第6話
ドルゴンはこの年の夏以降、病気がちであった。
医師からまとまった休養を勧められても受け入れない日々が続いていた。まだまだ片付けなければならないことが山のようにある。フリンとの関係、他の一門衆、明の残党の処理。
そんな中で十一月、ドルゴンは皇帝フリンと満州族の重鎮を引き連れて、北京の北東で狩猟を行うこととした。
狩猟というのは名目である。実際はこの地方に作るべく離宮の下見に訪れていたのであった。もっとも、当地につくと予想外に体調が辛い。それでも何とかなるだろうと十二月九日、狩猟には出ていたが、そこでも考えることは政治のことがほとんどである。
考えながら走っていたせいか、あるいは不慮の何かがあったか。
「うっ!?」
馬が突然体勢を崩し、ドルゴンは落馬した。
膝をつくような形で地面に落ち、次いで体全体が落ちる。
「睿親王!」
多くの廷臣が慌てふためいて駆け込つけてきた。
「…考えながら走っていたのが良くなかったようだ」
ドルゴンはそう誤魔化し、軟膏を塗ると、以降の予定を取りやめてハラ・ホトンの離宮へと移動した。
そこで容体が急変した。
急激に熱があがり、発汗が止まらなくなる。
慌てて呼ばれた医師が首を横に振った。狩猟も中止となり、フリンが急いで戻ってくる。既に話ができるようでない叔父に対して、冷めた視線を向け、部屋を出た。
程なく、睿親王ドルゴンの死去が発表された。三十九歳。
「睿親王の偉業をたたえて、成宗という廟号を送りたい」
すぐに順治帝のそばから声明が出された。
しばらくして、北京に妙な噂が流れた。
「ドルゴンが落馬したのは、イノシシに体当たりされたことによるらしい。甥の皇帝をないがしろにしていた祟りなのだ」
「いやいや、ドルゴンはそれほどの負傷ではなかったが、皇帝に近い侍医が毒を塗ったことにより、容体が急変して死んだということだ」
取るに足らない話ではあるのだが、順治帝も別に否定はしない。そのため、噂は次第に広がって行った。
いずれにしてもドルゴンが死に、順治帝の親政が始まることは確実なものとなったのである。
もっとも、これが明の残存勢力にいい方に働くということはない。
「諸将らは引き続き反清活動を行う者達を圧し潰し、その忠誠を朕に見せること」
ドルゴンが死んですぐ、順治帝からは南方の諸将に対する督戦の詔が出された。
こうした情報が尾ひれをまとい、厦門にもたらされた。
もちろん、鄭成功はこれを好機と捉える。
「睿親王が死んだとなれば、悪くても現状維持、良くなれば清の勢力が混乱する可能性がある。つまり、今ほど仕掛けるに適した時期はないということだ」
「確かにそうです」
「桂林に広州を落とされたが、ここから反攻をするぞ。両地を取り返し、陛下を広州にお迎えするのだ」
鄭成功の意気は高い。
しかし、そうした様子を不安そうに見る者も少なくはなかった。
厦門の街の一角には由井正雪、加藤明成をはじめとする日本からの浪人が利用する一角もあった。
十二月二十日、この一角に鄭成功の腹心甘輝が通訳を伴って姿を現した。
「何、甘輝殿が通訳を伴って?」
夕方、甘輝が訪問してきたという報告を受けた正雪は首を傾げる。これまで、言葉が直接に通じないということが理由に直接のやりとりをしたことはない。今回に限り、直接訪れたということはどういうことなのだろうかと。
「…通してくれ」
とはいえ、無碍に追い返すという選択肢はない。
甘輝が通訳として連れてきたのは、日本からの付き合いもある庄五郎であった。これはやりやすい、正雪は内心でそう考える。
「今回参りましたのは…」
その庄五郎が通訳を始める。
「貴殿ら、日本からの援軍にこの厦門を守っていただきたいからです」
「…元々そのつもりでございますぞ」
広州攻撃については、船団を大っぴらに出すという話を聞いている。海での戦いは鄭成功直属の軍の方が強いということはよく分かっているし、潮州、鄭聯暗殺に日本浪人が活躍したこともあって、鄭軍に「負けていられぬ」という空気があることも知っている。
今回は鄭軍のお手並み拝見となることは正雪を含めて、浪人達がよく理解していた。
庄五郎から正雪の言葉を聞いた甘輝は「それはありがたいのだが、そうではなく」というような身振りをした。庄五郎が訳す。
「これは内密にお願いしたいのですが、公がこの厦門の守りを任せた鄭芝莞と鄭鴻逵には不安があります。特に鄭芝莞は近年、鄭聯同様に酒に入り浸りとなっており、まともな守りができない恐れがあります。貴殿らの活躍もあり、鄭軍全体が上昇気流に乗っているのですが、一方で足元がおぼつかない思いをしている者がいることも事実。今、無用な失敗をしてほしくはないのです」
「なるほど。そういうことであれば、我々も思いは同じでございます。諸将の中に浮かれている者がいるという危惧も、間違っているとは思いません。承知いたしました。我々がしっかり守ることをお約束いたしましょう」
庄五郎の通訳を受けて、甘輝が満面の笑みを浮かべて、両手を出してくる。その両手を握り、お互い強く健闘を誓いあう。
(いい家臣がいる…)
言葉も通じないが、主君への思いは同じである。
甘輝の期待を裏切ることはあってはならない、正雪は強く心の中で誓った。
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