第2話
厦門の顛末を聞いた鄭成功はまず茫然となった。
「つまり…、日本の者達がいなければ厦門を清軍に取られてしまっていた、ということか?」
「はい。まずもってそうなっていたことは間違いありません」
伝達役の男が呑気に答える様子に、周りにいた者達の表情が険しくなった。
案の定、鄭成功は烈火のごとき怒りを見せる。
「芝莞め…、そこまでの役立たずとは…、思いもせなんだわ。鄭鴻逵は何をしておったのだ?」
鄭成功の怒りはもう一人の叔父にも向けられた。
「どうやら、母が清軍に人質として取られておりましたようで…」
「我関せずの姿勢を貫いたというのか?」
「…積極的には行動をなさらなかったようです」
「…むむむ、それも許しがたいが孝行の道であるのならば、任せた私の不徳でもある。だが、芝莞については許せん」
かくして、怒り心頭のまま厦門へと戻ったのである。
厦門に戻った鄭成功は、すぐさま鄭芝莞を呼び出した。
「こ、これは成功…、その、すまなんだ…」
鄭芝莞は頭を下げてはいるが、どこか余裕のようなものもあった。
「まあ、何だ。日本の者達のおかげで厦門を失うことはなかったし、今後はわしも気を付けるゆえ…」
「此度の戦いに、今後などない!」
鄭成功が叫ぶ。
「清は圧倒的なのだ! 今後良ければ、などという気構えでおっては、絶対に勝てぬわ!」
その余りの激しい口調に、周囲にいた者達も一斉に視線を伏した。この状況だと、何か言うだけで「おまえはこいつを弁明するのか!?」などとどやされかねない。
「しかも貴様、私の妻も置いて逃げようとしたというではないか」
「そ、それは…」
鄭成功の妻を置いていこうとしたのは紛れもない事実であった。鄭芝莞は自らの財宝を船に乗せて逃げようとしていたが、財宝を隠し持っていることの発覚を恐れて、乗船を拒否したのである。
結果として、浪人達が清軍を撃滅したから問題にならなかったが、下手をすると鄭成功の妻が清軍に落ちていた可能性もあった。
この事実に、周りの者は尚の事鄭芝莞を弁護しようという意欲を失う。
「軍人としては敵襲に全く備えぬ失態、臣下としては君の妻を見捨てようという怠慢。貴様のような奴を生かしておっては、我が軍の規律が乱れてしまうわ! 私自ら、斬って捨ててくれる!」
「ま、待ってくれ…!」
鄭成功が剣を抜いた途端、鄭芝莞が悲鳴のような叫びをあげた。
「た、頼む…。もう二度とこのようなことはせぬようにするゆえ、何卒、何卒命だけは…」
「ならぬわ!」
鄭成功はそのまま鄭芝莞を連れ出すように命じる。ここまで怒り心頭の主君に対して止めようとする者もいないし、そもそも鄭芝莞の失態ぶりは処刑されても仕方のないことである。弁明できる点も、「この方は身内の方でございますぞ」というくらいであるが、内外に『殺父報国(父を殺して国に報いん)』という旗印を掲げたとも言われているほどである。親戚だからと手加減などするような男ではない。
結局、その日のうちに鄭芝莞の首は落とされ、厦門の市街地に三日間晒されることとなった。
「鄭鴻逵については、かねてから敵に母を囚われていたと聞く。それをもって許すとはいかぬが、さすがに死刑となすには酷だ」
と言い、赦免することとしたが。
「とはいえ、君恩より私事を優先させる者に大事を任せられるとは思わぬ。厦門の役からは解く。当面の間、私のところに来る必要もない」
鄭鴻逵も鄭成功の怒りのほどは理解したようで、自らは厦門沿岸の島に一人謹慎し、配下については全員厦門の鄭成功の下に送った。
鄭成功はこれを受け入れ、鄭鴻逵の処分はそれで終わりとなった。これは命の保全はできたものの、鄭鴻逵が鄭氏政権の中において失脚したことを示していた。
多くの者は震えあがり、厦門成功で浮かれていた面々も気を引き締めてかかるようになる。
鄭成功は広州攻撃、厦門防衛に関しては失態も演じたが、その強硬なる措置によって勢力内の人心を改めることには成功した。
処分が終わると、鄭成功は正雪を訪ねた。
「今回の勝利は、貴方方の助けがあったゆえでございます。不甲斐ない我らをお助けいただき、誠に感謝いたします」
玄関先で自ら膝を屈しての謝意の表明に、正雪も「まあまあ」と上に招き上げる。
「我々にしましても、そのままであればしっかりとした警備を行うことはありませんでした。甘輝殿が注意を喚起してくれたおかげで勝てたのでございます」
「確かに甘輝にも感謝しておりますが、貴殿らの活躍があってこそ、でございます。礼というにはささやかでございますが、鄭芝莞の屋敷一式が空きましたので、そちらを本拠としてご使用いただければ」
「何と」
鄭芝莞は留守を任されていただけあって、その屋敷は厦門の中でも一等地であり、また、全体の見通しの利く場所でもあった。この屋敷を使っていいということは、「厦門市内の防衛や管理について広く任せたい」ということも意味している。
「私は当面、海上のことに集中したいと思います。陸については由井先生に任せます。もっと早くこうすべきでありました」
鄭成功はそう言って、再度頭を下げるのであった。
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