十六 追跡者と逃亡者
——―そういうのも、実在するんだ……!
先程から漠然と感じていた感動が、興奮に変わっていくのを感じた。
現代の科学では説明できない、幽霊という非現実的、超自然的、神秘的な概念が、実在する上に、それを対処する人間も実在するなんて……!
今まで読み漁ってきた怖い話や、ホラー小説や、ホラー映画の登場人物のような、完全にフィクションの中の存在だと思っていた人間が今、私の目の前にいる……!
だとしたら、霊虫とかいうよく分からないものはともかくとして、この鳳崎という男は―――、
「あ、あなたって、もしかして霊能者なのっ?それとも、拝み屋とか、退魔師とか――」
「ああっ!?」
興奮を抑えられずに飛び出た私の言葉を、鳳崎がドスの効いた声で遮った。思わず面食らい、ヒッと喉が鳴る。
「俺をそんなクソみてえな連中と一緒にすんじゃねえっ!さっきから何回も言ってるだろうがっ!俺は回収屋だっ!」
真正面から凄まれ、私は為す術も無く縮こまった。さっきまで感じていた興奮はどこへやら、心がしおしおとしょげ返っていく。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
慌てて謝ったが、鳳崎は随分とご立腹の様子だった。顔を横に向け、忌々し気に歪ませた口から尖った犬歯を覗かせている。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
深々と頭を下げて、謝罪の意を示していると、ようやく、
「もういい。顔を上げろ」
言われた通り、おずおずと顔を上げると、
「いいか。俺のことをもういっぺんでも拝み屋だの、霊能者呼ばわりしてみろ。さっきの化け物どころじゃねえほどの目に遭わせるからな」
切れ長の目が、ギラギラと私を脅していた。よく分からないが、やけに信憑性があるように感じられる、その恐ろし気な言葉に、
「は、はい」
と、素直に従う。
「フン。もういいだろ、俺のことは。いい加減にこっちの質問に答えろ。優一の野郎は今どこにいる?」
会話の主導権を奪われそうになり、慌てて、
「ちょ、ちょっと待ってよ!まだ何もよくない!あなたが何者なのかは、なんとなく分かったけど、なんで優一くんのことを知ってるのっ?あなたと優一くんは、一体どういう関係なのっ?」
と、まくし立てた。
まだ白状するわけにはいかない。優一くんのことを聞き出さなければ、何の意味もない。幽霊が実在するものだったとか、興奮している場合ではないのだ。
鳳崎はまた忌々し気に、しかしどこか、やれやれといった感じで、
「そんなに知りてえなら教えてやる。いいか、一から事情を説明すんのはダリいから、単刀直入に言うぞ。まず、俺と優一の関係性は、追跡者と逃亡者だ」
「つ、追跡者と逃亡者?」
また突拍子もない言葉が出てきて、面食らう。
「ああ。俺は優一を追って、ここまで来たんだ。遠路はるばる愛知の名古屋から、こんな九州の片田舎までな」
名古屋と聞いて即座に、それが優一くんの出身地だということを思い出した。朽無村に引っ越してくる前に、住んでいたという所。
「……優一くんのことは、昔からよく知ってるの?」
「知らねえわけじゃねえが、別に深い仲でもねえよ。ともかく、俺はあいつを連れ戻しに来たんだ。そういう依頼を受けてな」
「依頼?」
「ああ。正確に言えば、あいつと、あいつが持ち出した物を、無事に回収してこいっつう依頼をな。だから、俺は回収屋だっつってんだ」
「優一くんと……持ち出した物?それって――」
「教えるわけにはいかねえ」
鳳崎が食い気味に、私の言葉を遮る。
「部外者を巻き込むわけにはいかねえし、どうせ、言ったって信じねえだろうしな」
「し……信じるから、教えてっ」
「こっちにも色々と事情がある。危険な目に遭いたくなけりゃ、首を突っ込むんじゃねえ」
「教えてよっ!優一くんは一体、何に巻き込まれてるっていうの!」
「……」
「教えてっ!じゃないと――」
「あいつが、とんでもなくヤバいモノに魅入られてる可能性があるんだ!」
鳳崎の怒声が、狭い部屋にビリビリと響き渡った後、場がシンとした静寂に包まれた。私の心臓だけが、バクバクと音を立てているような感覚に襲われる。
「…………とんでもなく、ヤバいモノ?」
恐る恐る、沈黙を破ると、
「そうだ。あいつが持ち出した物には、とんでもなくヤバいモノが封印されてる。恐らく、あいつはそれに魅入られて、危険な状態に陥ってやがる。だから、一刻も早くどうにかしなきゃならねえ。手遅れになる前にな」
手遅れという言葉が、わんわんと頭の中で反響したかと思うと、それに揺り起こされたかのように、忌まわしい記憶が鮮明に蘇ってきて、困惑に揉まれた思考が、グルグルと高速で渦を巻き始めた。
とんでもなくヤバいモノ?
それは何?
意味が分からない――いや、分かっている?
私は、それを知っている?
六年前の今日。八月八日。サトマワリの日。村の人たちの様子がおかしかった、あの夜。シラカダ様のお社で行われていた、宵の儀。悪夢から目覚めた私は、優一くんたちを止める為に、暗闇の中を追いかけて、そこで―――。
鳥居を超えた瞬間に響き渡った、得体の知れない不協和音の絶叫。扉越しに伝わってきた異様な気配。大人たちのざわめき。聴こえてきた不穏な言葉と物音。義巳さんと義則さんの言い争い。そして、辰巳の気が触れてしまったかのような絶叫。
尋常ではない恐怖に襲われ、なりふり構わず逃げ出した。だが、坂道にも、川津屋敷にも、恐怖が待ち構えていた。それからも逃げて、逃げて、田んぼに落ちて、短パンの裾からぬるぬると血が垂れて、怖くなって、叫んで……気が付いたら風呂場にいて、次の日から、窓という窓が塞がれた家での軟禁生活が始まって、きつく言いつけられた。
絶対に外に出てはいけないし、外を見てもいけないと。
そのわけを訊いたら、こう教えられた。
シラカダ様に会ってしまうと、目が合ってしまうと、子供は恐ろしいことになると。
……まさか――いや、あの頃から、なんとなく勘付いていた。というより、そうとしか考えられなかった。
でも、ずっと考えないようにしていた。思い出すのが怖かったし、それを認めたら、朽無村という私の生まれ育った地が、悍ましい場所に成り果ててしまうから。
だが……。
やはり、六年前、優一くんが、山賀家が、朽無村からいなくなったのは……。
朽無村が、村の人たちが、私たちが信仰している――シラカダ様のせい?
優一くんが魅入られている、とんでもなくヤバいモノ。
それは……シラカダ様?
そして、そのせいで、あれから六年も経っているというのに、優一くんは、手遅れ?
「そんなっ……そんなっ……」
いつの間にか、息が荒くなっていた。心臓が破裂しそうなほどに高鳴り、手足が震えて、目眩が―――、
「そんなはずっ……優一くんがっ……なんでっ……あの時っ……そんなっ……」
「オイ、どうしたんだ」
目の前にいるはずの鳳崎の声が、遠く聴こえた。あの日の夜のように、頭がジンジンと熱を帯びて、下腹部がズキズキと痛むような気がして―――、
「いっ、いやあっ……!」
思考と感情がぐちゃぐちゃになって、叫び出してしまいそうになった瞬間、
——―プシュッ!
鳳崎が突然、私の顔に向かって、あの香水を吹き付けてきた。
「うあっ……」
刺々しいミントの香りが、一気に鼻から抜けて肺に満ち、目にも染みた。まるでハッカを浴びせられたようにスウスウとして――心と身体が、緩やかに落ち着きを取り戻していった。さっきまでぐちゃぐちゃに乱れていた思考と感情が、波ひとつ立たない静かな水面のように澄み切っていく。
「落ち着いたか?」
「な……何をしたの?」
「これにはそういう効果もあってな。色々とクールダウンさせたんだ。何も変なもんは入ってねえから安心しろ。それで――」
鳳崎は香水をトートバッグにしまうと、
「どうやらお前、居場所以外にも色々と知ってるみてえだな。今度はこっちの番だ。洗いざらい教えてもらおうか。優一について、知ってることすべてを―――」
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