第二章 国姓爺
第1話
三月末、由井正雪と丸橋忠弥の二人は、先遣隊500人とともに長崎へと向かった。
この後、加藤明成に
長崎奉行の馬場利重は一人の男と共にいた。
「飛脚から聞いておりましてな、あらかじめ彼に来てもらっておりました」
と、紹介した男は、僧体をしているが、服装は明のもののようである。
「
「…僧ではないのか?」
「向こうでは、僧のようにふるまっております」
それで正雪も理解した。この人物は幕府の目付のような存在で、海外にも行って目を光らせているのであろう。密かに海外に逃げた者などを報告しているのかもしれない。
「行き先ですが、厦門の先、
「南澳?」
「はい。そこに
「おお、鄭成功か。それがしも彼が有望だと考えていた」
先月、長崎の万からもらった書物は一通り目を通してある。そこにはここに至るまでの明・清双方について書かれており、大要を把握している。
「しかし、お上の目付は海外にもおられたのですな」
「目付というか…」
奉行は苦笑した。
「結局は人の利害よ。海外に行った先で、同胞同士仲良くなる場合もあるが、そうでない場合もある。そうした場合に、仲良くない者を秘密裏に葬ろうとする者がおってのう。そのまま、今後もよろしくと協力関係になるようなものじゃ」
「なるほど…」
「であるので、由井殿もお気をつけなされ…」
奉行はすぐに「冗談である」と付け加えたが、忠弥共々苦笑いを浮かべるしかなかった。
四月一日、船は長崎を出港し、五隻の船で南澳へと向かった。
その船上で、正雪は庄五郎から厦門ではなく、南澳に向かう事情を聞いた。
明に抵抗する勢力のうち、海上でもっとも精強と言われていたのは福建にいる
「ただ、明の残党はここ二年でもますます衰退しておりまして」
「そうだろうな…」
正雪も同意するところであった。
(以前もらったものが三年ほど前までであったが、その時点より更に悪化していると考えるのが妥当であろう)
しかも、明の残党である以上、生き残った皇族の中から皇帝として立てなければならないわけであるが、質の良くない人物が多く、劣勢に拍車をかけていた。
こうした情勢を受けて鄭芝龍は清に降伏することを決意した。
「ただ、それに対して配下の多くが反対をしまして、結果的には鄭芝龍はほぼ一人で清に降伏することとなりました」
「ということは、鄭芝龍の水軍は依然として残っていると?」
「そこが問題でありまして…」
鄭芝龍がいなくなったが、その残党も一枚岩というわけではない。
正雪が見込んだ鄭成功は、鄭芝龍の息子であった。
若いが才気煥発な人物と称されており、皇帝が「朕に娘がいないのが残念だ。いれば、嫁がせたのに」と残念がるほどの人物であった。そこで皇帝は鄭成功に「娘はいないが、朕の姓を与えよう」と朱姓を与えたのである。
この話が世間に広まり、鄭成功は国姓爺と呼ばれるようになり、人気を博することになった。ただ、成功は芝龍の息子ではあるものの、主流というわけではない。年齢が若いということもあるし、彼の母親が日本人であることも影を落としていた。鄭家の中には、「年少なうえ、外国人との子供が我々の統領になるのはいかがなものか」と見る向きも多かったのである。
結局、一族の
「鄭彩はともかく、弟の鄭聯が鄭成功のことを非常に嫌っているようで、内訌を起こすまでには至らないのだが、共同作戦を採るということは難しいようです」
「…ううむ。敵を前にして、一族で争っている場合ではないというのに」
忠弥が歯ぎしりする。
「似たようなことは日ノ本でもよくあったことだ。武田家などを見てみよ」
「ううむ」
「しかし、仲が良くないとなれば、この船が厦門を経て南澳に行くことについては問題ないのだろうか?」
船の中には浪人が乗っており、いかにも怪しい。
厦門で呼び止められ、一戦辞さずという空気になれば面倒である。
「それは大丈夫でしょう」
庄五郎はそのことについてはまるで心配していなかった。
「この船は日本からの船ということにしています。実は鄭成功の弟が長崎におりまして、彼からの手紙も有しております」
「何と、鄭成功に弟が?」
それは正雪の知らない話であった。
「はい。
「それは助かる。ただ、商品と言われてもここにいるのは浪人達だが?」
「ええ。兵士も立派な商品ですので」
「むむっ」
問題にはならないという言葉には安心したが、商品と言われるとは。忠弥と顔を見合わせ、お互い複雑な顔になる。
それにしても。正雪は思う。
海を巡る話は際限がないのだと。
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