第19話 小悪魔編集ちゃんとスイーツ

 さて俺は茶番劇から突然窮地へと追いやられた。


 咲夜を選んでもティアラ氏を選んでも地獄を見ることとなる俺が選んだのは……。


「う、動けない……」


 翌朝を迎えた俺は布団の上で両腕を束縛されていた。右腕にはウェデングドレス姿の咲夜がしがみついて寝息を立てており、左腕にはこれまたウェデングドレス姿のティアラ氏がしがみついている。


 結局、窮地に追いやられた俺はハーレムエンドを選んだ。重婚の認められた国に移住して二人とも幸せにするという決断を下したところ、何かよくわからないが二人とも納得してくれた。


 いや、なんじゃこりゃ……。


 というわけでまあ何とか窮地を脱することができた俺は、翌日もなんとかノルマ以上の文字数を書ききることができ、思っていた以上の成果を上げて無事ツアーを終えることができた。


「じゃあ、ティアラちゃんまたね」


「咲夜ちゃんこそまたねですわ。今度、私の行きつけのカフェにご案内しますですわ」


 どうやら咲夜とティアラ氏はツアーの間にすっかり意気投合したようで、お互いに連絡先を交換して別れることとなった。ホテルの前で俺たちを見送るティアラ氏に手を振ってホテルを後にする。


「新しいお友達ができて良かったっすね……」


「はい、大切なお友達ができました」


 と、咲夜は嬉しそうに微笑んで俺を見上げた。


 さあ家に帰ってまた原稿を進めるか。なんて考えながら駅へと向かって歩いていると、ふと咲夜が俺の袖を掴んで立ち止まった。


「先生、今日はお休みしませんか?」


 と、そんなことを言いだす咲夜。


「お休みって、そんな悠長なことを言っているような余裕はないぞ」


「余裕ならありますよ。先生の執筆スピードは日に日に上がっています。もう折り返しはとっくに過ぎていますし、一日休んでも余裕をもって締め切りには間に合うと思います」


「いや、でもこのまま余裕をもって最後まで書ける保障なんてないし」


 俺は元々原稿が早い方ではないのだ。それにクライマックスに近づけば近づくほど筆は遅くなる。今はまだ余裕があるが、その余裕に甘えている暇なんてないのだ。


 が、咲夜はそんな俺に相変わらずニコニコと微笑みかける。


「余裕がないのは先生の気持ちだと思います。焦ってばかりいたら書けるものも書けなくなってしまいますよ?」


「まあ、そうかもしれないけどさ……」


「一度頭をリフレッシュしましょう。それに私、ティアラちゃんからこんなものを貰ったんです」


 と、そこで咲夜はチケットのようなものを俺に差し出した。そこには『スイーツ天国 全品食べ比べチケット』と書かれている。


「いや、なんだかんだ言い訳を作って、これに行きたいだけだろ」


「そ、そんなことないです。先生は甘い物は嫌いですか?」


 甘い物は大好きだ。けど……この誘惑に負けたら後々痛い目を見るような気がしなくもない……。


 でも、甘い物は大好きだ……。


 と、決断を下せない俺を咲夜が何やら悪戯な笑みで見つめてくる。


「先生、なんでも食べ放題ですよ? パフェもティラミスもフルーツだってなんでも食べ放題ですよ?」


 魅力的すぎる……。だけど、今サボってしまうと、後々大変なことに……。


「原稿は明日でも書けますが、このチケットは今日しか使えませんよ?」


「まあ、たまにはリフレッシュも必要か……」


 俺は甘い誘惑に負けた……。


※ ※ ※


 というわけでホテル近くのスイーツ天国という店に入った俺たちは、お腹いっぱいスイーツを堪能することなった。


 美味い。美味い。どれを食べても美味い。ケーキ、パフェ、さらには贅沢に大きな苺をそのまま食べたりと、これまでの執筆のストレスを一気に発散するように、俺も咲夜もスイーツに食らいつく。


「あむっ……はわわ~美味しいです~ほっぺがとろけそうです~。はい、先生もあ~ん」


 そう言って彼女はフォークでチョコクリームの付いた大きな苺を俺の口へと運ぶ。


「美味い……」


 口の中で苺の酸味とチョコの甘さが広がり、胸が例えようのない幸せな気持ちで満たされていくのが分かった。


 と、そこで咲夜が何やら羨ましそうに俺の前に置かれた餡蜜を見やる。


「それも美味しそうですね」


「ああ美味いぞ」


 と答えると彼女は俺を見上げて「あ~ん」と口を大きく開く。どうやらあ~んをしろということらしい。


「いや、自分で食えよ」


 と俺がそれを拒否すると彼女は素早くスマホを取り出して例の動画を俺に見せつけてくるので、俺は慌てて彼女に餡蜜をあ~んしてやる。


「はわわ~美味しいです~」


 と餡蜜を頬張った咲夜は嬉しそうに頬を両手で押さえた。


 それにしても凄い食欲だな……。


 咲夜の前にならぶ無数の空になった皿に愕然とする。カロリー計算をするととんでもないことになりそうだ。


 少し心配した俺が「あんまり食ったら太るぞ」と口にすると、その直後、脛に激痛が走った。


「痛ってっ!!」


「先生、スイーツ天国で体重の話をするのは、水族館でお寿司の話をするぐらい不謹慎ですよ」


「す、すみませんでした……」


「わかればよろしい」


 と言うと彼女はまたレアチーズケーキの皿へとフォークを伸ばす。


 まあ、彼女は彼女で俺の家に強制的に居候させられて、それなりにストレスが溜まっているはずだ。たまには息抜きも必要なのだろう。


 あいかわらず嬉しそうにチーズケーキを頬張る彼女を眺めながら俺はふと思う。


「なあ咲夜」


「なんですか?」


「お前はこんな生活を続けてて嫌にならないのか?」


「藪から棒なことを聞きますねぇ。私のことを心配してくれているんですか?」


 あらためて考えるまでもないけどひどい話だ。元々編集という仕事はそれなりに忙しいことは知っているけど、にしたって作家の家に居候する編集なんて聞いたことがない。


 彼女は俺の家に来てからプライベートゼロの状態で、働き続けているのだ。俺だったら見ず知らずの作家の家で24時間働くなんて大金積まれてもお断りだ。


「だって三毛猫出版はブラック企業を超えたダークマター企業だぞ? お前にだって自由な時間は必要なんだし、わざわざ作家の家に強制的に居候させるような会社に居座らなくても」


「それって遠まわしな別れ話ですか?」


「いや、別れる前に付き合ってないだろ」


「え? 私のこと酔わせてあんなことやこんなことをしたじゃないですか?」


「おうおう歴史修正主義者か?」


「証拠ならばっちりありますよ」


 そう言って彼女はスマホの画面を俺に向ける。


「あのなぁ……」


 と、俺が呆れていると彼女はふとフォークを置いて紅茶に口を付けた。


「私、三毛猫出版には恩義があるんですよ」


「恩義? あの会社が他人に恩義を感じられるようなことをするとは思えないけど」


「酷い言い草ですね。まあ確かにひどい会社だとは思いますが……」


 どうやら彼女にもあの会社が酷いという認識があるようで少しだけ安心する。


「そんなひどい会社にどんな恩義があるんだよ」


 少なくともあの社長兼編集長のやっていることはめちゃくちゃだ。まあ俺の場合、拾い上げてもらってアニメ化までしてもらっているから一応は恩はあるが、すくなくとも新入社員の彼女が三毛猫出版に感じる恩など想像もできない。


 そんな疑問に彼女はにっこりと微笑むと「秘密です」と可愛らしく小首を傾げた。


「実は私、一度三毛猫出版の面接に落ちてるんですよね~」


「へぇ……それは意外だな」


「まあ経営もかなり傾いちゃってますし、私の能力というよりは単純に新しい従業員を雇う余裕がなかったんだと思いますが……」


「まあそうだろうな。本屋でも隅に追いやられるような会社だし」


 間違いなくにゃんにゃん文庫は業界最弱レーベルだ。あまり関心はしないがあくどいことにでも手を出さないと経営は成り立たないのだろう。


「だけど、何度も何度も社長に頭を下げてなんとか会社に入れてもらったんです。条件付きでしたけど」


「条件付き?」


「はい、先生に新作を書かせることです。どんな手を使ってでも先生に新作を書かせることができれば正社員として雇ってくれるってことになったんです」


 なるほど確かに俺が新作を書けば、少なくとも最低限の売り上げは見込めるだろう。俺はこの2年間一切ラノベを書いてこなかったし、それが実現できるならこれ以上に会社にとって戦力になることはないのかもしれない。


 だが待てよ……。


「じゃあ今は正社員じゃないのか?」


 少なくとも俺はまだ新作を書き上げていない。つまり彼女はまだ社長の条件を達成していないことになる。


 そんな俺の質問に彼女は苦笑いを浮かべた。


「はい、私アルバイトですよ。しかも正式な契約書も交わしていないようなアルバイト見習いのような存在です」


 まあ確かに、俺の家にいる間、ずっと勤務時間として計算したら彼女の日給はとんでもないことになってしまう。どうやら彼女はグレーな形で会社に在籍しているようだ。


 つくづくとんでもない企業だな。


「さすがに他の出版社を当たった方がいいんじゃ……」


 そう彼女を心配すると、彼女はチーズケーキを再び頬張り「まあ先生の新作が無事完結できれば考えます」と微笑んだ。


まあ、それまで三毛猫出版があればいいけどな……。

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