第8話

 主殿助こと蠣崎友広(かきざき ともひろ)は初代藩主松前慶広(まつまえ よしひろ)の弟守広の子であり、若い藩主松前高広(まつまえ たかひろ)の補佐をし、松前藩の差配を任されていた。


 その蠣崎友広が早朝、怪訝な顔をしながら、登城をしてきた。


 松前藩という僻地の大名の、しかも当主でもない人物が筆頭老中松平信綱に会うということは滅多にない。いや、友広にとっては初めてである。


 名誉なことではあるが、理由が分からない。もしかしたら、何かしらの叱責があるのではないかという恐れもあった。



「蠣崎友広でございます」


「松平信綱だ。この度は聞きたいことがあるゆえ、ご足労願った」


「聞きたいことでございますか?」


「アイヌの状況であるが…、近年、諍いが多いと聞いておる」


 友広は平伏した。


「はっ。我々も何とか調整しようとしているのではございますが、近年は寒冷な年が多く、また十年前には噴火もあり、アイヌが生計に苦労しているようにございます」


 松前藩の相場管理については口にしない。信綱もそれについて尋ねるつもりはない。


 十年前の噴火というのは、駒ケ岳の噴火のことである。この時期、蝦夷の山地は不安定で、この後も噴火活動は続いていく。


「そうであれば、アイヌの者に不満も溜まっておろう」


「…左様でございます。ハエとシベチャリの対立は日に日に大きくなっているようでございまして」


「両者の壮丁を呼び出すことは可能であるか?」


 信綱の問いかけに対して、友広はぽかんとしていた。


「両者の壮丁でございますか?」


「具体的に言えば、戦で役に立ちそうな者達だ。できれば我々と言葉が交わせるようなものがおると望ましい…」


「はあ、交渉をすることは可能かと存じますが」


 友広はよく分からないという様子ではあるが、アイヌと交渉をもつことは問題ないと断言した。


「よし、それでは幕府の者を同行させるゆえ、うまく取り計らってくれい」


 信綱の指示に、友広は不思議そうな顔で従った。


 十一月、酒井忠清が信綱の指示を受けて松前まで派遣されることになった。



 十二月、蝦夷地に冬が訪れていた。


 そんな中、アイヌにしては非常に屈強な男が一人、シベチャリの砦を訪れていた。


「来たか、シャクシャイン」


「首領。お呼びですか?」


 シャクシャインと呼ばれた壮年のアイヌは、惣乙名とも呼ばれた地域の主であるカモクタインの前に座った。


「実は和人の提案で、数十人のアイヌを借りたいと言っている」


「何をするんですか?」


「南の方に行き、別の和人とともに戦えと…」


 カモクタインの言葉に、シャクシャインはあからさまに不信の色を浮かべた。


「奴らが約束を守りますかな?」


「分からん。だが…」


 カモクタインが苦い顔をした。


「このまま何もせずにいても、我々の状況は好転しない」


「……」


 それはカモクタインもシャクシャインも分かっていることであった。近年の寒さで収穫は減っている。そのため、仲間同士での争いも多い。とはいっても、和人と戦うだけの覚悟や戦略もない。


「和人を信じているのかと言われると、信じてはいない。しかし、わしらの未来のために何かしら行動を起こさなければならない。もし行かせたら、奴隷のように働かされるだけかもしれない。しかし、新しい土地で何かが起こる可能性も僅かながらある」


「首領…」


 シャクシャインもそこまで言われると考えざるを得ない。


 アイヌ民族は文字を残していない。そのため、過去のことについて細かいところまで分かっていないということがあった。アイヌが戦争を仕掛ける度に、大抵は和人からの和睦交渉に呼び出されてその場で謀殺されることが多々あったのであるが、和人側は記録として覚えているが、アイヌ側にはそうした記録がない。そのため、再び和人の提案に乗ってしまうという傾向があった。


 今もまた、考えているうちにシャクシャインは、カモクタインの顔もあるし…と考えが軟化していく。


「分かりました、首領。私が行きましょう。奴隷にされるかもしれないところにまさか息子達を派遣するわけにはいきますまい」


「頼む。子供達のことは何不自由なくする」


「ありがとうございます」


 二人のアイヌは手を取り合い、固い約束をかわした。



 数日後、シャクシャインは数人の壮年アイヌを連れて、松前藩の用意した船に乗り込んだ。そこにいた面々を見て、シャクシャイン達は驚く。


「ハエの連中もいる」


「あっちにはアッケシやイシカリの面々もいるではないか」


 蝦夷中のアイヌから壮丁が集まっていることは容易に理解できた。こんなことは初めてである。


 何か余程のことが起こるのかもしれない。シャクシャインはそう思った。

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