八 謎の来訪者

 バス停まで下りてくると、昨日とまったく同じ出で立ちの辰巳の姿があった。予想に反して、昨日乗っていたオンボロ原付に跨っている。

「おおっ、やっと来たな」

 私が来たことに気が付くと、辰巳は原付から降りながら、嬉しそうにはにかんだ。身体は岩のように大きく成長しているが、笑顔にはどことなく幼さが残っている。

「いいやろ、これ」

 そう言うと、辰巳はハンドルに引っ掛けていた赤いヘルメットをかぶった。確か、半ヘルとかいうタイプのやつだ。表面が、太陽の光を反射してギラついている。

「それ、コメリで買ったん?」

「違うわ。これは前から持っちょった。これで違反じゃないやろ」

 確かに法律は守っているが、校則違反は相変わらずだ。

「ちょっと、まさか、それ見せびらかしたいき呼びつけたん?」

「違うわっ」

 辰巳は反論しながら、原付のシートをガパッと開き、中から取り出したものを差し出してきた。

「おら、お前のやつ」

 それは、辰巳が被っているヘルメットのクリーム色のタイプだった。

「なん、これ」

「いいき、かぶれや。これで二人乗りしても安全やろ」

 ……ああ、来て損した。

 どうやら、何が何でも二人乗りをしたいだけだったらしい。

 呆れていると、辰巳がヘルメットを無理矢理かぶせてきた。

「そこの下の田んぼの直線道、走ってみようや」

「はあ……。バッカみたい」

 ヘルメットを外すと、辰巳に突き返した。

「なんで二人乗りとかせなと。危ないだけやし、見られたくない」

「見る奴とかおらんわ。いいき、ちょっとそこまで走ろうや」

「乗らんっ。バカ辰巳」

「バカっち何かや!せっかく乗せてやるっちゅうんに!」

 そんな言い合いをしている時だった。不意に、道路の向こうの方からブウウンッとエンジン音が聴こえて、車が上ってくる気配がした。私も辰巳も、思わず言い合いをやめて、そっちを見ていると……。

 あれは……タクシー?

 上ってきたのは、街でたまに見かける緑色の車体のタクシーだった。こんな辺鄙な所では、まず見かけない種類の車。

 物珍しい光景に、二人して固まっていると、タクシーは緩やかに減速し、ちょうど私たちのいるバス停の前まで来て停まった。かと思うと、後部座席のドアが開き……中からぬうっと、大柄な男が一人降りてきた。

 その男は、タクシーに首を突っ込んで運転手に何事か言うと、中から荷物を引っ張り出し、バタンッとドアを閉めた。

 Uターンして去っていくタクシーを背に、男がこちらを向いた。そして、固まっている私たちの方へ、ツカツカと歩み寄ってきた。

「……ヨォ、ここって朽無村って所で合ってるよな?」

 目の前まで来て話しかけられたが、私も辰巳も、思わず口を噤んでいた。

 男の風貌が、あまりにも異様なものだったからだ。

 ——―背が高い。猫背気味なのに、辰巳よりも大きいということは、180センチ以上はあるだろうか。細身だが、肩幅が広く、手足が長い。その威圧的な体躯に、上は金色の和柄模様がびっしりとプリントされた長袖の柄シャツ、下は黒い細身のデニムを通し、足元は黒革のショートブーツ、首にはジャカジャカと盛大に音漏れしている――やけに騒々しい、洋楽?——黒いヘッドホンを引っ掛けているという、奇異な出で立ちをしている。

 そして何よりも、男の風貌を異様たらしめていたのは、面長気味のいかめしい顔つきだった。目はティアドロップのミラーサングラスを掛けていて見えなかったが、その上からグンと吊り上がった眉毛がはみ出し、眉間には深い皴が寄っている。主張の強い大きな鷲鼻に、もの言いたげに尖った口。オールバックの長髪はジェルで撫でつけているのか、テカテカと光っていた。

 ……な、何この人?チンピラ?ヤクザ?

「オイ、聴こえてんのか?訊いてるだろ」

 二人とも固まっていたせいか、再度、男が喋った。低く掠れた、威圧感のある重い声色だった。

「えっ、あっ、そ、そうですけど……」

 しどろもどろに答えると、男は不意に、ティアドロップのサングラスを外して柄シャツの襟に引っ掛けた。そして、私たちの後ろ――朽無村を、睨みつけるようにして見上げた。

 その目は、ギラリと鋭い眼光を湛えた切れ長の目だった。まるで、獰猛な猛禽類を思わせるかのような……。

「ここか。あのタクシーの親父、適当なこと言いやがって……」

 男はブツブツと言うと、手にぶら下げていた荷物——やけに大きな黒いトートバッグに手を突っ込み、ゴソゴソと漁りだした。

「嬢ちゃんら、この村の人間か?」

「は、はい……」

「ちょっと訊きてえことがあるんだが……」

 男はトートバッグから取り出したものを、私たちの前に掲げた。

「このガキに、見覚えはねえか?」

 それは、写真だった。ハガキほどの大きさの、一人の青年が、神社らしき場所を背景に立っている写真——―。

「……っ!」

 私は、その青年の顔を見た瞬間、息を呑んだ。

 ……ゆ、優一くん?

 青年は、無表情でこちらを見つめていた。整った顔立ちに、白い肌。もう少し伸ばせば、女子と間違えてしまいそうな黒髪。スラリとした細身の身体に着ているのは、黒いズボンに白い半袖のシャツ……恐らく男子の学生服だ。

「オイ、何か知ってんのか?」

 戸惑っている私の様子に気が付いたのか、男がジロリと睨んできた。

「えっ?い、いや……」

「何か知ってるなら、教えろ」

 男がトートバッグを背中に担ぎ上げながら、ズイッと詰め寄ってきた。瞬間、シャツの袖が捲れて――手首から、黒い刺青がチラリと覗いた。

「……!」

 やっぱり、この人、ヤクザだ……!

 と、その時、ずっと黙り込んでいた辰巳が、私と男の間に割り込み、

「おいっ、なんか、お前、何の用かっ」

 ドスの効いた声で食って掛かった。肩を怒らせて、長身の男を見上げ、身体を揺らしながら、

「なんの用かっち言よるやろっ、ああっ!?」

 と、声を荒げた。が、男はそれをじっと切れ長の目で見下げるばかりで、まったく動じていなかった。

 ヒリついた沈黙が流れ、息を呑んでいると、男が不意に、写真をトートバッグにしまった。そのまま、またゴソゴソと漁り出し、

「……っ」

 まさか、ナイフでも突き付けてくるのかと身構えていると、

「……フン」

 男が取り出したのは、濃青の小瓶——香水だった。それを首元にシュッシュッと吹き付けると、

「知らねえならいい」

 と、吐き捨て、橋を渡って村の方へ去っていった。後には、男が振った香水の、ツンと鼻を刺すような、やけに刺々しいミントの香りが残った。

 男が目の前からいなくなり、辰巳がフウッと怒らせていた肩を萎ませた。よく見ると、背中が小さく震えている。どうやら、不良ぶっているとはいえ、ああいった経験をするのは初めてのことだったらしい。

 私はその背中を見つめながら、呆然と男から見せられた写真のことを考えていた。

 あれは……優一くん?いや、まさか、気のせい?人違い?でも、あの青年は私たちと同い年くらいに見えたし、あの顔は、あの佇まいは、まるで思い出の中の優一くんがそのまま成長したかのようで……。

「なんかや、あいつ……」

 辰巳がボソッと呟いた。未だに、坂道を上っていく男の方を睨みつけている。

 男は尾先の集落の前で立ち止まり、中を覗き込んでいるようだったが、入って行かずに、河津酒屋の方へと上っていった。

「真由美、あいつ、知っちょうか」

「し、知るわけないやろ。腕見た?」

「おお、あいつ、もしかしたらヤクザやねえか。けど、なんかここいらのもんっぽくねえな」

 言われてみれば、確かに男の口調には違和感があった。なんというか……そう、九州っぽくないのだ。どこか別の地方から来たような感じがする。

「真由美、乗れや。家まで送るわ。なんか危ねえ気がする」

 辰巳が原付に跨り、目配せをしてきたが、

「い、いいよ。一人で帰れるき」

「でも、なんかあったら」

「そん時は叫ぶわ。それに、あの人、車で来てないやろ。パッと逃げられんき、変なことはせんと思うけど……」

 辰巳は不安そうに唇を噛んでいたが、

「……分かった」

 と言い、原付のエンジンをブルンと掛けた。咄嗟に、

「たっ、辰巳。あの写真の人、見た?」

 と、訊いたが、

「俺、ずっとガンつけよったき、よう見らんやった。知っちょう奴やったんか?」

「い、いや……」

 言葉を濁していると、辰巳は、

「ともかく、サッと帰れ。絡まれてん口利くなよ」

 と言い残し、ブゥーッと坂道を上っていった。

 一人、バス停に残った私は、後を追うように早足で坂道を上り始めた。あの男は、辰巳が追い付く前に、河津酒屋に辿り着いて中へと入っていった。

 気になっているのか、辰巳は何度も河津酒屋と私の方を振り返っていた。今、あの男は、河津酒屋で何をしているのだろう。やはり、あの写真を見せて、何か知らないかと訊いているのだろうか。

 駆け足気味に、尾先の坂道を上った。あの男が出てくる前に、河津酒屋を通り過ぎないと、鉢合わせてしまう。

 なるべく足音を立てないようにして、河津酒屋の前の折り返しを駆け抜けた。その勢いのまま、中原の坂道を上り続ける。

「はあっ、はあっ……」

 ずっと家に引き籠っていたせいか、息が上がった。だらけていた身体が、内側から悲鳴を上げている。

 ようやく家の前まで辿り着いた時、私は汗びっしょりになっていた。喉がヒリヒリして、息がし辛い。

 家の前でへこたれていると、川津屋敷の入り口の前から、辰巳がこっちを見ているのに気が付いた。どうやら、気になってずっと見張っていたらしい。大丈夫だ、という視線を送る。

 と、その時、辰巳の視線が私を通り越した。下を見ると、あの男が河津酒屋から出てきている最中だった。そのまま、坂道を上り始めたかと思うと、不意にジロリとこっちの方を睨んできた。

「……っ!」

 私は慌てて、家の敷地へと引っ込んだ。そのまま、逃げるように玄関に向かって家に上がり込み、ピシャッ!と扉を閉めた。

 ……もう大丈夫。

 だが、安心したのも束の間、すぐに気が付いた。

 あの男は、村中の家を順番に訪ねる気なのでは……。

 だとしたら、私の家にも?

「お、お母さんっ」

 居間へ向かうと、母が台所でお盆に麦茶のボトルとコップを用意しているところだった。和室の方は、相変わらずガヤガヤとしている。

「あら、どこ行っちょったと。急に出て行ってから」

「な、なんか変な人が村に来た」

「変な人?」

「うん、なんかヤクザみたいな男」

「ヤクザぁ?」

 母が眉をひそめながら、素っ頓狂な声を上げた。

「お父さんは?」

「お父さんなら、農協の用事で昼過ぎまで戻らんっち言よったけど……」

 まずい。何かあった時に、頼れる人がいないではないか。

 おろおろとしていると、

「とりあえず落ち着きなさい。ヤクザかなんか知らんけど、変なことでも言われたと?」

「い、いや、別に……」

「ほしたら、大丈夫。みんなもおるし、怖かったら部屋におり」

「う……うん」

 母の冷静さに中てられて、私も段々と落ち着きを取り戻してきた。

 そうだ、確かに、実害は被っていない。ガラこそ悪いが、あの男は人探しをしているだけだ。

 お盆を持って和室に消えていく母を横目に、私はポケットの中の携帯を握りしめていた。

 もし何かあれば、父を呼べば……辰巳も、呼んだらすぐに来てくれるかもしれない。それに、あまり頼りたくはないが、この村には警察官の義則さんがいるのだ。今現在、川津屋敷にいるかは分からないが、心強い存在であるのは確かだ。

 自分の部屋ではなく、ここにいよう。あの男が来たら、それとなく様子を窺って、何かあれば人を呼べばいいのだ。

 とりあえず、洗面所に行き、タオルで汗を拭いた。居間に戻ると、食卓に着いて水を飲みながら、あの男が訪ねてくるのを待った。

 和室の方では、打ち合わせが終わったのか、みんな談笑しているようだった。女の人ばかりといえど、多勢に無勢だ。何も、変なことは起きないとは思うが……。

 心配していると、不意に和室の談笑が止んだ。まさか、と恐る恐る襖を少し開けて、中を覗くと、そこには―――。

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