第4話

 永暦五年、鄭成功は広州への遠征こそ失敗し、ほぼ同じくして本拠地と構えた厦門を襲われるという失態を演じたものの、その後態勢を締めなおすと、その年のうちに福建南部で清軍と三度交戦し、三度とも勝利した。


 いずれの戦いも、清軍の兵力は少数ではあったが、その全てに勝利したということで福建周辺の勢力は大きく動揺し、一度は明から清に降伏した者が再度鄭成功に寝返ることも増えてきた。


 この三度の戦いには浪人軍は参加していない。


「我が軍にも経験を積ませていただきたい」


 と、甘輝や施琅が、申し出たためであり、浪人達もそれを受け入れることとした。実際、福建沿岸部の勢力維持のみであればともかく、今後北へ反攻を行うためには鄭軍自体も強化する必要がある。もちろん、鄭軍の側にも「日本からの軍に負けていられない」という反発心があった。




 ともあれ、浪人軍はこの年、厦門の戦役以降は実働することはなかった。もちろん、万一の場合に備えて後詰をする必要があるため、全く遊び惚けていたというわけではなかったが、結果としてはそういうことも必要なかった。


 その間、由井正雪や柳生十兵衛は台湾のオランダ、マカオのポルトガル、ルソンのスペインといった南海上の諸勢力の状況確認に努めていた。元々の構想が中国南部、台湾、ルソンまで広げた海洋大勢力を築き上げることであったし、鄭成功も広州攻撃の件でマカオの扱いについて考えるようになっている。


 正雪の中では、何故か漠然と「これらの地を奪うことは可能なのではないか?」という印象があった。


「それは無理だろう」


 戸次庄左衛門らは否定的な反応を返している。当時の一般的な見解はそれに近い。事実、島原の乱においても幕府はオランダ船に砲撃してもらっている。また、一揆軍はポルトガルの援軍を期待していたとも言われている。


 艦隊の強さでは明らかにオランダやポルトガルの方が上である。


 しかし、陸は?


 この面では、つけ入るすきがあると正雪は考えていた。




 オランダにしてもポルトガルにしても、東アジアでの勢力維持には決定的に不利な部分があった。人の数が足りないのである。


 遭難の可能性を侵してまで好き好んで東アジアまで来たいという人間は少ない。


 更に遠い東アジアの地まで来るという人間は、どうしても問題があることが多い。問題のない人物であれば、わざわざアジアに来ることなく欧州で生活をしていればいいからである。犯罪者であるなど、欧州で生活の場を失った人間や、貧困などの理由により海外で一山当てようと考えている人物の割合が増えてくる。そうした人間達には規律などを守らせるのも難しい。更に、街や勢力を維持するために必要不可欠な業務も満足にできないことになる。そうなると、現地人を雇うしかないのであるが、規律が低く横暴な行為も多いために反感が強い。


 更に風土という問題もあった。せっかく来た者達が病気などで死んでいくことも少なくない。



「面白いのう」


 正雪の独り言を聞いた、丸橋忠弥が怪訝な顔を向ける。


「何が面白いのだ?」


「いや、俺達は日ノ本では、少数派であった」


「少数派?」


「つまり、武士というのは大勢おる。俺達のような浪人は増えてはいたがまともな武士と比べると少ないであろう。で、苦しい生活を余儀なくされていた」


「そうであるな」


「一方で、ここ東アジアでは、少数派が多数に苦しい生活をさせている。ここ中国の地はもちろん、台湾、ルソンもそうだ。数が少ない面々が多くの者を押さえておる」


 忠弥は「なるほど」と頷いたが、「ただ、だから何なのだ」という顔をしている。


「俺達は以前倒幕を考えておっただろう」


「うむ。漠然としたものではあったが…」


「そうだ。非常に難しいものだと思った。だが、例えば台湾やルソンで倒幕を考えてみるというのはどうだ?」


「台湾やルソンで?」


「幕府というのはオランダの者達やスペインの者達。浪人は現地の多くの者だ。こちらは面白いぞ。日ノ本では数は少なかったが、これらの地では浪人の方が多いのだから」


「彼らは武士ではないのではないか?」


「だが、戦うことはできるだろう。それ以前に、紅毛人は身の回りのことですら、現地の者がいないとできない状況だ。謀反を起こさずとも手伝わないだけでも奴らは破滅する。しばらくは国姓爺が戦を主導するだろうし、この機に何人かを台湾やルソンに送り込みたいと考えている」


「台湾やルソンの日本人と協力させようというわけか?」


「それもあるし、一揆の準備にはある程度の期間が必要になるだろうからな」


「台湾やルソンで一揆が成功したらどうなるのだ? その後をわしらが支配するのか?」


「うむ。当初は、国姓爺を旗頭にしてそうすることも考えておった」


「当初は、という以上、今は違うのか?」


「仮にここに来ることがないまま、倒幕をして、よしんば成功した後に誰かに指図されたとしたら、お主はどう思う」


「面白くないのう」


「台湾やルソンも同じだろう?」


「とすると、それぞれの地の者達に好き勝手させるということか? 好き勝手していたから、より強い者に支配されることになったようにも思えるが」


「うむ。その先については…これだと考えていることはあるが、そのことについてまだ俺がよく分かっていないということがある。準備をしながら、より紅毛人のことを勉強していきたいと思う」


「何やらよく分からんが、まあ、勢力拡大のために手を尽くすのは賛成だ」


 こうしたやりとりもあり、永暦五年中に、厦門から金井半兵衛など百人程度の者が台湾やルソンへと派遣していった。更には長崎奉行にあて、応援のための浪人をよこす心づもりがあるかを尋ねる書状を送った。もう少し手となる者が欲しいと思ったのである。

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