第9話
永暦五年の年末、由井正雪は丸橋忠弥と厦門の街を歩いていた。
福建の港は、その多くが鄭一族の支配下にあるが、そこに来る船は鄭氏の船だけではない。実に多様な船舶が多数訪れる。
「正雪、あれはどこの船だ?」
最近、丸橋忠弥は、目新しい船を見つけては「どこの船か?」と尋ねる癖がついていた。
「あれはイスパニア(スペイン)の船だろう」
「イスパニア?」
「ルソンに向かう船だ。ルソンでは新大陸の銀と交易をするらしい」
「新大陸?」
「遥か東にある大きな島国だ。とは言っても、俺も地図でしか見たことがないが」
「そんなものがあるのか」
忠弥は感心することしきりである。中年にさしかかって尚無邪気とも言えるのであるが、何も勉強することのない姿勢には一言言いたくなるし、事実一言が出てしまった。
「時間があるのだからお主も槍ばかり振っていないで、地図の勉強でもした方がいいぞ」
「うむ。まあ、そのうちな」
永遠にやらないであろう言い訳が返ってきて、正雪もそれ以上は言う気をなくす。
「新大陸から来る船は銀を積んでいるのか」
「そう聞いている」
「それを捕まえれば大金持ちになれるのではないか?」
「お前、いつの間にか発想がここの海賊に近くなってきているな」
正雪は呆れた顔をした。
「まあ、実際、彼らと日本の海賊が手を組んで何十年か前に襲撃したこともあるらしいが、失敗したと聞いている」
「イスパニアは強いのか?」
「ポルトガルよりも強いという話だからな。何より、新大陸の銀は大量にあるというから物資が豊富なはずだ」
「そうなのか。だが、しかし、おまえは以前、ルソンも取りたいと申していたではないか」
「よく覚えているな?」
「忘れるものかよ。イスパニアが強いとなると、どうやって勝つのだ?」
台湾には、浪人の金井半兵衛をはじめ、数十人が向かっていて、偵察している。一方、ルソンにはまだ誰も向かっていない。
「勝つこと自体なら、正直それほど難しいことでもないのだが」
「何? 本当か!?」
「うむ。そのための書物も屋敷には取り寄せてある」
「そうか。ならば、早く読んでくれ」
「代わりに読もうという気はないのか?」
「ない。わしの役割はあくまで槍で戦うことだ。頭はおまえや半兵衛に任せるのが賢い」
忠弥は開き直るように言う。
「おまえにはかなわんのう」
正雪も苦笑するだけであった。
しばらくそのやりとりが続いていたが。
「む? 正雪、あれはどこの船であろうか?」
忠弥が新しい船を見つけた。正雪も視線を向けるが、見覚えのない船である。
「あれ…は、全く分からんな。あ、いや、あれは北前船ではないか?」
日本海側の航路で使われる船に特徴的な船体の形をしていた。
「しかし…」
日本海航路で使われる船であれば、鎖国中であるため外洋には向かないはずである。厦門まで来るということは考えられない。
だが、近づいてくる船は明らかに日本の船である。よくよく見ると、小さく徳川家の葵の紋も入っていた。
「…徳川家の船か?」
忠弥の声が弾む。徳川が船を寄越してきたということは、この場合、援軍が来た可能性があるからである。
「行くぞ、正雪」
「いや、ここで降りてくる様子を見ていればいいのではないか?」
港での作業もできないのに、ただ近づいていっても邪魔になるだけである。仮に援軍であったり、自分達に用があったりするなら向こうから放っておいても来るのだから行く必要もないのに、言い出したら忠弥はいてもたってもいられなくなるらしい。
「全く…。童のような奴だ」
呆れながらも、正雪も港の方に近づいた。
「何だ、あの者達は?」
近づいていくにつれ、船から降りてくるものの姿が見える。
忠弥の叫び声ではないが、まるで見たことのない者達であった。全員、変わった衣装を身に着けており、服の上からでも分かるくらいに体毛が濃い。
「暑いのう。何だ、ここは?」
と、辛うじて聞き取れる日本語を話している。
「正雪、誰なのだ、彼らは?」
「俺に聞かれても困る。さっぱり分からない」
と答えたところで、船の中から見覚えのある顔が降りてきた。相手もこちらに気づいて手をあげる。
「おお、正雪殿。ちょうどよかった。これから探そうと思っていたのだが」
と声をかけてきたのは長崎奉行と懇意にしている商人の者であった。
「これは久しぶりにございます。この者達は?」
「うむ。蝦夷地に暮らすアイヌの者で、な。彼らも生活が苦しいので、壮丁達を連れてきた」
「何と、蝦夷地の…?」
「武器は旧式なものが多いが、個々人として頼りになる者は多いと思う。合計で百人はおるゆえ、うまくやってくれることを期待している」
「なるほど…」
と、降りてきた者達の顔を見る。その中に一際眼光の鋭い者がいた。
「由井正雪と申す。そなたの名は?」
相手は非常に聞き取りづらい言葉で返してきた。
「シャクシャインだ」
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