二十五 お社の中

 一歩、二歩、踏み込むと、背後でギイッ……バタン……と、扉が閉まる音がした。途端に、視界があまりにも暗くなったので、一旦サングラスを外して中を見渡してみる。

 四方の壁上部ぐるりに設けられた格子戸から差す光が、ぼんやりと内部を照らしていた。二十畳はありそうな、広々とした全体が黒茶色の板張りの一間。天井が無く、柱や梁が剥き出しの構造は、なんとなく想像していた通りだった。

 だが――左右の壁には、まったく同じ構造で造り付けられた、腰ほどの高さに天板がある棚があった。そして、その上には、木槌やノコギリ、鎌、小ぶりな鉈、薪割りに使うような丸太台に、何に使うのかよく分からない棍棒のようなものや、L字型の木板などが、やけに仰々しく並べられていた。一筋縄を作る時に使う道具だろうか?

 そして、中央辺りに、何やら様々な物がごちゃごちゃと寄せて置かれていた。そこへ行こう――として、爪先がカツンと何かに当たる。

 足元を見ると、入り口側だけ、床が数センチほど低く造られていた。いや、ここを除いて、床板が重ね張りされているのだろう。その証拠に、外の縁側と地続きのここだけ、やけに床板が古めかしい。

 ここで靴を脱げということか。鳳崎は土足であちこち歩き回っていたようだったが……。

 見た感じ、床は綺麗なものだった。きっと掃除が行われたのだろう。所々に染みや傷は見受けられたが、埃一つ落ちていない。

 安心してスニーカーを脱ぐと、キシキシと床を鳴らしながら、そこへ向かった。

 まず目に付いたのは、並べられている二つのお膳だった。恐らく、公民館で使われているのと同じものだ。上にはそれぞれ、徳利型の白い花瓶に、漆塗りの盃、平皿、藁半紙などが置かれている。

 その向こうには、畳二枚分はありそうなむしろが敷かれていた。中に綿でも詰められているのだろうか。随分と分厚く作られている。

 その筵の左右には、丸い藁座布団が並べられていて、その合間を縫うように、黒光色をした、やけに仰々しい大型の蝋燭立て——燭台がいくつも置かれていた。仏具の燭台をそのまま巨大化したような意匠で、上には太い蝋燭が挿されている。

 何だ?これらは……。

 普段から、ここに置かれているわけではなさそうだった。どれも、埃を被っていない。つい最近、ここではないどこかから持ち寄られたような印象を受ける。

 今日行われるサトマワリ――夕の儀の際に、使うのだろうか?村を行進した後、男の人たちだけがここに一年の務めを果たした一筋縄を納めに来るはずだが、一体どういう用途があるのだろう?

 疑問に思ったが、それらを眺めている内に、いつしか肩の力が抜けていた。

 かなり身構えていたが、今の所は、特段恐怖を感じさせるようなものが見当たらない。別に、あったところでおかしくはない物ばかりだ。

 ふうっと息を吐く。幼い頃から、立ち入ってはいけないと聞かされてきた恐怖の領域だったが、いざ立ち入ってみれば、なんてことはなかった。

 できれば、このまま何も――と、その時、奥の壁の中央に格子戸があるのに気が付いた。そこだけ、壁が出っ張ったようになっていて、その左右には横の壁と同じように棚が造り付けられていた。上にはやはり、木槌などの道具が並んでいる。

 おずおずと格子戸の前まで向かってみると、格子の目が粗く、奥側が透けて見えた。そこには、祭壇らしきものがあるようだった。

 祭壇……祀る……。

 ハッと息を呑み、半歩ほど後ずさった。

 この向こうに、シラカダ様が……?

 気が付くと、無意識にポケットの中に手を入れていた。震えながら、中の竹筒を握りしめて――あっ。

 そうだ、この中に入っている霊虫は、怪異が近くにいると、鳴き始めると言っていたではないか。

 お社に入っても、目の前にしても、鳴き声らしき音は聴こえていない。となれば、鳳崎の言う通り、危険は無いのだろうか?

 ……大丈夫、きっと大丈夫。

 格子戸の前に立つと、左右の取っ手に手を掛け、キイイ……と開け放した。

 その、二畳ほどの空間の中に設けられていたのは、やはり祭壇——というよりは、神棚のような趣きの代物だった

 まず、手前に見覚えのある長持があった。サトマワリの際、石段の下へ降ろされて、中から枡や奉納米などを取り出す、あの長持。

 その上に、8の字を横向きに描くようにして、一筋縄がぐるぐると置かれていた。これは後から置かれたものだろうが、長持自体は恐らく、ずっとここに置かれているのだろう。中には奉納米が納められているはずなのだから。

 その向こうには、長持よりもやや高さがある、一面に恭しく白い布が敷かれた造り付けの台があった。手前にはカシラ杖が、まるで日本刀でも飾るかのように丁重に置かれており、その奥に神棚さながらの組木細工が鎮座していた。が、それは明らかに、自分の家にある神棚の様相とは違っていた。

 米や水を供える為の小皿や小壺が並んでいるのは同じだったが、両脇の仰々しい花瓶に、なぜかさかきではなく、馬酔木の枝葉が生けられていたのだ。

 なぜ馬酔木が……。昔、祖母に教わったことがある。神棚には榊しかお供えしてはいけないのだと。その理由は忘れてしまったが、仮にも神様を祀っているはずなのに、なぜ榊ではなく、馬酔木が供えられているのだろう。

 その上、組木細工の中央、神棚ならば丸い神鏡が備えられていそうな場所に、なぜか台座があり、そこに乗せられている物には、白い布が掛けられていた。

 これは……位置的に、御神体だろうか。

 だが、なぜ御神体に白い布が掛けられているのだ?まるで、目隠しでもするかのように……何か、理由があるのだろうか?

 手を伸ばし、白い布の端を掴んだ。

 ……危険は無いはず。きっと、大丈夫だ。

 覚悟を決めて、するすると白い布を取り去った。そこには、

「……っ」

 と目が合った瞬間、言い様のない感覚がぬらりと背中を這った。

 仮面、だった。額立てのようなものに飾られていたそれは、全体が不気味なほど白く、目の部分に、縦に細長い切れ目の覗き穴がある、まるで……蛇が真正面から睨んでいる様を模したような仮面だった。

 別に、禍々しい見た目の物ではなかった。特別な意匠も無く、質素に作られている、白塗りの、恐らく木彫りの仮面——だというのに、腕に鳥肌が立ち、額に冷たい汗が滲むのを感じた。

 まるで、本当に蛇から睨まれているかのような……これが、シラカダ様の御神体なのだろうか?ということは……。

 外していたサングラスを、顔の前に持って行き、つるを開いた。

 これを見れば、すべてが分かるのだろうか?

 震える手で、恐る恐るサングラスを掛け、仮面を――見た。

 …………何も、視えない?

 視界が暗くなっただけで、白い仮面は何の変化もなく、そこに存在していた。

 なぜ、どうして。これが、この朽無村に隠された謎を、シラカダ様の正体を暴く鍵ではないのか?

 他に、何も異様なものは見当たらなかった。一体何が、鳳崎を豹変させるに、あの不可解な言葉を吐くに、至ったというのだ。

 やはり、霊感の無い私では、何も分からないのだろうか?

 と、その時、

「うあっ!」

 足首を、何かがふわりと撫でていった感触が伝った。ビクッとしながら、慌てて下を見ると、何かが背後へ去っていく気配があり、振り返ると、そこには――トテトテと音もなく歩いているミルクの後姿があった。

 そういえば、一緒にここへ来たのだった。まったく、驚かせるんじゃないと、叱りつけようとすると、

「ひっ……!」

 息を呑んだ。ミルクがトテトテと向かった先に、何かがいた。

 それは、小さな白い影だった。ぼんやりと、ミルクが視えた時と同じように、お社の中央、筵の手前に、陽炎が揺らめいているかのように、白いもやが漂って――いや、佇んでいた。不定形なりに、その白い影は人の形をしていた。


 ——―キンッ、キンッ……


 突然、ポケットの中から、鉄琴を叩いているような音が鳴り響いた。まさかと思い、竹筒を取り出すと、


 ——―キンッ、キンッ、キンッ、キンッ……


 やはりその音は、竹筒から響いていた。

 ということは……あれは、怪異?

 まさか……あれが、シラカダ様?

 思わず息を呑んだが、白い影はゆらゆらと佇んでいるだけだった。その動こうとしない足に、くるくるとミルクが纏わりついている。

 サングラス越しの暗い視界も相まって、随分と奇妙ではあったが、同時に違和感を覚える光景だった。

 ミルクは姿形がぼんやりとはしているものの、きちんと〝猫のミルク〟として認識することができる。だというのに、佇んでいる白い影は、〝人〟としか捉えようがない。どんな姿をしているかが、認識できないのだ。

 確かにそこにいるし、視えるのに、そこにいないかのような存在感。ぼやけているようでもあり、滲んでいるようでもあり、浮いているようでもある。

 なぜ、あの白い影だけが……。

 と、その時、不意に、白い影がスッと私に向かって手を伸ばした。突然のことに、ビクッと身体がのけぞったが、白い影はそれ以上の動きを見せなかった。

 固まっていると、いつの間にか、ミルクが座ってこちらを見つめているのに気が付いた。また、〝こっちに来い〟と言っているかのように。

 その様を見ていると、不思議と恐怖が薄らいでいった。怪異——つまり、この世のものではないのだろうが、白い影からはなぜか、あの家の化け物のような、敵意、悪意が感じられなかった。ミルクが傍を離れようとしないのも、その印象を濃くしていた。


 ——―キンッ、キンッ、キンッ……


 霊虫が鳴き声を響かせる中、私はおずおずと、だが、惹かれるように、白い影に向かってゆっくりと歩いて行った。近付いていっても、白い影は手を伸ばしたまま動こうとせず、待っているかのように、揺らめいていた。

 とうとう、目の前に立つ。私の胸の辺りほどの背丈しかない小さな白い影が、私に向かって手を伸ばしている。

 〝……手を繋げ〟

 〝それで、全部分かるはずだ〟

 鳳崎の言葉を信じるならば……すべてが分かるのだろうか。この白い影——シラカダ様と手を繋げば。


 〝いいか。シラカダ様にはな、大人になるまで顔を見せたらいけん。シラカダ様は、大人やないと会うことが許されん神様やきな。子供の内に会うてしまうと、それはそれは酷い罰が当たる〟


 幼い頃から、幾度となく聞かされてきた言葉。

 だが、今こうして対面できているということは、私はもう大人に成れているということなのだろうか。

 いや、そんなことは、どうでもいい。それよりも―――、

 この朽無村に、何があるのか。六年前、何があったのか。

 それを、私は知りたい。

 震えそうになるのを必死に堪えながら、手を伸ばす。

 例え、それが何であろうと、私は―――。

 シラカダ様の小さな手を、包み込むかのように握った。

 その瞬間、突如として視界が瞬いて、目の表面に、未体験の衝撃的な感覚が、電流のように伝った。

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