第6話

 鄭軍と別れた浪人達は先遣の偵察隊を派遣し、梅州方面へと向かった。


「向こうは目標がはっきりしているが、こちらは相手を探さなければいけない。相手の進軍路が分かれば勝負はこちらのものだ。言ってしまえば、おまえ達が敵軍を見つけられるかどうかが全軍の勝敗にかかわってくる」


 偵察隊にそう言い含めて、十兵衛は送り出した。


 そこから一か月ほど、浪人軍は数手に別れて街道をさまよう。数手に別れたのは、三千もの人数がふらふらしていたのでは、相手に気づかれる可能性が高いからである。


 そうした警戒は七月十二日にようやく報われることになる。


「来ました」


 五里(約20キロ)先で警戒していた者が戻ってくる。


「あいつら、騎兵がほとんどいませんね」


「江南では騎兵は使いにくいということなのだろう」


 十兵衛の指示で、浪人軍は付近の森に隠れる。




 八千人の清軍は最も主要な街道を使って潮州を目指していた。


 相手は水軍である、陸地に入ってきてまで決戦を挑むはずがない。自分達と真っ向勝負をするはずがない。そういう意識が如実に表れていた。


 十兵衛は警戒して軍を展開させていたが、そもそも偵察活動も満足に行っていない。


 七月十二日午前、清軍は潮州から八十里ほど北の地点を南に向けて進軍していた。そのまま、浪人軍らの潜む森近くを無警戒に通り過ぎていく。



「よし、行くぞ」



 十兵衛が先頭を切って飛び出した。それに続いて三千の兵が一斉に飛び出していく。


 清軍は、何が起きたのか全く分からない。指揮官を含めて「何だ、何だ?」と戸惑うばかりである。もっとも、十兵衛達には相手が何を言っているのかは分からないが。


 十兵衛が最初に横切りした時点で勝負あったと言って良かった。


 清軍は雪崩れ込まれた時点でもまだ何が起きたか分かっていない。反撃をしようにも敵味方入り乱れており鉄砲が使えない。そうなると、個々人の力量では浪人軍の方が圧倒的に上であった。


「うおおおっ!」


 特に目覚ましい活躍をしているのが、戸次庄左衛門である。同じく縦横無尽に長刀を振り回している十兵衛がその姿に苦笑した。


「まるで弁慶べんけいのような働きぶりじゃな」


 大柄な庄左衛門が長刀を振り回す先で、清兵が簡単に飛ばされていく。十兵衛に斬られた敵はその場で倒れ伏すが、庄左衛門の長刀を受けた者は吹っ飛んで近くの別の兵も巻き添えにしていた。



 完全に雪崩れ込まれてから、ようやく清兵も「敵襲だ!」ということに気づいたが、その時点では既に乱戦状態であり、指揮官も何を命令したらいいか分からない。しばらく一方的に打ちのめされた末に、ようやく「逃げるしかない」という選択に至った。


「逃げろ!」


 指揮官か叫び、一斉に周りから「逃げろ」という声があがる。


 でも、どこに?


 完全に乱戦状態となっている中、それほど広くない道で清軍は個々に逃げ道を探し、個々に思い思いのところに走る。


 絶対に回避しなければならない場所が三か所あった。両刀で刀を振り回す隻眼とおぼしき男と、長刀を振り回し雷鳴のような雄叫びをあげている男、無言のまま正確無比に槍を急所に突き続けている男である。この三人、それぞれが次第に距離を開け始めており、道の上を逃げるとなると、回避するのは難しかった。


 となると、森の中にでも逃げ込むしかない。事実、多くの者がそちらに逃げ始める。



 四半刻ほどで戦いは終わった。


 清軍は綺麗に逃げ去り、道には不幸にも逃げられなかった者達が倒れている。その死者は百人程度であるが、負傷者は千二百人を超える。森に逃げて戻らなかった者もほぼ同数おり、全滅と言っても差し支えない被害であった。


 一方の浪人軍であるが死者は三名、負傷者も三十名程度であった。負傷者のうちの数名は、戸次庄左衛門が吹っ飛ばした敵軍に巻き込まれてのものである。


 完勝といってよかった。


「敵は逃げたぞ!」


「うおー!」


 三千人の浪人が吠える。


 日陰の人生を歩み続けなければならなかった彼らの人生が覆された瞬間であった。



「し、施琅様!」


 伝令を任された両方の言葉が出来る若者は、三日間走り通して、浪人軍のところから潮州を包囲している施琅の下に駆け込んだ。


「に、日本…ゲホゲホ!」


 興奮したまま走り通しのうえに、いきなり叫ぼうとして激しく咳き込む。


「阿呆。休みくらい取らんか」


 施琅は呆れた様子で、配下の者に水を持ってこさせる。伝令はそれを三口ほど飲み込み、大声で。


「に、日本軍の清軍への攻撃は大成功! 清軍は四散して逃亡していきました!」


 周りから歓声が上がったが、施琅は落ち着いて「そうか」と頷いた。


「施琅様、随分と落ち着いてますな?」


 部下の言葉に、施琅は呆れたように伝令を指さした。


「いや、もちろん報告は嬉しいが、こいつの駆け込んだ顔を見ていれば、良い知らせであることは一目瞭然じゃ。ま、それはそれとして、潮州の連中に教えてやれ。頼りにしている清軍は来ないようだ。我々は援軍と一緒にこれから攻めてやろうと思うが、どうするつもりだ? と」


「了解!」


 鄭軍の罵声により、城内の兵士は意気を砕かれた。


 八月を前に、潮州は開城し、郝尚久は降伏することになる。

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