十五 男の正体

 廊下に出ると、階段を上がってすぐの、閉まっていたはずの扉が開いていた。その中へ入ると、そこは五畳ほどの小さな部屋で、壁際に置かれていたアルミ製ベッドの骨組みに、男が足を広げて腰掛けていた。マットレスは引き剥がされ、壁の方に立てかけられている。

「まあ座れ」

 男が、目の前に置かれていた小さな椅子を顎でしゃくった。よく見ると、奥の窓辺に小さな勉強机が置かれていて、椅子はそれとセットのようだった。言われた通りに、そこへ腰掛ける。

 部屋の中には他に、花柄のクッションやぬいぐるみ、こじんまりとした子供用らしき鏡台などが置いてあった。どれも女の子趣味のものばかりで、ここが陽菜ちゃんの部屋だったのだろうと、容易に予測できた。

 そんな中、男の足元に置いてあるワンカップの空き瓶と、グラビアアイドルが表紙を飾っている青年向けらしき漫画雑誌と、コードの先にウォークマンが繋がった黒いヘッドホン――男が昨日、首に掛けていたもの――だけが、不自然に浮いていた。これらは、男が持ち込んだものなのだろう。

 と、その時、床に水を撒いたような跡が残っていることに気が付いた。すっかり渇いているが、床の埃がそこだけ飛沫の形で消えている。それは線となって、ぐるりと円を描いていた。私たちのいる、部屋の中央を中心として。

 ……男が、この部屋にワンカップの中身を撒いたのだろうか?

「で、どれから答えりゃいいんだ。好みのタイプか?それともスリーサイズか?」

 男が気怠そうに首をポキポキと鳴らしながら切り出し、私は、

「……あなたは、何者なの?」

 とりあえず、一番の疑問をぶつけた。が、男は、

「別に、何者でもねえよ」

 と、ぶっきらぼうに言い放った。椅子に座っている私の方が腰の位置が高いというのに、大柄な体格のせいか、それともギラギラと振り撒いている異様な威圧感のせいか、はるか上から見下ろされているかのようだった。

「こ、答えになってない」

「うるせえな、誰だっていいだろ」

「ちゃんと答えてよっ」

 食い下がると、男はフンと鼻を鳴らし、

「俺は……そうだな。この場合……回収屋っつったらいいか」

「か、回収屋?」

 思いも寄らない答えが返ってきて、素っ頓狂な声を上げてしまった。が、すぐさま、頭に黒い考えが浮かんでくる。

 この風貌、上半身の刺青、まさか……。

 思わず、身構えていると、

「オイ、なんか勘違いしてねえか?俺は取り立て屋なんかじゃねえぞ」

 男は、私の考えていることを飄々と否定してきた。

「じゃ、じゃあ何だっていうの?」

「だから、回収屋だ」

「分かるように、ちゃんと言ってよっ」

 語気を強めると、男は舌打ちをひとつして、

鳳崎ほうざき業司ごうじ

「……え?」

「俺の名前だ。鳳崎業司。歳は二十一。これでいいか?」

 それだけ言うと、男は膝に頬杖を突いて、ため息をついた。自己紹介は以上だ、と言わんばかりに。

「……に、二十一歳?」

 私はまた、素っ頓狂な声を上げた。名前はともかくとして、とても信じられなかったからだ。目の前にいる男が、私のたった四つ上の年齢だと。

 時代遅れのチンピラのような容姿に、皴が刻まれたいかめしい顔つき、低く掠れた重い声色。どれひとつとっても、二十代前半の人間のそれとは思えなかった。

 何より、男の全身からギラギラと放たれる異様な種類の威圧感——まるで、後ろ暗い経験を幾年も積んできたかのような、危険な種類の老練さが、二十一歳という年齢にそぐわないものだったからだ。どう見ても、三十代半ば――いや、四十代と言われても信じてしまいそうな……。

「何だ、人を見た目で判断しやがって」

 ポカンとしている私を一喝するように、男が言い放った。

「ご、ごめんなさい……」

 私はもにょもにょと謝ると、とりあえず目の前にいる人間が、鳳崎業司という名の二十一歳の男だということを認識した。回収屋というのはいまいち理解できなかったが、それについて追及するのは一旦諦めて、

「……さっきのは何なの?あの……化け物は?」

 と、恐る恐る訊いてみる。

「知らねえよ。お前が連れて来たんだろ。あいつ、どっから湧いて出たんだ?」

「い、一階の和室にあった仏壇から、急に……」

「なら、前にこの家に住んでた人間だろ。水死したか知らねえが、ひでえモンに成り下がりやがって」

「……前に住んでた?水死?」

 瞬間、ふっと頭に突拍子もない考えが浮かんだ。

 まさか、あの化け物の正体は……西島さん?

 確かに、西島さんはかつてこの家に住んでいて、道路沿いの川に落ちて、溺れ死んで……。でも、まさか、だとしたら、

「あ、あれって……幽霊だっていうの?」

「ああ」

 男——鳳崎は、私が怖々と放った言葉を、あっさりと肯定した。

 ……本当にいるんだ。

 私は呆然としながらも、心のどこかで感動していた。幽霊という概念が、実在するものだったなんて……。

 私はそういった類のものが好きだったが、実在するものなのかどうかについては、懐疑的だった。今までに、実体験として見たことなど無いし――いや、六年前に、それらしきものを見た記憶はある。サトマワリの夜の、夜道を這う黒い影に、土蔵の格子から覗いていた、そこにいるはずのない久巳さんの姿。

 だが、その後、日々を過ごす内に、あれは見間違いや記憶違いだったのではないかと思うようになった。パニックに陥った私の脳が産み出した、ありもしない虚構の経験だったのではないかと。

 やがて、ホラーやオカルトの類に興味を持ち、そういったものに触れれば触れるほど、その思いは加速していった。放課後洒落怖クラブで、いわゆる洒落怖というものを読み出してからは、特に。

 くだらない。いくらなんでも、あり得ない。幽霊なんて、いるわけがない。そんな風に、嘲笑するようになっていった。好きなことには違いなかったが、それとこれとは別で、そういったものの存在を心の底から信じることなど無かった。半信半疑程度に考えていた。あくまで、楽しむものだった。

 だって、あまりにも、非現実的なことに思えたから。

 でも……さっきの出来事は、あまりにも現実だった。非現実的な出来事だったのに、現実味を帯び過ぎていた。

 身をもって体験した今、疑い様など無かった。私の中の半信半疑は、確信に変わっていた。

 幽霊は、現実に存在する―――。

 ……いや、しかし、そうだとして、

「な、なんで私、襲われたの?それに、霊感なんてないのに……」

 あの化け物が西島さんの幽霊だったのならば、襲われる理由が分からないし、そもそも、どうして霊感の無い私に姿が視えたのだろう。六年前のあの夜以降、そういったものを目撃したことなど一度も無かったし、ましてや西島さんから恨まれる覚えなど……。

「お前、今、体調悪いだろ」

「えっ?」

 唐突な物言いにポカンとしていると、鳳崎は私の顔をじろじろと見ながら、

「顔色が悪い。ちゃんと寝てんのか?それとも、精神的に参ってんのか?」

「ど、どうして……」

 精神的に参っているかどうかはともかく、体調面には心当たりがあった。ここのところ、あまり健康的とは言えない生活を送っていたからだ。まともに寝ていなかったり、朝食を摂らなかったりして。

「フン、やっぱりな。霊感が無い人間でも、心と身体が弱ってたりすると、ああいうこの世のモンじゃねえ奴が視えることがあるし、目を付けられやすくもなるんだ。あんな目に遭いたくなかったら、ちゃんと飯食って、しっかり寝て、陽の光を浴びることだな」

 いまいち理解ができず、困惑していると、鳳崎は突然思い出したようにトートバッグを漁り、中からあの濃青の香水の瓶を取り出して、シュッシュッと着替えたばかりの柄シャツと首元に入念に吹き付けた。刺々しいミントの香りが漂ってきて、ツンと鼻を刺す。

「……それ、化け物を退治する時も腕に吹き付けてたけど、何なの?」

「あ?これは……そうだな、魔除けみたいなもんだ。ああいう奴等を撃退する効果があるし、吹き付けてりゃ寄って来なくなる」

「……もしかして、ファブリーズ?」

「はあ?んなわけねえだろ」

 とんでもない馬鹿を見るような目を向けられ、

「これは俺が独自に調合した特別製の香水だ。ファブリーズも効果が無いとは言わねえが、直で肌に吹き付けるとか、バッカじゃねえの」

 と、悪態をつかれた。思わずムッとしたが、段々と鳳崎という男の属性が分かってきたような気がした。

 奇異な風貌はともかく、この男はどうやら霊感がある上、そういった方面に対して随分と造詣が深いらしい。眉一つ動かさず、てきぱきと答えている所を見るにつけ、適当なことを言っているわけでもなさそうだ。

 会話をしたせいか、さっきまで動揺していた心と身体が少しずつ落ち着いてきた。続けて、気になっていたことを訊いてみる。

「その……刺青と傷だらけの身体は何なの?」

「そういうことを平気で訊くんじゃねえよ、タコ」

 正論を言われて、失礼なことをしてしまったと、また謝ろうとした瞬間、

「この刺青も、ある意味魔除けだ。耳なし芳一って知ってるか?あれと似たようなことをやってるだけだ。俺の場合は経じゃなくて梵字だけどな」

 と、答えられた。分かるようで分からなかったが、それ以上訊くのはまた失礼になると思い、

「さっき、私に渡してきた竹筒に入ってた、あの透明な虫は何なの?」

 一番気になっていたことを訊いた。

「オイ、いつまで質問する気だよ。いい加減に優一の居場所を教えろ」

 鳳崎が不服そうに睨んできたが、

「ちゃんと答えてよ。じゃないと、教えない」

 きっぱりと断った。この男の身の上を理解するまで、切り札を切るわけにはいかない。……本当は、そんな切り札など持ち合わせていないのだが。

 鳳崎は、また舌打ちをすると、

「あれは、霊虫れいちゅうだ」

「霊虫?」

「この世のモンじゃねえ虫だ。俺の仕事道具だよ」

「仕事道具って……あなたの職業って、一体何なの?」

「さっきも言っただろ。俺は回収屋だ」

「だから、答えになってない。何なの、その回収屋って?」

 さっきと違ってしつこく追及すると、鳳崎はわざとらしくため息をついた後、

「……この世のモンじゃねえ霊的なモノ――怪異が引き起こした厄介事が起きた時に、そこへ派遣されて、事態を収束させる人間のことだ」

 鳳崎がそう言った瞬間、私の頭の中にふと、ある文字列が浮かんだ。

 怪異が引き起こした事態を収束させる?

 怪異を、収める?

 怪……収……。

 怪収?

 回収屋ではなく……怪収屋?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る