十四 秘密の遊び場
「真由美ちゃん、大丈夫?」
優一くんの声で我に返ると、私はとっくに石段を下り切っていた。手を繋いでいる陽菜ちゃんと同様に、心配そうに私のことを見つめている。
「どうかしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
二人に向かって、大丈夫だよ、といった風に笑ってみせると、何をしていたのかを思い出した。
そうだ、村の案内をしなくては。
「それじゃあ……あれ?」
辰巳の姿が見当たらない。どこに行ったのだろう。
「おーいっ」
声のする方を見遣ると、辰巳は右手の、ジグザグと上ってきた坂道の突き当たり、
「こっちこっち。早よ来いよっ」
「辰巳、そんなとこまで行くと?」
「そんなとこまでっち、まだここと
なるほど確かに、と納得して、
「行こっか」
と、二人を連れて竹林の方へ向かった。それを見るや否や、辰巳は先に小道を走って行ってしまった。
「まだ、上があるの?」
竹林の前まで着くと、優一くんが訊いてきた。
「上っていうか、天辺の裏って感じかなあ。ここを抜けたらね、頭沢があるの」
「かしらさわ?」
「うん。私たちの、秘密の遊び場」
すると、その響きにワクワクしたのか、二人の顔が僅かに綻んだ。
「ちょっと歩きにくいけど、ついてきて」
そう言うと、竹林の中にある、並んで歩けないくらい狭い小道を先導して進んだ。
道と行っても、さっきまでの坂道とは違って舗装などされていない、竹林の中を無理矢理切り開いたかのような、粗末な藪道だ。地面は長年の間、通る人によって踏み固められたのか、茶色い土が剥き出しになっていて、その脇に枯れた笹の葉や枯れ枝が、こんもりと縁石のように溜まっている。
長く伸びた竹が空を覆い隠しているので、ここは真っ昼間だろうと薄暗い。空気がひんやりとしていて気持ちがいいが、ヤブ蚊が多いのだけは困りものだ。
竹がさわさわとさざめく音を聴きながら、ひとしきり歩いて行くと、周りを杉の林と苔むした岩々に囲まれている、こじんまりと開けた水辺——頭沢に辿り着いた。辰巳が、淵にしゃがみ込んで何かをしている。
「うわあ」
優一くんが感嘆の声を上げ、
「すっごーい!滝だ!」
と、陽菜ちゃんは声を上擦らせた。
「ここがね、頭沢って所」
さっきも言ったように、ここは私たちの秘密の遊び場だ。
朽無村が作られている小さな山と、その後ろに構えている大きな山との境目の部分——要するに谷のような場所で、大きな山の方から流れてくる沢が、三メートルほどの滝となって朽無村の山へと注がれている。そこにちょっとした水の溜まり場ができていて、砂利が流れ込んでくるのか、淵はまるで浜辺のようになっている。
沢だから水量は少なく、滝もシタシタと控えめに流れているだけだし、目の前の水辺も、私たちの膝下くらいまでの深さしかないので、泳げるわけではないのだが、私たちはこの水辺でよく遊んでいる。
木陰で涼しいからというのが大きな理由だが、何より、ここには滅多に人が来ないのだ。
頭沢は、村の人たちが来る用事がほとんど無い。せいぜい春先に、小道の途中の竹林で掘ったタケノコを洗いに来ることがあるくらいだ。だから、普段は誰も立ち寄ることがないし、山の奥まった場所なので、何をやっても村の人たちに気付かれることがない。
つまり、ここは私たちにとって、気兼ねなく遊ぶことができる場所なのだ。
家の畑からこっそり採ってきたキュウリやトマトを水辺で冷やして食べたり、枯葉やゴミを燃やして遊んだり、ねずみ花火をしたり……。何か後ろめたいことや、大人から怒られそうな遊びをする時は、ここでやるのが恒例になっている。辰巳がふざけて爆竹を鳴らした時はさすがに気付かれたようで、後で村に戻ったら怒られてしまったが。
「辰巳、なんしよると?」
しゃがみ込んでいる辰巳に訊くと、
「おった!」
と、辰巳は不意に立ち上がって、こっちに手を突き出してきた。
「うわっ!」
濡れた指の先で、大きなサワガニがワキワキと足を動かしていた。
「もうっ」
「へへっ、でかいやろ」
「なぁに?それ」
「知らんの?こいつはサワガニばい。石の裏にいっぱいおる」
「凄い、初めて見た」
どうやら、しゃがみ込んでいたのは、石の下にいるサワガニを探していた為らしい。まったく、幼い奴だ。
「優一もその辺の石、はぐってみれよ。絶対におるき」
「で、でも、どうやって捕まえるの?」
「こうやって甲羅を持てば、挟まれんばい。オスは鋏がでっかいきな。気をつけちょかんと」
「ええ……」
辰巳に言われるがままに、優一くんは水辺の石をひっくり返した。すると、
「うわっ!いた!」
小さめのサワガニが現れ、カサカサと逃げ出した。
「あっ、早く捕まえんとっ」
「ど、どうしたらいいのっ」
「そんくらいの奴なら挟まれても痛くねえっ。引っ掴めっ」
「ええっ」
そうこうしている内に、サワガニは大きな石と石の間に逃げ込んでしまった。
「ああっ、逃げたっ。捕まえられたんに」
「ご、ごめん」
「辰巳、無理させんとっ。初めてなんやからっ」
「なんかや、サワガニくらい真由美だって捕まえられるやろ」
「そうなの?」
「え、えっと、うん……」
確かにサワガニを捕まえるくらい朝飯前だが、なんだか恥ずかしくなった。あまり優一くんたちの前で、そういうことを言わないでほしい。
「サワガニとかいいやろ。それより、笹舟レースしよ」
取り繕うように、それとなく話題を変えた。
「ささぶねレース?」
「おう、いいばい」
辰巳はニヤッと笑うと、その辺に生えていた笹の葉をプチンと毟り取り、あっという間に笹舟を作った。
「わあ、凄い。どうやったの?」
「へへっ、こうよ」
辰巳は得意そうに、また笹の葉を毟って手際よく笹舟を作った。
「辰巳、ちゃんと教えんとダメやろ」
私も、笹の葉を何枚か毟り取ると、
「えっとね、ここを折って、ここを裂いて、ここに入れて、反対側も同じことして……はい」
できあがった笹舟を、陽菜ちゃんに手渡した。
「お姉ちゃんすごーい!」
「えっと、こうして……あっ」
見様見真似で作っていた優一くんは、葉っぱをペリッと破って失敗していた。
「難しいね、これ」
「えっとね、コツがあるの。なるべく厚めの笹の葉を使って……」
折り目と裂け目だけ作って、優一くんに手渡した。優一くんは慎重に葉っぱを組み合わせながら、丁寧に笹舟を作った。
「おしっ、みんなできたな。そしたら、ここから流して競争っ」
「競争って、どこがゴールなの?」
「えっとね、来る途中に、公民館があったでしょ?この沢がね、あの公民館の裏まで続いてるの」
「せーのでここから流したら、ダッシュでそこまで行くって。それで待っちょって、途中で引っ掛かったり、沈没せんかったら、ちゃんと流れてくる」
「それで、笹舟レースなんだ」
「おう、そしたら、みんなせーので流すばい。準備いいか」
「待って、辰巳。誰が誰のか分からんやんか」
「ああ、そうやった」
「じゃあ……」
私は水辺の傍に生えていたシダの葉を二枚毟ると、自分と陽菜ちゃんの笹船に挟み込んだ。
「はい、私と陽菜ちゃんのはこれね。これで、分かるやろ」
「いいばい。男チーム対女チームっちことな」
「やったぁ!お姉ちゃんと一緒!」
準備が整い、私たちはそれぞれ水辺に中腰でかがんだ。
「いいか、せーので流すばい。……せーのっ!」
パッと指先から放たれ、四つの笹舟が沢を緩やかに流れていった。と同時に、私たちはキャッキャとはしゃぎながら、我先にと頭沢の小道を駆け戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます