第2話

 清の南明に対する攻勢は、鄭成功の領域以外については順調であった。


 現在、皇帝永暦帝がいる桂林には、孔有徳が攻撃をかけていて、落城は時間の問題と言う報告を受けている。また、南澳や厦門の西にある広州も内応の約束を取り付けているということでこれも時間の問題であった。


(桂林を落としたとしても、皇帝は捕まえない方がいいのかもしれん)


 ドルゴンにそうした考えもチラと頭を過ぎる。


 南明などといっても怖いのは鄭成功一人である。永暦帝の下にはさしたる人材もおらず、軍もいない。彼らはキリシタンであるため、遠くローマまで援軍要請の使節を送っているらしいが、そんな遠くから援軍が来るというのは現実的ではない。


(皇帝を捕まえたら処刑するしかない。そうなると、恐らく鄭成功は代わりの皇帝を立てるだろう。その方が厄介かもしれん。いや、一番厄介なのは明の皇帝を諦めて独立されることだ)


 仮に鄭成功が独立してしまった場合、それこそ台湾とも日本とも結びつく恐れがある。


(今の皇帝を逃がして、どこかから救援要請でも出させれば鄭成功の軍を縛り付けることもできる。皇帝は逃がした方がいいかもしれん)


 しばらくその考えに思いをめぐらし、すぐに頭を振った。


(何を弱気なことを考えているのだ。我ら満州族は人数では劣る。妥協をしてはいけないのだ。強気に、漢民族全員を飲み込むくらいの強気でなくてはならぬ)



 悶々として落ち着かないドルゴンは、気分転換に皇帝の様子を尋ねた。


「学者とともに勉学をなされております」


「そうか…」


 気分転換のつもりで尋ねたのであるが、回答にまた浮かない顔になる。


 順治帝ことフリンは幼少で即位した。というよりも、幼少であるからこそ即位させたといってもいい。幼少の皇帝を補佐するという名目でドルゴンは清の最高実力者になったのであるから。


 とはいえ、いつまでもその立場にいられる保証はない。フリンが成人すれば、いずれ対立する時は来る。自らも有力な親族を屠ってきたこともあり、ドルゴンもいずれフリンに陥れられる可能性があることは自覚している。


 その後が不安なのだ。


 フリンは、幼少で北京に入城したこともあり、漢民族の学者から多くを教わっている。そのため、彼自身漢文化に親しみを感じていた。


 当初は満州皇帝から中華皇帝となるのだから、悪くないことと思ってみていたが、どうやらフリンは漢文化に憧憬を感じるのみではなく、満州文化に敵愾心を持っているらしいことが分かってきた。


 その理由の一端が自分にあることをドルゴンは理解している。それは順治帝の母親に関することであった。



 順治帝の母ブムブタイは、かつてドルゴンと想い合っていたが、それを皇帝ホンタイジが横取りするように奪っていった。その後、ホンタイジが死去したことにより彼女は皇太后となったが、その際にドルゴンと縁りを戻したと実しやかに噂されている。


 実際には、そのようなことはない。しかし、わざわざ否定するようなことはしていない。


(そもそも、時が少し味方してくれれば兄ではなく、俺が父の後を継いだのだ)


 ドルゴンにはそういう思いもある。


 何より。


(俺は母を父の遺言で奪われた。更に、愛する女を兄に奪われた)


 という思いがある。


 ドルゴンが最高実力者として君臨する様を否定する一門もある。しかし、彼にとっては自分が元来あるべき地位なのである。


 奪われたものを取り戻して、何が悪い?


 ドルゴンにとっては、今の立場はそうしたものであった。本来ならフリンを皇帝とする必要もなかったのである。しかし、自分がかつて愛した女の息子であり、また幼児でもあったフリンを虐げてまで取り戻す必要までは認めなかった。だから、彼が皇帝なのである。


 ブムブタイとの現在の関係に、巷間伝えられるような醜聞めいたことはない。せいぜい彼女と時に昔のことを語らう程度である。それすら問題にしようとするものがいる。一体何が問題であるのか。


(それを野蛮な風習などと言う奴らが野蛮なのだ)


 ドルゴンはそう考えてすらいる。だから辮髪も強制した。


「そこまですると、徹底的に満州族に歯向かう者が出てきます」


 と反対する者もいたが、全く意に介すところではない。


(むしろ、そういう奴らこそ、排除したいのだ)


 人間として当たり前の情愛すら、否定するようなことを学問と言うのであれば、そんな学問などない方がいい。大半の人間は学問を尊重しつつも、人間らしさを備えている。学問のことしか考えない者など一部に過ぎない。それは漢民族も満州族も一緒である。



 しかし、フリンは子供の時から漢学者から学んだせいもあるのか、人間らしさを置いていきがちになっているところもある。愛した女の子供という僻目もあるかもしれないが、能力そのものは優秀である。それも逆に不気味である。仮にフリンが専制政治を開始した場合、満州族はどうなってしまうのか。


(何とかしたいのではあるが…)


 最高権力者といえども、何もかもできるわけではない。反清活動は未だに南の方で起きており、その鎮圧のために適切な手を打つ必要がある。フリンはもちろんのこと、他の一門の間にも不穏な火がつかないとも限らないから、内部についても調べなければならない。


(何とか、二、三年くらいでそのあたりを片付けて、フリンと向き合う時間を作りたいものじゃ…。忙しいのう…)

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