十二 遭遇

「ええーっ」

 陽菜ちゃんが残念そうに声を上げた。きっと、興味をそそられていたに違いない。……小さい頃の私たちのように。

「しかもね、大人だったら誰でも入れるわけじゃなくて、決められた人しか入っちゃいけないんだって。その入れる日とか時間にも、色々と決まりがあるらしいの」

「へえ……。なんか、変わったしきたりだね」

「おう、シラカダ様には夕方からじゃねえと会えんとか言いよった。なんやったっけ。確か、ナントカときが始まったら――」

「だから、この辺をうろうろしてたら、村の人から怒られるの。入ったら悪いやろって。やから、もう戻ろ?」

 負けじと知識を披露しようとする辰巳を遮って、踵を返そうとした時、

「ふん、真由美。なんビビリよるん」

 仕返しのつもりなのか、辰巳が鳥居の方へ歩き出した。

「あっ、辰巳っ、なんしよるんっ」

 慌てていると、辰巳はくるっと回って不敵な笑みを見せながら、後ろ歩きで鳥居をくぐった。

「ダメやろっ。怒られるばいっ」

「バレんっちゃ。誰もおらんし」

 鳥居の向こうで、辰巳は手を広げておどけた。私は怖くなって、思わずきょろきょろと辺りを見渡した。

 もし、村の人たちにバレたら、ただでは済まないのだ。きっと、雷を落とされてしまう。

「辰巳っ」

「た、辰巳くんっ」

 優一くんも状況を察してくれたのか、辰巳を呼び戻そうとした。が、

「優一も男やったら来いや。そげん怒られんっちゃ」

 辰巳は、挑発するように答えた。

「もうっ、辰巳っ!」

 声を荒げてしまい、思わず口を手で覆った。朽無村は声がよく響くので、誰がどこにいるかすぐに分かってしまう。聞きつけられたら、一巻の終わりだ。

「辰巳っ、戻るばいっ」

 声を抑えて、だが、強く促すように呼びかける。

「へへっ、ビビんなっちゃ」

「辰巳くんっ、戻った方が……」

 優一くんも呼びかけてくれたが、辰巳はそれを無視して、くるっと向き直り、サンダルをザリザリと鳴らしながら、お社の方へ歩いて行ってしまった。

「辰巳っ」

 呼びかけるが、辰巳は振り返ろうともしない。

「戻るっち言よるやろっ、辰巳っ」

 気が気じゃなくなりながら、必死に辰巳の背中に呼びかけていた時だった。

「……お姉ちゃん、この人だぁれ?」

 不意に、陽菜ちゃんに腕を引かれ、私は後ろを振り返った。

 いつの間にか、そこには―――。




「コラッ!なんしよるかっ!」

 息が止まった。

 驚いたからではない。怒られたからでもない。

 そこにいた人が誰か、分かったからだ。

 ずっしりとした大柄な身体、野太い声、横を刈り上げた短髪、濃い顔つきに、威圧的な佇まい。父や義巳さんたちと違って、日焼けしていない白い肌。

 この人は―――。

「ひっ……」

 辰巳が、ビクッとしながら振り返った。その顔は、今にも泣き出しそうだったが―――、

「辰巳っ!そこがどこか分かっちょるんかっ。シラカダ様んお社やぞっ」

 声の主が誰か分かるや否や、辰巳はすぐに元の笑顔に戻った。

「あっ、義則よしのりのおっちゃん!」

 私は、固まっていた。優一くんと陽菜ちゃんも、一体どういう状況なのか理解できずにいるようで、固まっていた。そんな中、辰巳だけが笑いながら、はしゃぐようにこっちの方へと戻ってきた。

「なんしよるん。こげなとこで」

「それはこっちんセリフて。お前たちこそ、ここでなんをしよるんか」

「なんでもねえ。ちょっと見よっただけ。どうしたん。仕事じゃないと」

「おう。今日は非番やきんな。久しぶりに戻ってきたとこよ」

「さっき尾先に寄ったけど、車が無かったき、仕事に行っちょるんかっち思った」

「ははは、戻ってきたんは、ついさっきのことやきなぁ」

 固まっている私たちを置き去りにして、二人は会話に花を咲かせていた。が、私のトラウマ――義則さんは不意に、優一くんたちの顔を訝し気に見渡すと、

「辰巳、こん奴たちはなんか」

「ああ、義則のおっちゃん。知らんやったと?今度、尾先に引っ越してきた、山賀っち人たちばい。こっちが優一で、そっちが陽菜」

「引っ越してきた?それは知らんやったなあ。兄貴ん奴、俺になんも言わんやったが……」

 義則さんが優一くんたちの顔を見遣りながら、眉をひそめた。優一くんたちは反射的に小さく会釈をしていたが、義則さんはまるで相手にしていない様子だった。

「家に寄っちょったんやないと?」

「いや、ちょいと用があって寄ろうとしちょった時に、お前たちの声が聴こえたのよ。それで、ここまで上がってきたとこやったって」

「そうなん。あっ、俺が鳥居をくぐったことは、内緒にしちょってよ」

「はっはっは!分かっちょる分かっちょる。誰にも言いやせん。けど、本当に入ったら悪いきんな。分かったら下りちょけよ、お前たち」

 義則さんはそう言うと、辰巳の頭を大きな手でぐしゃっと撫でて、石段を降りていった。




 目の前から義則さんの姿が消えて、しばらくしてから、私は止まっていた息をどっと吐いた。

 まさか、一番会いたくない所で、一番会いたくない人に会ってしまうなんて―――。

「……辰巳くん、さっきの人、誰?」

 突然の義則さんの登場以降、私と同様に固まっていた優一くんが、おずおずと沈黙を破った。

「ああ、あれは義則のおっちゃんよ。俺のおとうの弟」

 そして、私にトラウマを植え付けた人——と、私は頭の中で補足した。

「えっと……大丈夫だったの?」

「おう。義則のおっちゃんは俺によくしてくれるき、怒られんよ。でも、見つかったき、もう下りろうや」

 さっきまでの悪戯心はどこへやら、辰巳はすたすたと石段を降りていってしまった。が、私は未だにその場から動けないでいた。

「お姉ちゃん?どうしたの?」

 何かを察されたのか、陽菜ちゃんが心配そうに私の顔を見上げて、訊いてきた。

「い、いや、なんでもない。行こっか」

 そう答えると、陽菜ちゃんの手を取って、石段を下りた。その最中、私は過去の――自分の人生で最大級のトラウマを思い出していた。

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