第7話
寛永四年、永暦にすると五年となった。
正月の祝賀もそこそこに、鄭成功は主だった面々を連れて広州を攻めるべく向かっていった。
その防備を鄭芝莞が行う。
この鄭芝莞という人物、ある意味では鄭聯と似ていた。酒に目がないのである。厦門の防備を任されて以降も、毎日のように酒を飲んでいた。
「なるほど。甘輝殿はこれを危惧していたのか…」
建物のそばを歩くだけで、騒いでいる声が聞こえてくる。
「大事を行っているのに酒を飲むなど信じられんな」
隣を歩いているのは戸次庄左衛門であった。正雪としては丸橋忠弥か金井半兵衛と組みたいのであるが、対抗意識を持たれているらしく、ついてくると言って聞かない。
「というより、我々は江戸では酒に逃げようにも酒を買う金も満足になかったからな」
「…左様であるな」
苦労してきたという点では正雪も庄左衛門も共通している。
大陸との橋の方まで近づいてきた。この周辺の建物は甘輝がうまく借り受けていて、現在は浪人が三交代制で守っている。
「昼に攻めてくることはないだろう。来るならば、やはり夜だ」
「そんなことは、わしも分かっておる」
庄左衛門が不貞腐れたように言い、大陸の方に目を凝らす。
「あいつらは頼りにならん。我々だけで清軍を押し返すことができるだろうか?」
「…うむ。基本的には、今回は何とかなると思う」
「今回は? どういうことだ?」
庄左衛門の質問に、正雪は苦笑する。
(俺に対抗するつもりなら、そこは自分で考えろよ)
そう言い返したいのも山々であったが、ここで庄左衛門と喧嘩をしても誰も得をしない。むしろ、加藤明成や柳生十兵衛から苦言を呈されるのは自分なので、損をするといってもいい。
庄左衛門が正雪に文句を言うことは「まあ、あ奴はああいう男なので仕方ない」なのに、その逆は「正雪ほどの男が、あんな男に本気になるなど大人げないではないか」である。これは納得がいかない。
「清軍はまだ、我々がいることを知らない。であるから、我々がいるということが奇襲になりうる」
「前回の戦いにも関わらず、まだ気づかぬか?」
「ああ。前回の連中とどこで戦った? 潮州や梅州とここ厦門の距離がどれだけあると思っている? 同じ兵士が来ると思うか?」
「来ないだろうな」
「向こうが気づくとすれば、この厦門の中に外の清軍と内通している者がいる場合だ。ただ、今のところその心配はしなくていいと思う」
「何故?」
(だからそういうことは自分で考えろよ…)
考えをめぐらさずに、軍略で対抗したいなどと言われても甚だ迷惑である。
「はぁ…。こちらにいる方が基本的には儲かるからだ。交易の見返りなど諸々あるからな」
「なるほど。そういうことか」
「故に、今回は我々だけの力でも勝てる」
正雪は力強く言った。
清側はどうか。
清の福建巡撫の張学聖は、
もっとも、攻略できると思っていたわけではない。「鄭成功がいないのだから、留守を突け」と伝えられたので、そのままにかかっているだけである。
三万の軍勢を編成して、鄭成功が厦門を出港したという情報を得ると陸側から厦門に迫った。
馬得功の軍は、厦門のすぐそばまで進軍してきた。
「城内がどうなっているか、ちょっと見てこい」
三十騎の騎兵に中へと向かわせた。これが何人になって戻ってくるか、それをもって厦門の防御の固さを計ろうとしたのである。
厦門の城内からは清軍接近の様子ははっきりとはうかがえない。
しかし、城の近くで警備をしていた浪人の一人が、夜の闇に漂う明かりに気づいた。何もないはずのところに明かりがあるということは、すなわち敵兵が接近しているということに他ならない。
警備の浪人はすぐに正雪に伝えた。正雪は、三人ほどの福建語ができる者を呼び出した。何かあった時に浪人側から鄭氏幹部に伝えられるよう、あらかじめ用意していたのである。
「敵襲の可能性があるということを、鄭芝莞殿に伝えてくれ」
三人は頷いて、館の方へと向かった。おそらく本日も宴会がなされているだろう館に。
「さて、まずは冷静に状況を確認しよう。せっかくだから、なるべく多く討ち取りたい」
「おう」
魚心あれば水心、忠弥はにやりと笑った。
厦門の城内に入った清の騎兵を見た城門近くの兵士は仰天した。
「て、敵だぁ!」
と叫ぶなり、逃げてしまった。それが連鎖的に反応し、鄭氏の兵士は大混乱と陥る。
総大将の鄭芝莞は酒宴のさなかである。四半刻ほど前にやってきた正雪からの使いに対しても。
「清が来た? そんな馬鹿なことがあるものか」
というものである。
更に城門近くの兵士が駆け込んでくるにつけ。
「いかん! 財宝を持って海にでなければ!」
と叫んだ。総大将がはなから逃げ腰では話にならない。酒宴が中断され、我も我もと逃げるような状況になる。
清の騎兵もびっくりした。偵察のつもりで上陸したところ、相手が大混乱に陥ったのだから。
当然のように城外に連絡し、更なる味方を迎え入れようとする。
もちろん、彼らは城門近くに、息をひそめて清軍を虎視眈々と狙っている存在があることに全く気付いていなかった。
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