十三 過去のトラウマ
―――まだ小学校低学年の頃だった。私と辰巳は一緒に村で遊んでいて、このシラカダ様のお社へ来たことがあった。家族や村の人たちの言いつけを破って。
どうしてそんなことをしたのか。理由は単純。純粋な冒険心だ。
私も辰巳も、幼かった。好奇心に満ち溢れていて、生意気で、大人の言いつけを破ることが格好いいことだと思っていた。
だから、二人でここへ来た。鳥居をくぐって、未踏の地に足を踏み入れたのだ。
そう。ただ、それだけだった。足を踏み入れただけ。
他に、何のしようもなかったのだ。肝心のお社は扉に頑丈な鍵が掛けられていたから開かなかったし、どこからも中を覗けやしなかった。裏に回ってみても、入り口や窓は無かった。せっかく足を踏み入れたのに、鳥居の手前から見ていたものと大して変わらない要素が、そこにあっただけだった。
周りにも、特に興味をそそられるものは無かった。裏手には、お社の壁に造り付けられた粗末な薪置き場と、恐らく藁焼き場なのであろう、ブロック塀で造られた大きめの焼却炉があっただけで、その他には何も見当たらなかった。
何があるのだろうと期待していた未踏の地は、つまらない構造物があって、大して広くもなく、雑草が生え散らかって、周りを馬酔木と雑木林に囲まれているだけの、荒れ地に過ぎなかったのだ。
あっという間に「つまんない」と、冒険心を失った私たちは、シラカダ様のお社で遊ぶことにした。きゃあきゃあと声を上げながら、グルグルとお社の周りを駆け回ったり、縁側からジャンプして飛び降りたり、薪置き場によじ登って上の格子からお社の中を覗こうと試みてみたり――背が届かなくて諦めたが――、屋根に向かって小石を投げたりして。
村の人たちに見つかったらなんて、考えもしなかった。
やがて、そのはしゃぎ回る声を聞きつけて、やってきた人がいた。それが、さっきの人。川津家、川津屋敷の人間、辰巳のお父さんの義巳さんの弟、義則さんだった。
今でも、目に焼き付いている。耳にこびりついている。義則さんの鬼のような形相が。雷のような怒鳴り声が。
仕方がないことだとは思う。村の決まりを破ったのは、私たちなのだから。でも、あんなに激しい怒られ方をしたのは、生まれて初めてのことだった。
こちらの言い分を聞いてくれず、頭ごなしに怒鳴りつけられ、何度も何度も、お前のような分家の河津のガキが、神聖な場所であるここに、川津の一族が管理している場所に、おめおめと入ってくるんじゃないという旨のことを言われ続けた。
辰巳は、身内——川津屋敷の人間だからか、ほとんど怒られていなかった。怒鳴られている私の横で、ただただ気まずそうに俯いていた。
その内、私はグスグスと泣き出してしまったが、それでも義則さんの𠮟責は止まらなかった。人気の無いお社の前で、為す術もなく、延々と怒鳴られ続けた。それがようやく終わったのは、騒ぎを聞きつけた義巳さんが駆けつけて来てくれた時だった。
義巳さんに促されて義則さんは帰っていったが、私はあまりに長い間怒鳴られ続けた為に動けず、その場で泣きじゃくることしかできなかった。見かねた義巳さんが私を抱えて家まで送ってくれたが、家に帰りついても、私はずっと泣いていたような気がする。祖母や母から、優しく慰められても。
そして、この騒動は私が思っていたよりも事が大きくなった。
その日の夜に、話を聞いて憤った父が、川津屋敷に出向いたのだ。
そこで何が話されたのかは知らないが、帰ってきた父は、
「安心しろ。あん奴は元々、村の嫌われもんやったきな。しばらくしたら、川津屋敷からおらんようになる。それに、全部が全部、真由美が悪かったわけやない。やから、もう泣くな」
と、ベッドで寝ていた私の頭を優しく撫でてくれた。すっかり泣き疲れた私は、その言葉を聞いて、なんとか眠りにつくことができた。
やがて、その言葉の通りになった。川津屋敷から、義則さんの姿が消え去ったのだ。
かといって、完全に村からいなくなったわけではなかった。義則さんは一人、川津屋敷を出て、尾先の集落の空き家へと引っ越したのだ。
家族や村の人たちの会話を聞くに、どうやら義則さんは義巳さんから件のことで酷く叱責されたらしかった。正に、私が義則さんからされたように。その末に、川津屋敷に立ち入るなと、半ば叩き出されるような形で尾先の集落へ追いやられたのだという。本当かどうかは知らないが、最終的にその判断を下したのは久巳さんだと聞いている。
当の義則さんは、自分の方が川津屋敷——家族を見限ったのだと息巻いていたらしいが、村の人たちはみんなその声に耳を傾けている風ではなさそうだった。むしろ、昔から威張り散らしていた奴がすっかり大人しくなってせいせいした、という旨のことを口々に言っていた。どうやら、父の言っていた通りに、義則さんは昔から村の嫌われ者らしかった。
これは後で知ったことだが、義則さんは警察に勤めていて、香ヶ地沢市のどこかの交番で、巡査の仕事をしているということだった。
理屈は分からないが、村の人たちはそのこともよく思っていなかったようだった。恐らく、私の知らないところで、警察官という立場を利用して、村の人たちに対して威張ったりしていたのだろう。
結果的に、義則さんは因果応報だ、自業自得だと、村で後ろ指を差される人になった。
だが、だからといって、私は溜飲が下がる思いをしていなかった。
私は件のことが、ずっとトラウマになっていた。尾先の集落に入って行く義則さんの車を見かけただけで身体が震えたし、何かの拍子に会ったり、見かけたりしただけで、上手く息ができなくなった。
もし、出会い頭に「お前のせいで俺は家を追い出された」なんて言われたら――そう思うと、身体の震えが止まらなかった。
だが、当の義則さんは、私のことをまるで透明人間のように扱うようになった為に、その心配は杞憂に終わることとなった。
件のこと以降、義則さんは村の寄合や行事などにも一切顔を出さなくなったし、そもそも村に帰ってくること自体がほとんどなくなったので、会う機会は滅多に無かったが、何かの拍子に鉢合わせしても、まるでそこにいないかのように私のことを無視していた。
恐らく、義巳さんから釘を刺されていたのだろう。私に関わるなと。これ以上、ことを荒立てるなと。
だから、私は見せかけ上は、村で平穏に過ごせるようになった。
心の傷はそのままで、ずっと癒えることはなかったが。
それだけでなく、私は人から怒られることが、酷く苦手になった。
以前は、親や先生などから怒られても、酷く落ち込むことなど無かった。でも、件のこと以降、怒られる度に気分がズゥンと沈み込むようになった。
ほんの些細な事でも、怒られているというわけでもなく、軽く注意されただけでも、まるで、あの時のことが繰り返されているように感じてしまい、上手く息ができなくなり、身体が震えるようになった。相手が男の人だったら、尚更だった。酷い時は、その場で泣いてしまいそうになったこともある。
それからというもの、私はとにかく他人から怒られないように行動するようになった。学校の授業を真面目に受けて、宿題をきちんとして、忘れ物をしないようにした。家でも、お手伝いをして、言いつけを守って、ゲームをやり過ぎないようにした。
私は、ひたすら〝いい子〟として努めるようになったのだ。怒られることを避ける為に―――。
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