第五章 郭懷一
第1話
金井半兵衛は長州毛利家の出身であり、丸橋忠弥の紹介で由井正雪の門弟となった。以来、正雪と大きな信頼関係を築いているが、同道する機会はあまりない。信頼関係が成立していることと、忠弥と異なり、武芸一辺倒でないことから片腕的に別動隊を率いることが多いからであった。
今、この時も半兵衛は百人ほどの仲間を連れて台湾に渡っていた。
福建から台湾に行くことはそれほど難しくはない。台湾のオランダ当局がむしろ積極的に勧めていたからである。
何故、勧めていたかというと単純に人手が欲しいからであった。オランダ人は数が少ないため、台湾に広がる大地を耕地に変えることができない。また、現地住民との安定した関係を築くためにもある程度手勢が必要であった。
しかしながら、事はそう簡単には進まない。
中国から台湾への距離は極めて近いのであるが、人口はそれほど多くはない。そもそも、中国人は移住することを好まないし、台湾の地は決して暮らしやすい場所ではないという風評も立っていた。暮らしやすい場所でないということは事実であり、熱病や風土病で苦しむことはこの時代のみならず、19世紀に入ってからも発生している。
こうした事情もあって、希望するだけの人間が中々来てくれないので台湾のオランダ人は福建各地で積極的に勧奨をしていた。中国本土で飢饉が起きた時には困窮した希望者を次々と台湾に運んでいた。人道的な意図があるわけではない。彼らが耕地を耕せばそこから税が取れるからである。
そうした人が少ないという事情があるので、半兵衛ら百人は容易に台湾に着くことができたが、ゼーランティア城の近辺で一悶着があった。
台湾に来る者は九分九厘、福建人であるからその言葉も当然福建語である。福建語を完全に解するオランダ人は少ないが、周りで飛び交っている言葉が同じであるということは少しの間でも生活していれば分かる。
ところが、半兵衛達は福建語を話せないから、当然やりとりは日本語になる。
日本語ができる人間自体もいないではないが、百人という大勢の日本語しかできない人間が到来するのは異例である。すわ、徳川幕府からのスパイではないかとゼーランディア城が色めき立ったのである。
半兵衛達はゼーランディア城近辺の屋敷に軟禁される形となり、尋問を受けることとなった。
この時の台湾長官はニコラス・フェルバークであった。
半兵衛ら代表数人はオランダ人官憲に引っ立てられる形で長官の前に引き立てられる。「何をしに来た?」という問いかけが通訳を介して行われた。
「我々は日本で浪人をしていたが、前年に日本を追放に遭った者である。しばらく福建にいたが、やることがないので人を募集するという要請を見てここにやってきた。そちらの方で募集しておきながら、着いたら尋問とは一体どういうことなのか? 我々は追放されたとはいえ、日本の武士である。望むとあれば、我々全員、死ぬまで戦い抜く覚悟も出来ている」
と全く悪びれることなく答えた。
通訳から答えを受けたフェルバークは顔をしかめる。
日本は欧州の国家の中では唯一、オランダと関係を維持しており、日本との貿易は東インド会社の数ある交易の中でももっとも実入りのあるものである。日本人を投獄することで迂闊な波風を立てるようなことはしたくない。
しかも、フェルバークは前任がペルシアであり、日本について詳しくはない。これが前任のオーフェルトウォーターであれば、長崎の出島に赴任していた経験もあるのでかつての伝手を使うなどして長崎奉行に詳細を問い合わせることもできるのであるが、フェルバークにはそうした技がない。
その後、色々な経歴を聞いているが、福建に長居していた様子もなく、恐らくほぼ全員が福建語を解さないということも分かってきた。
「日本の浪人はバタヴィアやシャムで見ても分かりますように、非常に精強ではあります。ただ、彼らはプライドが高いのでこの地の福建人や土着人と結びつくことはないでしょう。百人という人数でもありますから、仮に蜂起したとしても何とか抑えられる人数ですし、場合によっては我々の傭兵として使うこともできるのでは?」
という方針が優勢となった。
厄介事を避けたいというフェルバークの意向もあり、大きくは出ないという方向性で決着した。
連れてきた当初こそ息巻いていたオランダ人は、夕方になる頃には愛想笑いを浮かべるようになっていた。
「…我々オランダは漢人との間に時々悶着を起こすことがあって、な。神経が高ぶっているものが多いのでついつい攻撃的になった。あまり気を悪くしないでほしい」
「日ノ本とオランダはいい関係を築いていることは分かっている。今後もそうありたいし、我々もよい関係を築いていければと思っている」
など、口々に耳障りのいい言い訳をして、友好的な態度を示してきた。
結局、半兵衛達は半日間の尋問で解放された。
その後、オランダ人から近くの土地を割り当てられる。土地は自由にしてもいいが、税金は支払うようにということであった。
「ははは、志願すれば土地がもらえるとは、これは日ノ本より余程いいのう」
半兵衛は愉快痛快と笑うが、一緒に尋問を受けた加藤市右衛門は浮かない顔をしていた。
「ここにいる漢人を見ていると、豊かに暮らしている者はおりませんぞ」
「何を今さら。二年前を考えてみろ。わしらは豊かだったのか? しかもその時には耕す土地すらなかったのだぞ」
半兵衛が笑いながら言う。
周囲も「確かにそうだった」と苦笑することしきりだった。
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