二十七 焼却炉
「うああああっ!」
気が付くと、私は短い悲鳴を上げながら、顔からサングラスを勢いよく毟り取っていた。
「はっ、はっ、はっ……」
震えながら、肩で息をしながら、目の前の誰もいない虚空を見つめる。
……今のは、何だ?
シラカダ様と手を繋いだ瞬間、目の表面に電流が走ったような感覚があって、気が付いたら、視界いっぱいに、誰かの視点が映し出されて、まるで自分が、その誰かになったように、思考と感情が流れ込んできて――いや。
誰か……。
恐る恐る、サングラスを掛け直すと、そこには―――。
「……陽菜ちゃん?」
名前を口にした瞬間、サングラスの暗い視界の中にゆらめいていた不定形の白い影が、段々と輪郭を得ていき――はっきりと姿が認識できるようになった。
それは、確かに陽菜ちゃんだった。あの頃のままの、首にピンク色の小さなポーチをぶら下げた、小さくて可愛らしい姿。だが、なぜか、顔だけが見えなかった。まるで、モザイクをかけたようにぼやけていて、表情が読めない。
「な、なんで、どうして……」
シラカダ様ではなく、陽菜ちゃんがここに……。
頭が、酷く混乱していた。目の奥がピリピリと痺れて、目眩がした。吐き気を催し、思わずサングラスを外して、その場にへたり込む。
「う、ううっ……」
手の中に弱々しく握り込んだサングラスを見つめる。
これの力、とでもいうのだろうか。これが、レンズ越しに、私に悪夢を見せたのだろうか。
……悪夢?
頭の中が、ぐわんぐわんと揺れ始めた。
あれは、あの経験は、いや、そんな、まさか、でも。
それを、認めてしまったら―――。
——―キィ……キィ……
顔を上げると、入り口の扉の片側が小さく揺れていた。
いつの間にか、キンッ、キンッ、という霊虫の鳴き声が止んでいる。
それが差す意味は―――。
よろよろと立ち上がると、扉へ向かった。震える手でどうにか靴を履き、ふらふらと外へ出て石段を下りると、サングラスを掛けて、辺りを見渡す。
どこだ、どこに……、
「あっ……」
左手に、お社の後ろの方へ音も無く歩き去っていく陽菜ちゃんの姿を見つけた。が、すぐに建物の影に隠れて、見えなくなってしまう。
「ま、待ってっ」
慌てて追いかけたが、なぜか陽菜ちゃんの姿が無かった。まるで、煙のように消え失せて――と、奥の方、ブロック塀で造られた焼却炉の傍に佇む陽菜ちゃんの姿を見つけた。
それを待っていたかのように、陽菜ちゃんは焼却炉の方を向いたかと思うと、またその影へと姿を消した。
「……っ」
私は導かれるがままに、そちらへ向かった。頭の中に浮かぶ暗い思考を、必死に押さえつけながら。
そんなはずがない、そんなはずが―――。
うるさいほどに鳴き喚いているセミの声が、遠くなっていくのを感じた。真夏の昼一番らしい熱気に炙られているのに、身体の芯の方が恐ろしいほど冷えていく。冷たい汗が、ぬらりと首筋を伝う。
ブロック塀で造られた、ちょっとした小屋ほどの大きさがある焼却炉は、上部がかまぼこ型の鉄板をかぶせたようになっている。正面に短い石段があり、その先の壁に窓のように、錆びついた扉がはめ込まれている。あそこから藁を投げ込み、中で燃やす仕組みなのだろう。
よく見ると、扉の取っ手には南京錠が取り付けられていた。それは大して錆びついておらず、ここ何年かの間に取り付けられたような印象を受けた。
なぜ、鍵を掛けてあるのだろう。中に落ち込まないようにする為だろうか。ここは人が滅多に寄り付かない――ましてや、そんなことをしでかしそうな子供が入ってはいけない場所なのに。
疑問に思いながら横を通り過ぎ、焼却炉の後ろを――覗いたが、そこに陽菜ちゃんの姿は無かった。あったのは、炭の欠片と小石が汚らしく散らばったコンクリートの地面と、立てかけてある錆ついた灰掻き棒とスコップ。
——―キンッ、キンッ……
突然、霊虫が鳴き出したかと思うと、ガラン……と、立てかけてあった灰掻き棒が、私の方に向かって倒れた。とても偶然とは思えない倒れ方で。
よく見ると、焼却炉背面の下部中央が、ぽっかりと歯抜けのようにブロック二つ分空いている。どうやら、そこから灰を掻き出しているらしい。
——―キンッ、キンッ……
何をするべきか、分かった――いや、言われたような気がした。かがんで灰掻き棒を掴むと、先端を穴の中へ入れ込む。ぼふぼふと、板状の先端が灰の中へうずまっていく。長いこと掻き出されていないのか、中には大量の灰が詰まっているようだった。
と、その時、不意に灰搔き棒が、クンッと中から引っ張られた。
「ひっ……」
思わず、手から灰掻き棒を放した。ガラン、と地面に落ちた灰搔き棒は、ズリリリ……と微かに動いた後、動きを止めた。
恐る恐る掴み直し、それを引っ張った。ゴリゴリゴリ……と、灰掻き棒が一山の灰を引き寄せてくる。
——―キンッ、キンッ……
霊虫の鳴き声が響く中、その辺に落ちていた小枝を使って、灰の山を崩した。まるで、何かに操られているかのように、取り憑かれているかのように。
灰の山がいともたやすく、はらはらと崩れていく。あっという間に平たくなり、散っていき……ふと、何かが小枝の先に当たった。
地面を薙ぐようにして、ズリズリとそれを灰の中から引きずり出すと、サングラスを外して眺めた。
……小石と、焼け焦げた金属片?
灰にまみれたそれらは、そのように見えた。正体を暴こうと、二つとも摘まみ取り、フッと息を吹きかけて灰を掃う。すると―――、
「…………あ、ああっ」
それらが何なのか気が付いた瞬間、二つとも地面に落としてしまった。
手が、がくがくと震えたせいで。
「う、あ、ああっ……」
先程から頭の中に浮かんでいた暗い思考、絶対に認めたくなかった悪夢的思考が、めきめきと嫌な音を立てながら、確信に変わっていくのを感じた。
「そ、そんなっ……」
地面に落ちたそれら、小石と焼け焦げた金属片だと思っていたそれらの正体は―――。
「い、いやっ……」
小さな歯が三つ並んだ、明らかに人間の、それも幼い子供のものと思われる下顎の骨の欠片と、陽菜ちゃんがいつも首から下げていたポーチに付いていた、蝶々の形のバッジだった。
「いやあああああっ!」
私はか細い悲鳴を上げると、弾かれたようにその場から逃げ出した。
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