世界にⅠを

落光ふたつ

世界にⅠを

 目の前には、大きな何かがいた。


「あなたはとても悲しい目に会いました。だからせめて、願いを叶えてあげましょう」


 無機質で、けれど慈悲深く、それは言う。

 言葉も何も知らないはずなのに、なぜか私には言われたことが分かった。

 だから、言われた通りに願い事を口にした。


「世界に、私が欲しい」

「分かりました。すぐ叶えましょう」


 願い事はすぐ叶えられた。


「あなたが過ごすはずだった世界に、あなたを用意しました」


 そう言われて差し示されたのは、宙に浮かぶ映像とたくさんの資料。

 映像には、見たことのない、けれど見た瞬間に自分だと分かった女の子が、女性の腕の中で産声を上げていた。


 それから、世界に用意された私は、私が送るべきはずだった人生を順当に送っていく。

 資料には、映像が進むごとにもう一人の私の思考が文字として浮かび上がっていた。

 映像を見れば行動を知ることが出来、資料を見れば考えを知ることが出来た。

 私の全てがここで把握出来たのだ。

 長い時間、もう一人の私を見ていた私に、大きな何かが問いかけてくる。


「どうでしょうか。ご満足いただけましたでしょうか」


 私は答えず、じっと映像を見続けた。


 無邪気に、元気に笑っている私。

 私が得ることの出来なかった幸せを手に入れている私。

 まさに願い通りの光景だ。


 けれどなぜだか、満たされた気持ちにならなかった。

 何でだろう、と映像を見ながら首を傾げる。

 私は何も知らなかった。

 知らないままに、教えてもらえないままにここに来てしまったから。

 そんな私の疑問を察したように大きな何かが言った。


「何かまだ願い事があるのなら、いくらでも叶えましょう」


 やっぱりなぜか、その大きな何かの言葉の意味はすぐに分かる。

 だから私は、全てを知りたくて、新しい願いを口にした。


「世界を、私に欲しい」

「分かりました。すぐ叶えましょう」


 また、願いはすぐに叶えられた。

 映し出される映像は数えきれないほどになり、膨大な資料は海の様に広がっている。


 私は知った。

 世界のことを。

 そこに住むたくさんの人々のことを。

 本当に、たくさん知った。

 幸せも不幸も感情も欲望も歴史も全部。

 人にはそれぞれ違う思想があって、その人だけの人生を歩んでいるのだ。

 そうやって、全てを知って、面倒くさいなと思った。


 世界中ではいろんなことが起きていて、色んな人の考えが色んな風に絡み合っていて。


 面倒くさい。


 私が満たされない理由を得る前に、人々に対して嫌悪を覚えてしまった。

 ふと、もう一人の私の映像に目を戻すと、何があったのか私は元気をなくしていた。

 私は幸せにならなければいけないのに。何が起きたのだろう。

 私が元気をなくしている理由を知るため、資料を見返して過去を探る。


「愛していた恋人に騙されたようですね」


 大きな何かが、私の知りたいことを察して教えてくれる。

 理由が分かった途端、怒りが芽生えた。この感情もさっき知ったばかりだったから、すぐに分かった。

 許せなかったのだ。私が不幸になっていることがどうしても。

 でも、全てを知った私には、その不幸を取り除く術も知っている。

 気づけばいつだって、大きな何かは私の願いを待っているように側にいる。だから私は躊躇わず願い事を口にした。


「世界に、私だけがいい」

「分かりました。叶えましょう」


 三つ目の願いが叶えられ、いくつも浮かぶ映像は全て同じものが映されている。


 世界にたった一人の私。


 幸せな私が不幸になったのは、人のせい。

 だから、不幸にする人がいなくなったら、私には幸せしか残らないはず。

 面倒くさいこともなくなって、より良いはずだ。


 そう思ったのに、なぜだか世界にたった一人の私は泣いていた。

 ずっとずっと。一人で涙を流している。


 そんな私のことが、私は分からなかった。

 全てを知ったはずなのに。

 手元には思考が浮かび上がる資料だってある。

 でもそれを読んでみても、私は私の不幸が分からなかった。


 不幸がなくなったら幸せになるんじゃないの?


 分からなかった。だから私は、映像の中で今も泣き続けている私を指さして、大きな何かに願った。


「ここに、あの私が欲しい」

「分かりました。すぐ叶えましょう」


 私の願いで現れた私は、やっぱりずっと泣いていた。

 資料に浮かぶ文字は、世界で一人になってからずっと同じことばかり。

 だからそんなものは放り捨てて、私は私に聞いてみる。


「あなたの願いは何?」

「私に、愛が欲しい」


 そう言って、また私は泣いた。

 けれどやっぱり、私は私が理解できなかった。


「あんなの私じゃない」


 私とは違う考え。私とは違う願い。

 見た目が一緒で、考えを知っていても、私じゃない。


「私じゃない私はいらない」

「お気に召しませんでしたか? それでは次の願いは?」


 大きな何かがまた願い事を聞いてくる。

 だから私は今度こそ、と私の願いを言った。


「世界に、私が欲しい」

「分かりました。すぐ叶えましょう」


 目の前で泣いていた誰かは、既にいなくなっていた。


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