第6話

 オランダ東インド会社は、兵士の雇用や条約の締結等国家に等しい権益を認められていたが、これらは当初、対ポルトガルを想定したものであった。オランダの目的は交易の独占であり、ポルトガルとの並立は全くありえないことだったのである。実際、オランダ東インド会社の艦隊は各地でポルトガル艦隊に対して戦闘を仕掛けていき、特にアジア方面では優位に立った。


 一方で、東インド会社設立以前に西回りで極東を目指していたオランダ船団は、その多くを失いつつも日本に漂着した。このリーフデ号に乗り合わせていた英国人のウィリアム・アダムズは徳川家康の信任を得て、西洋式船の建設などの仕事に携わるようになっていく。彼の助言もあり、家康はそれまで日本市場で中心的な役割を果たしていたポルトガル・スペインから、オランダ・イングランドへと関心を傾けていった。


 しかし、王に対する忠誠の厚いイングランドは、オランダ人ほど日本流に合わせることも難しかった。また、主商品と目されていた毛織物が日本で人気が出なかったこともありすぐに下火となった。


 こうしたことから、徳川家の幕府の下でのオランダの優勢が確立されていき、鎖国後に唯一交易を認められる国となっていったのである。



 一方、香料諸島での争いは極東の地ほど平穏ではなかった。


 オランダは次第にポルトガル・スペインの影響力を除去していったが、ここにイングランドが介入していった。オランダと安値での香料提供を約束させられていた現地住民もイングランドに応じた。


 これに激怒したのが東インド総督に任命されていたヤン・ピーテルスゾーン・クーンである。クーンは現地人には徹底した武力行使を、イングランドには硬軟織り交ぜた方法で臨んだ。


 まず、現地人に対しては、日本人傭兵八七名も含めた二千名の兵を率いて徹底的に弾圧した。特に1621年にはナツメグ栽培の中心地であったバンダ島で住民をことごとく殺戮し、奴隷を送り込んでナツメグの栽培にあたらせた。


 イングランドに対しては武力と並行して、とてつもない請求書を送ることで音をあげさせた。クーンは当時以降次第に発達してきた複式簿記を巧妙に操り、あらゆる形で請求書を送りつけたのである。



 こうした状況を見て、正雪も考えざるを得ない。


「オランダ勢力と戦うとなると、日本の者とも戦わなければならないのだのう」


 クーンが八七名の傭兵を使ったのは二九年前であるが、それからも鎖国完成まで各地に傭兵として出て行った浪人は多い。更に日本から追放されたオランダ人との間の子供も多数バタヴィアで暮らしている。



 オランダは香料諸島を支配すると、東アジアへも進んできた。


 ただし、この地域では東南アジアの時のようには武力を用いていない。傭兵として使用していたこともあり、日本に関しては独占の道が作られつつあったこともあったのであろう。


 もっとも、中国の明との間ではうまく行かず、交易権を得ることができなかった。そのため、オランダはしばらくの間密貿易やポルトガル船の襲撃などで商品を得るようになっていた。また、東アジアにおける拠点を求めて1622年にマカオを襲撃しているが、これは占領には至らず撤退することとなった。その後、台湾の南部にゼーランディア城を建設し、今に至るのである。



 その間、徳川家は鎖国を完成させ、ポルトガルを日本の貿易相手から締め出した。


 これによってポルトガルは更に弱体化し、東南アジアの要衝マラッカをオランダに奪われたのは既に見たところである。



「どうやら、日ノ本との貿易は予想以上に欧州の国々には利益となるようです」


 正雪の物言いに、忠弥がひやひやした顔をしていた。話に慌てているのではなく、今回は柳生十兵衛のいる前で話をしているからであることは分かっている。「何も幕府の高官のいる前で話さなくてもいいだろうに」と考えていることは一目瞭然であった。


「わしも詳しくは知らんが、そのようではあるな」


「極論をすれば、我々がいるということでポルトガルとスペインには厦門では日本人と貿易…正規ではなく密貿易ですが、ともかく貿易ができると考えることがありうるということです」


「ふむ…。しかし、我々には取り扱う商品がないぞ」


 日本人がいるだけであって、日本の商品はない。しかも、ここにいるのは浪人ばかりであって、商売人は一人もいない。もちろん、浪人達は内職をしていたこともあるが、そうしたものの中に紅毛人の需要を満たすものはなかった。


「積極的に交易をするわけではありません。しかし、交易ができると思わせることは重要です。そのくらいの商品であれば、我々が日本と密貿易して作ることはできましょう」


「確かに、相手にここにいる日本人と商売ができる可能性がある、と思わせることは、何も思わせないこととは雲泥の差がある」


 十兵衛が頷いた。


 ポルトガルは日本の商品を喉から手が出るほど望んでいるが、鎖国令とオランダに対する劣勢でそれが望めない状況にある。そうした中で厦門の日本人から不十分でも交易ができるかもしれないと思わせれば、何かしらの譲歩などを求めることが可能である。


「積極的に使うことはできません。しかし、いざという時のために宝刀として取っておくことは、決して損ではないでしょう」


「幕府の目付だったわしに、密貿易を勧めるとはな」


 十兵衛は苦笑するが、さすがに現実は見えている。翌日以降、自らの伝手を使い、日本との連絡を取るのであった。

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