を持っていることは不思議ではない)


 だが、意外だったのは。


「そのために、鄭成功の武将の一人がここ台湾で活動している」


 というものであった。これは半兵衛には全く信じられない情報であった。


(国姓爺の武将が台湾にいる? 全軍をあげて明の再興を目指している鄭成功が、戦力をここ台湾に割くであろうか?)


 作戦としてはありえない話ではない。


 対清への活動に重点を置きつつも、台湾やその他地域の動向を探り、多面的な動きに対応するという方針はありえるものだし、むしろ望ましいといえる。


 ただ、半兵衛も鄭成功の人となりを知っている。彼はそのような多彩な作戦を採用する人物ではない。これと決めたら、それに一途に専心する鉄のような信念を持った男である。


 鄭成功が台湾で活動をしていることはありえない。半兵衛はそう結論づけた。では、オランダ側の警戒の理由は何か。鄭成功怖しということで、柳の葉が幽霊に見えてしまう状態なのか。そうではないと考えた。


(おそらくは、こちら側にいる何某が、国姓爺の名前を出して勝手に活動していると見るのが無難か)


 これは半兵衛も分かるところであった。数年前まで、日本で倒幕活動をしていた時、彼らは紀州藩の徳川頼宣の名前を使うつもりがあったからである。不満分子を集めるに際して、「これだけ大きな味方がいるのだ」と大物をでっちあげるのはよくある作戦だ。



 翌日から、半兵衛は福建語ができる者も連れだして、街の様子を聞いて回った。


 その結果、やはり鄭成功の名前を出して活動している者はいるらしい。鄭成功の名前を出しているということは、活動している者は当然福建から来た住民達であろう。何故そういうことをするかといえば、オランダ人の支配が厳しいからということに他ならない。


 オランダ当局もそうしたことを理解していて、台湾の原住民である高山族と交渉をして、味方につけているという。


(これは面白い状況ではあるが、さて、どうしたものかな…)


 半兵衛は正雪から、ある程度の采配を任されている。この状況を生かして一騒動を起こすくらいのことは認められていた。


 もちろん、百人の手勢…しかも、大半は台湾で使われている福建語とオランダ語を両方とも理解しない者達である…で何かを起こすというのは難しい。


(今回の件は、国姓爺も正雪もあずかり知らぬものであろう。ただ、いずれはここに攻め込むことはありうる。国姓爺の軍が来た場合、間違いなくここにいる福建住民は応じるだろう。オランダ人はもちろん敵側になる。ということは…)


 オランダ当局が懐柔しているという、台湾の原住民と接近して、国姓爺との友好関係を築いておくこと。これが必要な布石であると考えられた。



 方針が決まったので、今度は接近するための情報が必要になる。


 ゼーランディアにもプロビンティアにもそうしたものはない。もちろん、オランダ当局者の間には情報があるのであろうが、それを入手するのは難しいであろう。


 ここは一回福建の正雪に頼んで送ってもらう必要があると考え、手紙を厦門に向けて送ることにした。港に歩いていくと、鄭成功一派の船も多数停泊している。そうした一艘の船員を呼び止めて、通訳を解して「正雪に渡してほしい」と頼む。


「由井先生ですね、承知いたしました」


 渡した相手は正雪のことを知っているらしい。


 もちろん、それで信用ができるというものでもなかったが、手紙は日本語、しかも全文カタカナと平仮名をまじえてあるので彼らが解読しようとすれば、一苦労することになるだろう。


(自分の言葉が暗号になるというのは、中々不思議な気持ちではあるな)


 手紙を渡して、ひとまずこれからは正雪が何かしらの書物を送ってくれることを期待するのみである。


 持ち場に戻ろうと、街を歩いていると、不意に二人の女が寄ってきた。


「もし、金井先生でございましょうか?」


 日本語であるが、福建人が覚えた日本語のような発音である。


「…いかにも」


「金井先生に会いたいという人がいます。会ってもらえないでしょうか?」


「ふうむ」


 半兵衛は無精ひげの生えた顎をさする。


(どうやら、向こうの方から接触しにきたらしい)


 のであるが、自分の名前を知られているというのは気持ちのいいものではなかった。

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