七 井戸端会議
家に帰ると、祖母の様子だけ見てから、すぐに自分の部屋へと戻った。帰ったら庭の手入れをしようと思い立っていたはずだったが、なんだか気分がくさくさしていて、結局やらなかった。
充電のケーブルを繋いだまま携帯をいじっていると、いつの間にか昼になっていて、「ご飯よ」と呼ばれた。〝放課後洒落怖クラブ〟のサイトを開いたまま、パタンと携帯を閉じて下へ行くと、食卓で父と母が素麺を食べていた。
無言で椅子に着き、素麺を啜っていると、父がボソリと、
「サトマワリ、出る気になったっちな」
……もう義巳さんから聞いたのか。早いものだ。狭いものだ。
うんざりして無視していると、
「川津屋敷んもんに言うたからには、ちゃんと出らなぞ。辰巳くんも毎年、立派にやりよるんやから。村ん子供が参加せんと、サトマワリは――」
「分かっちょう!」
うだうだと説教を垂れてくる父を一喝すると、お椀の中の素麺を一気に口の中に詰め込んだ。そのまま自分の分の食器を流し台に持っていき、居間を後にした。
子供だと?私はもう十七歳だ。子供ではない。成人こそしていないが、心も身体も立派な大人なのだ。いつまでも子供扱いしないでほしい。
苛々しながら、ドスドスと階段を踏み鳴らして部屋に戻った。ベッドに寝転がり、また〝放課後洒落怖クラブ〟に寄せられた怖い話を読み耽っていると、キシキシと音がして、階段を上がってくる気配があった。この控えめな足音は、きっと母だ。
コンコンとノックされ、「何?」と答えると、扉が半分開いた。案の定、母が顔を覗かせる。
「入ってもいい?」
「うん」
起き上がり、ベッドの縁に座ると、母がおずおずと入ってきて、隣に腰掛けた。
「ごめんね、お父さんがあげなこと言うて」
「……なん。お父さんから謝ってこいっち言われたと?」
「そげなこと言われちょらんよ」
母は眉をひそめて否定したが、きっと図星だろう。
「真由美、今度のサトマワリはね、みんなえらい気を入れちょるんよ。ほら、ここんとこ、誰も彼も田んぼの調子が悪いっち言よるやろ?」
「うん」
「それで、サトマワリをいつもより立派に執り行おうっち張り切っちょるのよ。やから、出たくないやろうけど、出てあげり。村ん人たちの為に。それにね、あげな風やけど、お父さんも結構田んぼのことで落ち込んじょるんやから」
そこまで言うと、母は悲し気な顔で見つめてきた。
「……分かっちょう。分かっちょうよ。ちゃんと出るき。でも、本当に今年で最後やからね」
「うん。お父さんには、ちゃんと言うちょくから」
そう言うと、母は安心した様子で部屋を出て行った。
一人になると、そのままにパタンと仰向けに倒れ込んで、天井を見つめる。
……こんな調子では、いつまで経っても進路相談ができない。そろそろ、切り出さないといけないのに。そう、せめて、この夏休みの間には。いつか、きっと、でも……。
考えている内にむしゃくしゃとしてきて、先程の怒りをぶり返した。
村の為?知ったことか。
こんな村、さっさと滅びてしまえばいいのに―――。
ぼんやりと世界を呪っていると、大してご飯を食べていないのに、やけに眠たくなってきた。
私は扇風機をつけて寝転がると、生温い風を浴びながら、すべてを放り出すようにして眠りに落ちた。そして、次に気が付いた時には既に夕方になっていて、実りの無い空虚な一日が終わりを迎えた。
次の日の朝、私はまた早くに目が覚めてしまった。
また窓にセミが引っ付いて泣き喚いていたわけではない。階下から、やけに騒がしい気配が伝わってきて、目が覚めてしまったのだ。きっと昨日、昼寝をしたせいで眠りが浅かったこともあるのだろう。
時計を見るとまだ十時前で、ああ、何事だ、惰眠を遮ってと、苛々しながら一階に下りてみると、和室の方からガヤガヤと人がたくさんいる気配がした。慌てて洗面所に行き、身なりを整えてから向かうと、和室には村中の女の人が詰めかけていた。
「あらぁ、真由ちゃん。おはよう」
「ああ、真由ちゃん。今起きてきたと」
「えらい久しぶりに見た気がするねえ」
文乃さん、幸枝さん、妙子さんが次々に声を上げた。みんな、祖母の布団の傍で正座して、畳の上に置かれた古めかしい帳面を覗き込んでいたようだった。
「あ、はい……」
会釈をしていると、一団の中にいた母が慌てた様子で立ち上がり、こっちに来た。
「おはよう。今、みんなでサトマワリの相談をしよるから、そっちで朝ご飯食べよきなさい」
「……うん」
襖を閉め、一人、台所で冷蔵庫を物色した。食欲がないので、牛乳でも飲もうか。
それにしても、サトマワリの相談とは一体何だろうか。そういったことは、いつも公民館でやっていたはずなのに。それを口実に、伏せっている祖母の顔をみんなで見に来たのだろうか。
それとなく、聞き耳を立ててみる。
——―やき、この作り方でいいっちゃねえかい
——―分からんねえ。早苗ちゃんも知らんと?
——―ううん、これに書いちょる通りでいいと思うけどねえ
——―でも、美千代さんもしっかりしちょったねえ。こげえやって作り方を残してくれちょったんやから
——―ずっと美千代さんが担当やったきねえ
——―美千代さん、ありがとうねえ
美千代さんというのは、祖母の名だ。恐らく、サトマワリで振舞われるお膳のレシピの打ち合わせでもしているのだろう。
来客があるとなると、少々居心地が悪かったので、私は牛乳だけ飲むと、歯を磨いてからすぐ部屋に戻った。放課後洒落怖クラブでも見て時間を潰そうと携帯を開くと、今日が八月の七日であることに気が付いた。
ということは……。
もう明日がサトマワリなのか。ここのところ、月日や曜日を気にせずに過ごしていたせいで、気が付かなかった。どうりで、母たちが準備に追われているわけだ。
昨日、義巳さんに会った時に〝今度〟と言っていたので、もう少し先のことかと思っていたが……明日。もう明日か……。
憂鬱だ。あんなダサい行事に参加しなければならないとは。
はあ、とため息をついていると、手の中で携帯が鳴った。画面に〝バカ辰巳〟の表示が出ている。
「もしもし」
「おお、真由美、起きちょったな」
電話の向こうで、辰巳が嬉しそうな声を上げた。
「起きちょったよ。急になん?宿題の話?」
「いや、それもあるけど、ちょっと今からバス停んとこに下りて来いや」
「……なんでよ」
「いいもん見せてやるき。早よ来い」
それだけ言うと、辰巳は電話を切ってしまった。
……まったく、何だというのだ。バス停に来いなどと。
いいもん見せる、か。私が原付を馬鹿にしたので、別のバイクでも用意したのだろうか。辰巳の家はお金持ちだから、あり得ない話ではないな。
もしそうだったら、思いきり馬鹿にしてやろう。
私は身支度を整えて、母たちに声を掛けずに家を出た。案の定、庭の前を突っ切る時に開け放たれていた掃き出し窓から何事か言われたが、説明するのが面倒くさかったので、無視してそそくさと坂道へ繰り出した。
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