第3話
「南海を支配…」
それは鄭成功には全くない発想であった。
出自だけを考えればその発想がないというのは奇妙である。海商であり海賊でもある鄭子龍の息子として生まれ、かつ日本という違う国に生まれた立場だから。
しかし、彼は南京の
「清は陸の国でございます。南の海を支配すれば、手は出せませぬ」
正雪の発言に、彼はしばし考えこむ。
「…いやはや、中々驚いた考えです」
少し経ってから答えた。
「ただ、私の現状の立場では、乗り出すのは難しい…」
鄭成功はしばらく思案した末にそう回答した。従って、虚勢や強がりではない。
彼の勢力は未だ、父親の勢力の半分に満たない。しかも、彼のその勢力の評判を支えている大きな要素は彼が『
「もちろん、我々は国姓爺の考えを曲げるために来たわけでもありません。それに、台湾・ルソンと簡単に言っても、我々には現地の状況が分からないという現実もございます。従いまして、当面は調査をしつつ、情報収集に励みたいと思います」
「そういうことであれば、協力できる部分は協力しましょう」
と同時に、この者達に素直に現状を伝えてもいいのではないかと思いはじめていた。
しばらく酒を酌み交わし、鄭成功は正雪に話し始める。
「我々の状況についてもお話いたしましょう」
「お伺いしましょう」
「四年前、我々の首領であり、私の父でもあった鄭子龍は清に降りました。現在、鄭氏は二つに別れており、厦門に鄭彩、鄭聯の二人がおります。勢力としては、残念ながらこの二人の方が大きい。私には目に見えた実績がありませんので、部下もすぐについてくるわけにはいきませんし、中々この二人の勢力を引き抜くというわけにもいかない状況にあります」
「引き抜きをかけようとすれば、衝突も生じえます。復明という大事をなすのであれば、同じ勢力同士で争うわけにもいかないでしょう。それに」
「それに?」
「それに、このような言い方はお気に触るかもしれませんが、この南部にいる勢力は日本から見れば、海賊でございます」
「うむ。間違いない」
「しかしながら、北京は中華でございます。いざ復明をなす場合に、この勢力が中核である場合、問題が生じるかもしれません」
「…それは、我々が海賊だからということですか?」
「はい。私の知る限り、明であれ、清であれ、支配者としているのは士大夫でございます。それ以外の者が多いと民が安心できない可能性があります」
「ふむ…」
その発想もまた薄かった。
鄭成功自身は士大夫としての教育を受けてきているので、自分の理想としてあることについては間違っていないという自負がある。しかし、部下はどうか。彼らは頼りになるが、それはあくまで現在の立場ゆえである。彼らが士大夫のような礼法をわきまえているかというと、そのようなことはない。
ならば、人を集めればいいというほど簡単でもない。海賊の部下と彼らが親しくできるかどうかが疑問だからである。また、南京で明の崩壊を目の当たりにした鄭成功には、士大夫階級の腐敗の酷さもよく知っている。
「では、どのようにすればいいでしょうか?」
「そこははっきりと申せません。それがしが知りえたのはあくまで日ノ本から見た、明と清という観点でございまして、現実の明も清も知りませんから」
「…当面、方針を変えるということは難しい。これは間違いありません。少なくとも鄭子龍の勢力を一まとめにするまでは、立ち止まるわけにはいかない」
「はい。しかし、引き抜きをかけず、衝突も起こさずに勢力をまとめることができますか?」
「兄弟のうち、鄭彩は弱気な性格をしております。鄭聯は私のことを嫌っておりますが、その横暴な態度で部下からも嫌われております」
「鄭聯を除けば…ということでございますか」
鄭成功は返答せず、空いている正雪の盃に酒を注いだ。
(いかんな…。少し話し過ぎたかもしれぬ)
酒宴が終わり、それぞれを宿舎に送った後に鄭成功は自分の屋敷に戻った。
「随分と色々話されておられたようですな」
甘輝が話しかけていた。酒宴の間もずっとそばにいたのではあるが、話に割って入ってくることはなかった。日本語がさほど得意でないので、遠慮をしていたのであろう。
「うむ。色々と有意義ではあった」
「ただ、実績がないという点では彼らも同じですぞ」
「分かっておる」
自分にはない考えを持っており、しかも、それが必ずしも無茶苦茶なものではない。そういう点では高い評価を与えても良かったが、理念だけでは事は成し遂げられない。
「向こうは台湾とルソンの調査をするという。その様子を見て、能力の程を確認するというのが良策であろう」
「台湾のオランダ人は、労働力を求めて沿岸に求人を出しておりますから、そこに紛れさせれば状況を探ることは簡単でしょう」
「いずれは、な。さしあたりは鄭聯だ。奴をどうにかせねばならぬ」
「安心いたしました。これで、彼らの言う通りにして今までの行動を一からやり直しとなっては困りますからな」
「いずれ修正はする。だが、さしあたりは進むことにしよう」
鄭成功はそう言って、「疲れたから寝る」と寝室へと向かった。頼れる腹心が今晩中にもう一働きはしてくれるだろう。できれば付き合いたいのだが、遠方からの訪問者との宴会ややりとりによる疲労を跳ね返す気力を、この日は持てなかった。
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