九 歓迎されざる者
掃き出し窓の外、庭先に立って、みんなに話をしている秀雄さんの姿があった。
あれっ、と襖を開ける。
「やから、妙な奴が来たって。ここらじゃ見たことねえ余所者が」
「妙な奴っち、どげなよ」
「チンピラんような格好をしちょる、背の高え男よ。なんか人を探しよるらしいけど、知らんっち言うたら、カップ酒をドカドカ買うて出て行った」
「酒や?こげな時間から?」
「おお、妙な風やろ。今はマサん家に行っちょるが」
「う、うちに?いくらうちん人が酒飲みっちいうても、そげな知り合いおらんよ」
どうやら秀雄さんは、あの男を怪しんでここへ注意しに来てくれたらしかった。
「もしかして、真由美の言よった人っち、そん人かい?」
私のことに気が付いた母が訊いてきた。
「う、うん。その人、腕に刺青があった」
「刺青?ほしたら、ヤクザもんか」
「まさか、こげな所に何の用があると」
「誰も、そげな身内おらんはず」
「もしかしたら、川津屋敷やねえか。ほら、弟ん方は警察やろ。それで怨みかなんか買っちょるっちゃねえか」
秀雄さんがそう言った瞬間、妙子さんがビクッと背中を震わせた。
「まさかぁ、そげなVシネんようなことが……」
「いくらなんでも、あり得んやろ」
「でも、義則ん奴やったら、もしかすると……」
みんなが眉をひそめて不安がっていると、
「あっ、来たっ」
と、秀雄さんが坂道の方を向いて身構えた。やっぱりうちにも――と、思わず後ずさりをしたが……なぜか、誰も敷地に入って来なかった。
「あ、あん奴、通り過ぎて行ったぞ」
「やっぱり、川津屋敷に用があるっちゃねえかい」
「どげえすると。義則は、屋敷におるとかい?」
みんなの視線が、妙子さんに集まる。
「た、多分おらんと思います。朝から出掛けて行ったき……」
妙子さんは身を縮めながらボソボソと呟いた。
「ちょいと、みんなで行こうや。何かあったら悪い」
秀雄さんがみんなに呼びかけると、
「な、なんで私たちが行かなとよ」
「そうよ、なんでわざわざ……」
「もしなんかあったら……」
妙子さん以外が、口々に不満を漏らした。
「みんなで行った方がいい。いくら妙な奴でも、大勢に囲まれりゃ悪さはしきらんよ。それに、川津屋敷のことも気にかかるやろ」
秀雄さんは心配しているようで、どこかこの状況を楽しんでいるように見えた。きっと野次馬根性で、みんなを扇動しているのだろう。
「わ、私、帰ります」
不意に妙子さんが立ち上がり、そそくさと出て行こうとした。
「た、妙子ちゃん。危ねえっちゃねえかい」
「そうよ、何も今から……」
「ほれ、妙子ちゃんを守る意味でも、みんなで行った方がいいやろうが」
秀雄さんの言葉に納得したのか、みんなが立ち上がって和室から出て行こうとした。
「お、お母さん……」
「真由美は残っちょき。なんかあったら――」
「私も行く」
私はなぜか、食い気味に答えていた。
「一人で残るより、みんなとおった方が……」
そう言うと、母は仕方なしといった風に、
「ほしたら、みんなで行こ」
ぞろぞろと玄関を出て行くみんなの後ろを、私はおずおずとついて行った。
なぜ、行く気になったのか―――。
それは、決して野次馬根性などではなかった。
あの男は、優一くんについて――六年前、この村から突然消え去った山賀家について、何か知っているのではないか。
あの写真の青年が優一くんだという根拠も無いのに、なぜかそんな風に思えてならなかったからだ。
ぞろぞろと外へ出た私たちは、坂道に男の姿が見えないのを見計らって、とりあえず坂一つ下の雅二さんの家へ向かうことにした。万が一のことを考えると、男手が一人でもいた方がいいという秀雄さんの発案に従ってのことだった。
みんなで家の前で待っていると、幸枝さんが寝癖の付いた雅二さんを連れて出てきた。どうやら、雅二さんは二日酔いで寝こけていたらしく、男が来たことに気が付かなかったらしい。その場にいた全員が、やれやれとため息をついていた。一応訊いてみたが、やはり雅二さんもそんな男に覚えはないとのことだった。
その後、おえおえとえずく雅二さんを加えてから、私たち一団は恐る恐る川津屋敷へと上っていった。
「妙子ちゃん、家には誰かおるとかい?」
「は、はい。うちん人と辰巳がおると思うけど……」
妙子さんがビクビクとしながら、秀雄さんに答える。
最後尾からその様を見ていると、妙子さんだけが随分と怯えているように映った。小さな背中を、より一層縮めて項垂れて……。
しかし、改めて見てみると、妙子さんほどではないが、文乃さんも、幸枝さんも、そして母も、その背中は酷く頼りなさそうに見えた。ふくよかな身体をしている幸枝さんですら、なんだか小さく見えてしまう。
理由は分かっている。みんな、歳を取っているのだ。老いて、枯れて、覇気を失っているのだ。その証拠に、みんな髪に白いものがちらほらと混じり始めている。
みんな、その内、祖母のようになってしまうのだろうか。
そして、今まさに、その後を追っている私も―――。
そんな暗い考えが頭をよぎっていると、川津屋敷の前に辿り着いていた。
「おい、あれ」
先頭の秀雄さんが、コソコソと門の中を指差した。
「義巳と何やら話しよるぞ。車が無いき、やっぱり義則はおらんみたいやな」
みんながどやどやと、門の中を覗き込んだ。私も、その後ろからチラリと中の様子を窺った。
だだっ広い敷地の向こう、土蔵の前辺りで、義巳さんとあの男が対峙していた。義巳さんはいつもの作業着姿で、手に竹ザルをぶら下げている。会話をしているようだったが、なんと言っているのかは分からなかった。
「お、おえっ……」
突然、真横にいた雅二さんがえずき、思わず身を引いた。
酒臭い……。気持ちの悪いアル中オヤジめ……。
と、その時、
「何が言いてえんかっ!」
義巳さんの怒鳴り声が聴こえた。
雅二さんを避けるように、また中を覗き込むと、義巳さんが男に食って掛かっているのが見えた。
さすがにまずいと感じたのか、秀雄さんが、「行くぞ」と声を掛け、一団がぞろぞろと屋敷の中に入って行った。私も慌てて、後ろに隠れるようにしてついて行く。
「おう、義巳。どげんしたとか」
秀雄さんが、白々しく言う。一応、建前として偶然を装っているらしい。
義巳さんはみんなが現れたと見えて心強くなったのか、張り詰めていた表情を僅かに緩めて、
「い、いや、こん男が、妙な言いがかりをつけてきてな」
「言いがかり?なんちゅうや」
秀雄さんが、腕を組んで男の方を見た。しかし、男は目もくれずに、義巳さんをじっと睨みつけていた。
「それが……俺が何か悪さをしちょらんかとか、隠し事をしちょらんかとか、わけの分からんことを言うてきてな」
「ほお……。おい、兄ちゃん。何の用があってここに来たか知らんが、大概にしちょけよ。よりにもよって、川津屋敷んもんに妙な真似するなら、俺たちも黙っちゃおらんて」
場がヒリつき、水を打ったように静かになった。そんな中、雅二さんだけが、口を押さえてえずかないように震えていた。
「大体、どこんもんかも知らんが……。ああ、義巳。そういやあ、今日は義則んやつは非番なんか?」
「おお、今日は警察ん仕事は休みっち言よった。今は出掛けちょるけど、もうじき帰ってくるやろうて」
義巳さんが苦々しい顔で、〝警察ん仕事〟の部分を強調して言った。男に対して、暗に脅しているのだろう。このままではまずいことになるぞ、と。
しかし、そこまでされても、男はまったく動じずに、義巳さんを睨み続けていた。が、不意に顔を上げ、義巳さんの頭上を睨みつけると、
「……フン。そうかい」
と、鼻を鳴らし、襟元に掛けていたサングラスを掛けた。そして、右手に提げていた大きなトートバッグを肩に担ぎ、
「邪魔したな。何も知らねえならいい」
と、門の方へ向かった。途端に、一団がわらわらと左右に散らばった。秀雄さんと雅二さんは動かなかったが、女の人たちはさすがに男が怖いと見えて、後ずさるように身を引いていた。私も、怖かったので母と一緒に身を引いた。
ザッザッザッと砂利を踏み鳴らしながら、男が私たちの中を通り過ぎていると、
「ふん、どこんヤクザ崩れか知らんが……」
と、秀雄さんが小さく毒づいた。瞬間、男がザリッと足を止め、ゆらりと振り返り、
「……オイ、勘違いすんなよ。俺はヤクザなんかじゃねえ」
その威圧感のある低く掠れた声に、その場にいた全員が気圧されていた。秀雄さんなど、思わず半歩ほど後ずさっていた。
男は異様な威圧感を振りまいた後、左手の中指でクイッとサングラスのブリッジを押さえてから、門の方に向き直った。その瞬間、ミラーサングラスをしているというのに、私はなぜか、男から睨まれたような気がした。
そのまま、男はザッザッザッ……と、門の外へ出て行った。そして、辺りをきょろきょろと見渡した後、坂道を下っていった。
男の姿が完全に見えなくなると、その場にいた全員が一斉に、どっと息を吐いた。まるで、緊張の糸が一気に切れたかのように。
「義巳。なんか、あん奴は……」
秀雄さんが苦い顔で言うと、
「……知らん。見たこともねえ。いきなり来てから、妙な事を……」
「義則ん知り合いか?違うっち言よったが、警察ん仕事で恨みを買ったヤクザもんやねえんか」
「……分からんけど、義則ん名前を出しても何も反応せんやったしな」
「いや、大方そうやろうて。義則んことき、なんか悪さをしたっちゃろう。どっちが悪もんか分かったもんじゃねえが」
秀雄さんがそう結論付けると、
「いや、みんなありがとう。来てくれて助かったわ。命拾いをしたかもしれん」
義巳さんが、みんなに頭を下げた。
「おお、そうやろうが。それもこれも、俺のおかげやな」
秀雄さんがニカッと笑い、辛うじて残った歯が覗く。
「なんを言よるかい。私たちを危ねえ目に遭わせてから」
文乃さんが毒づくと、
「なんちや。女は男に守られてなんぼやろうが。どうにかなったんも、俺がパッと閃いてみんなを連れて来たき――」
秀雄さんが弁を振るっている間、私はあることに気が付いて、じっと土蔵の方を見つめていた。
あの男は立ち去る直前、不意に顔を上げ、義巳さんの頭上を睨んでいた。
その視線の先には、土蔵の壁——ちょうど、明り取り用の格子窓があった。あの格子窓が―――。
「……っ」
思わず視線を逸らすと、屋敷の中から窓越しに、辰巳がこちらを見ているのに気が付いた。玄関の右手にある掃き出し窓の、閉め切られた白いカーテンの隙間から、顔を覗かせている。
その顔は、さっきバス停で話していた時と違い、やけに不安げな表情を浮かべていた。まるで、何か得体の知れない恐怖に怯えているかのような……。
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