第3話

 十日後。


 鄭子龍が再び王城へとやってきた。


「どうだ?」


「…強いて言うならば、日本の浪人衆でありましょうか?」


「浪人衆?」


「はい。日本は鎖国を敷いておりまして、現在、人の行き来はないのですが、以前は唐人や紅毛人との子供などが追放されることがございました。ひょっとしたら、日本を追放された者が成功を頼ったのかもしれませぬ」


「その浪人というのは、強いのか?」


「はい。強いです。中国に渡った者はほとんどおりませんが、例えばルソン、タイ、バタヴィアでは活躍している者が大勢います」


 鄭子龍は、タイで活躍した山田長政やまだ ながまさなどの事例を説明した。


「なるほど。日本は強いようだな」


「はい。もし四年前、日本が我々に協力してくれていたら、今、この場では逆であったかもしれません」


「それほどか」


 ドルゴンは腕組みをした。


 鄭芝龍は多分に大風呂敷を広げることがある、とは聞いている。しかし、今の話をするときの表情に誇張のようなところは見られない。いや、実際にかつて戦っていた時には信じていたのであろう。


「このまま南洋を放置していた場合、傭兵共がどんどんやってくる可能性があるということか」


「…成功は、私よりも漢族の士大夫といった風格の人物です。傭兵に頼るということは本来本意ではないと思いますが」


「だが、おまえの言い分では、既に浪人と思しき味方を雇い入れているということだろう?」


「はい」


「一人雇ってしまえば、何人雇っても同じではないか」


「左様でございますな。私でもそうします」


 鄭芝龍は悪びれる様子もなく頷いた。


「一つ聞きたいが、仮に我々が海岸部の住民を内陸に移るように命令をしたら、どうなると思う?」


 ドルゴンの問いに鄭芝龍はけげんな顔をした。


「つまり、奴らの商売範囲を狭めることで干上がせる」


 鄭芝龍は大笑いした。


「睿親王閣下。貴方様は陸に関しては天下一と思いますが、海に関しては何も分かっておりません。そもそも、そのような指示を出したとしても、賄賂さえあれば簡単に禁は破れてしまうでしょう」


「むっ…」


「もちろん、多少は影響があるかもしれませんが、それをすれば成功らは長江や華北のあたりに拠点を作り、下手をすれば朝鮮まで行くかもしれませんぞ。朝鮮の人にまで内陸に行くように命令なさるおつもりか?」


 朝鮮はこの時代、清に服属していた。だが、それ以前はというと豊臣秀吉の朝鮮の役の時からも分かるように明に忠誠を誓っていた。


(確かに、今、朝鮮の機嫌を損ねて、また明の側に走られても困る)


 結局、結論が出ないまま、鄭芝龍を下がらせて、またしばらく思い悩むことになった。




「睿親王」


 不意に後ろから声をかけられ、ドルゴンは振り返る。


「これは陛下…、このようなところに安易に姿を現されては…」


 順治帝ことフリンがドルゴンの執務室まで出て来ていたのである。あまりにも不用意ではないか、ドルゴンはそう思った。


「おまえともう一人の話が面白かったので、な。聞き耳を立てるような真似をしてすまぬが、ついつい聞かせてもらった」


「左様でございますか」


「で、朕はふと、明の話を思い出した」


「明の話ですか?」


「うむ。かつて、明は遠く西の方、インドやアラビアの先まで船団を出していたという」


「…それは存じ上げませんでした」


 どうやらこの少年は、自分以上に漢文化や知識に関しては上を行っているらしい。


鄭和てい わという宦官が率いていたようだが」


「…ここでも鄭氏でございますか」


 つくづく、海は鄭氏が好きらしい。ドルゴンは嫌気がさす。


「その威容たるや、世界がひれ伏すと言われたほどのものらしい。それをなした皇帝を知っているか? 成祖せいそ永楽帝えいらくていである」


「…永楽帝のことは多少存じておりますが…」


 明の三代皇帝。明の太祖たいそ洪武帝こうぶていの四男であり、甥の二代皇帝建文帝けんぶんていを弑して登位し、明の都を南京から北京に移した皇帝である。


「永楽帝はな、モンゴルの血を引いているという噂があるらしい。だからこそ北の平原にまで北元を討ちに行き、鄭和のような男を海に派遣したのだと言われている」


「左様でございましたか…」


 と答えて、ドルゴンは何故フリンがこのようなことを言ったかに気づいた。


(フリンは、我々満州族に同じことができるのかと考えているのだ)


 モンゴルも満州も漢民族にとっては塞外の異民族という扱いである。しかし、モンゴルは元を作り、海洋国家を築き上げた。また、フリンの話が事実であれば、永楽帝のような皇帝に遥か彼方までの征服事業をなさせようとした。


 モンゴルに出来たのであれば、満州族にも出来るのではないか?


 陸はもちろん、海の彼方まで…。


 それは非常に刺激的な発想であった。

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