第5話

 正雪は厦門に来て以降、台湾やルソン、バタヴィアからの書籍を購入していた。


 敵を知り、己をしれば百戦危うからずというが、敵を知る必要があると考えていたのである。



 欧州からはるばるやってくる国が多いのは何故か。その根本には香辛料がある。


 香辛料はその大半がインド、もしくは東南アジアで産出される。過去には、これらがインド洋交易によって中東にもたらされ、そこで欧州人が買い求めた。当然、中間者が利益を乗せるために欧州に届く頃には何倍もの値段がつくことになる。


 欧州人が直接香辛料の取引をしたいと考えるのは当然であった。



 その先駆となったのがポルトガルである。ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回るインド洋航路を発見し、インドの地方太守などとの取引(実情は強奪に近いものであったが)の末に香辛料を持ち帰ることができるようになると、ポルトガルは国家としてインド洋航路の管理に乗り出した。インド洋上の多くの拠点を確保することで香辛料貿易を独占することを目指したのである。


 ポルトガルはインドのゴアから中国のマカオに至るまでの拠点を確保し、交易を一時的には掌握した。こうした最中に日本にもたどり着いたのである。



 ポルトガルの独占体制に挑戦したのはオランダであった。ここにはキリスト教の対立が背景にあった。


 ポルトガルが独占している香辛料は、当然ポルトガル王家の認める商人達が販売することになる。ポルトガル王室はカトリックであり、当然販売する者達もカトリックとなる。新教徒の多いオランダやイングランドは不利な立場に置かれていた。


 ヴァスコ・ダ・ガマの航海から一世紀近くを経て、東アジアへの航路自体は多くの者に取られるところとなっていた。不利な立場に置かれていたオランダやイングランドが逆転を狙って自らインド洋に乗り出すことを目論むことはむしろ当然の流れと言えたであろう。


 こうして、16世紀末、アムステルダムから東アジアへ向かう船が出るようになり、それらの無事な帰港でオランダは自信をつけていった。



 では、ポルトガルは何故オランダの挑戦を阻めなかったのか。それはポルトガル(さらには隣国スペイン)の国家体制によるところが大きい。


 ポルトガルは王室が交易を完全に管理していた。近代にいたるまで王室の経営は放漫経営が基本であり、その財政は常に不安定であり、融資などの利率も高いことが当然であった。


 ところが、東南アジア近辺、特に香料諸島と呼ばれる周辺の海は難所も多く、完全な支配には多数の船が必要となる。そうした船を保有するだけの資金を捻出することはポルトガル王家にはできなかった。いや、それをなすだけの資金はあったのであるがヨーロッパ国内での戦争などに費やして、東南アジアの安定支配に回すだけの資金がなかったのである。


 また、両国はカトリックに熱心であったため、ユダヤ人やイスラーム勢力など商業に熱心な人を追放や弾圧するなどの傾向があった。このため、国内の商業が次第に弱体化していったのである。



 対してオランダは金融業が発展しており、船団の組織も商人の集まりによって行われていた。このため、資金力という点では当時欧州でも随一であった。ただし、各都市がそれぞれに船団を派遣する実力を身につけていたことから、国内で過当競争が起こる事態に発展するという難点を有していた。インド洋交易は風を利用しなければならないため、各都市の船は同じ時期に出発し、同じ時期に戻ってくる。それぞれが必要な量の取引をしているため、自然と総量が増える。需要が増えてしまうために価格が押し下げられるという事態を招いていたのである。


 従って、オランダという国としてはなるべくオランダ全土で効率よく交易を進めたいという希望があったが、その要望は簡単には実現されない。単一の組織になれば資本で勝るアムステルダムに飲み込まれるのではという警戒感が地方都市にあったからである。


 オランダが国内の各都市をまとめる交渉に時間をかけたこともあり、東インド会社の設立という点ではオランダはイングランドに後れを取ることになる。オランダと異なり、イングランドにはそれだけの商業センターがロンドンにしかなく、競争が起こる余地がなかったからである。


 1601年、イギリス東インド会社が設立され、同年中にインド洋へと艦船が送り出された。


 オランダ諸都市の間でようやく妥協が成立したのは、その翌年のことであった。アムステルダム、ロッテルダム、ホールン、デルフト、エンクハイゼン、ミッデブルクにある6つの会社が合併する形でオランダ東インド会社が設立された。



 イギリス東インド会社とオランダ東インド会社は、共に国の組織ではなく、商人の組織である。従って、彼らは好き勝手していいというわけではなかったが、インド洋交易についてイギリスは15年、オランダは21年間、それぞれの国家から独占的に行うことが認められた。


 オランダ東インド会社には、総督の任命権や現地での兵士を雇用する権利、現地支配者と条約を締結する権利なども認められた。そういう点では準国家と呼ぶべき存在ではあったが、それはあくまで時限的なものであり、独占権を更新しないことには継続的な支配が認められないという点に特徴があった。

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