十 小さな灯り

 その日の夕食時は、謎の男の話題で持ち切りだった。

 母は一連の出来事を事細かに父に報告していた。父は顔をしかめながらも、好奇心満載の様子でそれを聴いていた。時折、私の方にも事実確認をするかのように母から質問が飛んできたが、私はその度に曖昧な返事をした。

 あの男が見せてきた写真のことで、頭が一杯だったからだ。

 確証はない。ただ、なんとなく、そんな気がするだけだ。いや、そんなわけがない。でも……。

 あの写真の青年は、優一くんだったのでは―――。

 しかし、仮にそうだったとして、あの男の正体は何だ?なぜ、優一くんを探している?

 それに、優一くんがこの村にいたのは六年前。それも僅かな期間のことだ。なぜ、今になってここへ来る?いや、それ以前に、なぜ、あの男は成長した優一くんの写真を持っている?

 そもそも、あの男と優一くんは一体どういう関係なのだ?

 何もかもが、分からない……。

「それで、そん男、もう帰ったんか?」

「うん。みんなでコソコソ見よったけど、バス停んとこでタクシーに乗りよった。そのまま帰ったっちゃねえかい」

「ふうん。わざわざタクシー使うてくるっちゃあ、余程の用事があったとしか思えんが……。川津屋敷んもんも、心当たりは無えっち言よるんか?」

「そげな風ばい。秀雄さんは義則ん奴が怪しいっち言よったけど、帰ってきた義則さんに訊いても知らんっち言うたみたい」

「ほお。しかし、義則ん奴の言うことやきなあ。大体、税金泥棒とヤクザもんは昔から折り合いが悪いき――」

 父と母が男に対する推論を展開していると、和室の方から「ううああっ」と、祖母の呻く声がした。「あらっ」と、箸を置いた母を、「いいよ、私が行く」と、制して席を立ち、和室へ向かう。

「どうしたと?」

 布団の傍に座り、顔を覗き込むと、祖母は震えながら、

「あ、うう、ああ、お、恐ろしい……恐ろしいもんが来ちょる……」

 と、窓の外を見つめていた。

「……え?」

 顔を上げ、窓越しに外を見たが、そこには深い暗闇に包まれた庭先があるばかりで、何者の姿も無かった。




 風呂と歯磨きを済ませて自分の部屋に戻り、まだしっとりとしている髪を扇風機で完全に乾かした後、携帯片手にベッドに寝転んで〝放課後洒落怖クラブ〟をチェックした。新着記事が三件更新されていたので、一通り目を通していく。

 ……総じて、つまらない内容だ。ちっとも怖くない描写に、もう何度見てきたか分からないお決まりの展開。

 携帯を閉じて、疲れ気味の目を擦った。外の空気を吸いたくなり、窓辺に向かう。

 網戸を開けてもたれ、外を眺めたが、暗闇の中にカエルの大合唱が響いているだけだった。空は一面が雲に汚れていて、星はひとつも見えず、月すら濁って見えている。深く息を吸うと、むわむわと湿気た空気が肺に満ちていった。

「はあ……」

 それを追い出すようにため息をついた後、ふと、手の中の携帯を見つめた。

 例え遠く離れた場所にいても、電波さえ届けば会話をすることができる便利な通信機器。

 もし、あの頃、これを持っていたら、今も優一くんと繋がっていただろうか?

 そうだったとしたら、この頭の中のモヤモヤも、あっという間に晴れるというのに。

 気兼ねなく電話をかけて、確認してみればいいのだから。


「久しぶり。ねえ、昨日、優一くんっぽい人を遠目に見かけたんだけど、もしかして、こっちに来てるの?」


 優一くんは、どんな返事をするだろうか。


「うん、実はそうなんだ」

「えっ、なんで連絡してくれなかったの」

「はは、ちょっと驚かせようと思って」

「もう、事前に言ってくれたら良かったのに」

「ごめんごめん。じゃあ、明日会おうよ。陽菜も一緒だから。昔みたいに、みんなでさ―――」


 ……何を考えているんだろう。くだらない妄想。少女漫画の主人公じゃあるまいし。

 もう、あれこれと考えるのはやめよう。大体、あの写真の青年が優一くんだという確証は無いのだから。

 また、ため息をつき、網戸を閉めようと―――、

 ……ん?

 ふと、暗闇の中、小さく見える灯りに目が留まった。

 まるで寿命間近の豆電球が光っているような弱々しい灯りが、遠い暗闇の向こうにぼんやりと見えている。

 あの辺りは、尾先の集落だ。位置的に、ちょうど真ん中の……山賀家の二階?

 えっ?と思った瞬間、その小さな灯りはフッと消えた。途端に、景色は暗闇一色に染まり、何も見えなくなってしまった。

 今のは一体……見間違いだろうか?

 ……山賀家に、誰かがいる?

 まさか、そんな、あそこは空き家なのに……。

 それからしばらくの間、窓の外を眺め続けてみたが、再度小さな灯りが見えることはなかった。

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