第9話 小悪魔編集ちゃん、幼馴染モード解放

 自宅へと戻ってきた俺は咲夜が夕飯を作ってくれている間の時間を利用して、例のロボトミー執筆法を実践していた。


 確かに集中という意味において彼女の教えてくれた方法は、これからも使えるかなり便利なやり方だ。だが、いくら集中しても10万文字近い文章を書いていると、一度や二度、いや場合によってはそれ以上に、展開に困ることはある。


 そして新作を書き始めて一発目がやってきた。一応プロットは作ってあるが、どうも主人公とヒロインとの掛け合いがしっくりこないのだ。


 15分執筆を開始して10分近く経つというのに文字数が一向に増えない。


 俺は「はぁ……」とため息を吐いてふとモニターから頭を上げる。すると、キッチンでは「♪ふっふふ~んっ!!」とご機嫌そうに鼻歌を歌いながら料理をする制服少女の後ろ姿が見えた。


 彼女のスカートから伸びる健康的な脚を眺めながら、思考を巡らせていると野菜をトントンと切る音が不意に止まった。そして、彼女はこちらを振り向いて首を傾げた。


「タイピングの音が聞こえませんねぇ……。そんなに私の膝裏が気になるんですか?」


 こいつ背中に目でもついてんのか?


「そ、そうじゃねえよ……」


 と、一応否定をして彼女から顔を背ける。


「じゃあどうしてタイピングの音が聞こえないんですか? 一文字でも進めないと間に合いませんよ?」


「わかってるよ……わかってるんだけど……進まないもんは進まない……」


 と愚痴を口にすると彼女は「それは困りましたねぇ」と包丁をまな板に置いて、俺のもとへと歩み寄ってくる。彼女は俺の真後ろに膝をつくとぬっと俺の肩の上に顔を伸ばしてモニターを覗き込む。


「っ……」


 ホント近い……。


 彼女の髪から漂う何とも言えない甘い香りに鼻腔をくすぐられていると、彼女は目線だけをこちらに向けた。


「近い……ですか?」


 どうやら確信犯のようだ。


「わかってんなら配慮せえ……」


 と、彼女を睨んでやるが、彼女は相変わらずの悪戯な笑みを浮かべやがる。


「わかってるからこうやって顔を寄せているんですよ? 私は先生の言葉ではなく先生の心の声を聞いていますので」


「ほう木花編集者は俺の心の声が聞こえると申されるのですか?」


「少なくとも不快ではないと聞こえました。間違っていますか?」


「…………」


 何も言い返さない俺に彼女は満足げにしばらくニヤニヤしていたが、再びモニターに目を向ける。


「で、どうしたんですか? 展開に詰まったんですか?」


 どうやら相談に乗ってくれるようだ。彼女はしばらく俺の原稿を黙読しながら「ふむふむ……」と小さく頷く。


「別に悪くないんじゃないですか? ここからカラメル先生が描いてくださった挿絵のシーンに進めば自然だと思います」


「まあそうなんだけどな……」


 これは渡された挿絵の中から、主人公の部屋……らしき場所で主人公が寝そべってゲームし、そのそばでヒロインが漫画を読んでいるイラストを参考に書いているシーンだ。


 勝手にこれは冒頭の挿絵だろうと推測して主人公とヒロインの関係性を説明するために書いているのだけど、どうも絵に合わせて無理やり書いているような陳腐さが出てしっくりこない。


「なんだか自分の考えている展開はどこか陳腐で、しっくりこない……ですか?」


「勝手に俺の心を読むな」


「クスクスっ……当たってるんですね?」


 ホント怖いこの子……。


「ま、まあそういうことだよ。最初はただお互いを異性として意識していない幼馴染ってぐらいに考えていたんだけど、やっぱり異性として意識させるにはそれなりのきっかけは欲しいところだな」


 と、そこで彼女はパソコンの横に置かれたその挿絵を手に取ると、それをじっと眺める。


「この挿絵だと二人は部屋でゲームをしたり漫画を読んだり、各々やりたいことをやっているみたいですねぇ」


「そうだな。これはあくまで俺の推測だけど、幼い頃からずっとこんな風にお互いの部屋を出入りしているから、少なくとも主人公は年頃の女の子と同じ部屋で二人きりだってことを意識していないんだと思う」


「なるほど……確かに私にもそんな風に見えなくもないですね。お互いに意識をしていないからこそフランクでいられるんだと先生は考えたんですね? ヒロインもあんまり主人公の視線を意識していないようにも一見思えます」


 咲夜の言う通り、この絵では制服姿のヒロインがブラウスのボタンを第二ボタンまで開けて、襟元のリボンもだらんと垂れさがっている。スカートも少し捲れてしまっており、太ももが露わになっている。


 こんな格好をしていても漫画に集中できるのは彼女が主人公に心を許しているからだろう。


「ですけど主人公は本当に彼女を女性として意識していないのでしょうか?」


 咲夜はそこで疑問を口にする。


「どういうことだよ……」


「ちょっとここを見てください」


 と、そこで彼女はヒロインを指さした。


「ん? これがどうしたんだよ?」


「彼女、漫画を読んでますね」


「そうだな。それがどうかしたのか?」


「きっと彼女は男の子の本棚から漫画を抜き取って読んだんだと思います」


 まあ普通に考えればそうだろう。彼女が漫画を持参した可能性もあるが、本棚の本にはご丁寧に一冊本を抜き取ったような隙間まで描かれている。


 だけどそれがどうした?


 疑問を抱きながら俺は彼女の読む漫画を見つめた。と、そこで俺はふと気がつく。


「ん? なんか幼なじみって書いてないか? この漫画……」


「私にもそう読めます。ってことは、彼は幼なじみモノの漫画を持っているってことじゃないですか?」


 そこで俺は咲夜の言いたいことが少し理解できた。


「つまりこいつ幼馴染もいける口なのか?」


「いける口かどうかはわかりませんが、本人も気づかないうちに彼女をどこか女性として意識しているのかもしれません」


 確かにそれはそうだ。なんて彼女の言葉に妙に納得していると、ふと彼女は立ち上がって本棚へと歩み寄る。そして何冊も並ぶ漫画の中から一冊を抜き取るとそれを持って床に女の子座りをした。


「咲夜さん?」


 と、そんな光景を眺めていると、彼女は制服のブラウスのボタンを上から二つ外すとリボンをだらんとさせる。さらにはスカートを僅かに捲って太ももを露わにした。


「咲夜さん……なにやってるんすか……」


「特に意味はありません」


「意味がないとは俺には到底思えないのですが……」


「とりあえず先輩は私のことは気にせず、この絵を参考に展開を考えていてください」


 気にせずにって言われても……。


 とはいえ彼女がやれと言えばやるしかない。モニターに目を向けると再び展開を考えてみる。


 が、


 あーすっげえ気になる……。めちゃくちゃ気になる。


 それにしても相変わらず胸……大きいな。ブラウス越しに彼女の下着のラインがわずかに見えており、それが妙にエロい。


 ってかよくよく考えてみればこいつと俺が知り合ったのは昨日だぞ? 一応、俺だって男なのだ。ほぼ見ず知らずの男相手にそんな油断しきったことしてて大丈夫なのか?


 俺をからかっているのか、なんなのかは知らないけどそんな彼女が少し心配になる。


 と、そこで彼女は口を開いた。


「こいつ胸デカいな……。俺だって一応男なのに、そんな隙だらけの格好で大丈夫なのか? スカートも捲れちゃってるし……。とか男の子だったやっぱり意識してしまいますよね?」


 あーこわ……。俺、こいつの前で一生嘘がつける気がしない。


 と、手に取るように俺の考えを当ててくる彼女に俺が言葉を失っていると、彼女は再び俺のもとへと歩み寄ってきた。


「多分、主人公が考えていることもこんなところだと思います。いくら幼なじみだっていってもこんなに可愛い女の子、いや私をモデルにしたこんなに可愛い女の子が隣でこんな格好していたら意識しますよね?」


 今の言いなおし必要か?


 と、思わないでもなかったが、彼女が俺の心を見透かしたのは事実だ。そしてこの作品に出てくるヒロインのモデルは彼女である……咲夜の前では絶対に認めないけどな。


 となると、このヒロインは油断をしているフリをして主人公の反応を見ている可能性は充分にあり得る。というかそれができなきゃ咲夜をモデルにした意味がないのだ。


 なんだか急に色々と展開が思い浮かんできたぞ。


「関係は昔のままなはずなのに、体はお互いに大人に近づいている。そのアンバランスさを上手く表現できれば、もっと魅力的な文章になりそうです」


 確かにそうだな。当たり前だけど高校生ってのはその辺が不安定なお年頃なのかもしれない。最初はとりあえず主人公とヒロインの関係を説明すればいいか、なんて適当に考えていたけどそんな風に書いてりゃそりゃ陳腐にもなるはずだ。


 2年というブランクを噛みしめていると彼女は俺の顔を覗き込んでくる。


「達樹ってばご両親が出張のたびに私に料理作らせるんだから……。私だって暇じゃないんだよ……。ま、まぁいいけどさ……」


 と、彼女の身体に何かが憑依なさった。


 そんな彼女に俺が黙っていると、彼女はツンと唇を尖らせる。


「そんな真顔で見つめないでください。私だって恥ずかしいんです……」


 どうやら彼女は俺のために幼馴染モードになってくれるようだ。

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