十一 シラカダ様のお社
それから私は、坂道を右へ左へジグザグと上りながら、優一くんたちに村の説明をして回った。
といっても、バス停の所で一通り説明をしていたので、建物の前に来ては、「ここがさっき言ってた所」と言うだけだった。それでも、直に目の前にすると色々と目を見張るものがあるようで、優一くんたちはしげしげと村の建物や近くの景色を眺めていた。
きっと、物珍しいのだろう。前に住んでいた都会には、雑木林も、田んぼも、畑も、農機具をしまう小屋も、古めかしい和風家屋も、無かったに違いない。私が社会科見学の時に、福岡市の見上げるようなビルが立ち並ぶ街並みをしげしげと眺めていたのと同じことだ。
辰巳はというと、河津酒屋の説明をしていた際に、機嫌を直していた。中に入って、店番をしていた秀雄おじちゃんに優一くんたちの紹介をしている時に、アイスの冷凍庫の霜を削り取って私の背中——服の中に入れてきたのだ。私が怒って、店の外に逃げた辰巳を追い回していると、顔には自然と笑みが戻っていた。憎たらしかったが、とりあえずは機嫌が直ったようだったので、ほっとした。それを見ていた秀雄おじちゃんと優一くんたちに笑われたのは心底恥ずかしかったが、場が和んだおかげか、秀雄おじちゃんは移動販売の軽トラックからジュースを取り出して、私たちに振舞ってくれた。
そんなこともありながら、私たちは尾先、中原、野土と、朽無村を上っていった。途中、私の家の前に着くと、陽菜ちゃんが「入りたい」と騒ぎ出したが、「今日はごめんね」と、断った。家に上げたら、母から怒られるに違いないと思ったからだ。「お茶菓子も用意しちょらんのに、勝手に家にあげんと」と。
陽菜ちゃんの願いを無下にするのは心苦しかったが、優一くんがそれとなく諌めてくれたおかげで、どうにかやんわりと断ることができた。その代わりにと、馬酔木が綺麗に刈り整えられた祖母の自慢の庭先を見せながら、今度来た時は、凍らせて美味しくしたこんにゃくゼリーをあげるからね、と約束した。
「な、一番大きかったやろ」
川津屋敷を後にして野土の坂道を上っていると、辰巳がニヤッと笑いかけてきた。
「うん。凄く広かったね」
「真由美んちと比べもんにならんかったやろ。庭も、家も。俺の部屋も広いっぞ」
「もう、そげん言わんでいいやんかっ」
得気な辰巳に一喝する。まったく、機嫌が直ったのはいいが、わざわざ人の家を貶すのはやめてほしい。気分屋め。
門の外から眺めるだけだったが、敷地の中へずかずかと入り込み、大声で久巳さんを呼びつけてやればよかっただろうか。そうすれば、辰巳も大人しく……いや、そんな酷いことを考えるのはやめよう。私はそこまで性格の悪い人間ではない。
「へいへい。おっ、着いた着いた」
言い争っている内に、いつの間にか坂道を上り切っていたようで、朽無村の最上部、頭原へと続く石段の前に、私たちは立っていた。
「こっから村の天辺に行けるんやけど、そん前に、ほら。こっから見たら、めっちゃ景色が良いやろ」
辰巳が、眼下に広がる景色を指差した。ここからは、バス停の辺りから見たのとは反対に、上から朽無村を見下ろすことができる。その上、村の向こうに広がる広大な田園地帯や、その真ん中を走る一本道や、それらを囲うように連なっている山々まで望めるのだ。
「本当だ、凄い景色だね」
「広ーい!」
優一くんと陽菜ちゃんが、感嘆の声を上げた。確かに、ここからの眺めは、村に住み慣れている私でもいいと感じるものだ。ちょうど晴れていて、真っ青な空と、真っ白な積乱雲と、青々とした緑の大地とが、せめぎ合うかのようにくっきりと色付いている。
「あっこの田んぼが真由美んちで、向こうの田んぼが酒屋の秀雄んちで、端っこが雅二んちで、後は全部うちの田んぼなんやぞ。ほら、あそこに掘っ立て小屋があるやろ。あの辺りは、昔は家がいっぱい建っちょったらしいけど、うちが全部潰して田んぼにしたっぞ」
辰巳がまた自慢を始めて、やれやれと小さくため息をついた。一応は本当のことを言っているから、反論したところで無駄だろう。
家々が建っていた一画を潰して田んぼにしたという話は、私も父から聞いていた。今はこの傾斜地にしか集落がないが、昔は村の入り口近くの田んぼの方にまで家がたくさん建っていて、そこまで含めて朽無村だったらしい。その頃は人もたくさんいたが、時を経るにつれて段々と減っていき、尾先の集落のように空き家だらけになってしまったので、川津家が全部潰して田んぼにしてしまったのだという。
要するに――これも社会の授業で習った気がするが――過疎化という現象が朽無村に起きたのだろう。
「へへへっ、凄いやろ。ほいで――」
辰巳が景色に背を向けて、石段の方に向き直り、
「この石段を上れば、村の天辺の頭原ばい。さっき言よった、シラカダ様のお社がある」
辰巳の言う通り、この十段ほどある古めかしい石段を上れば、朽無村の最上部、頭原に辿り着く。そしてそこには、シラカダ様のお社がある。
でも……。
「辰巳、上に行くと?」
私は、念の為に訊いてみた。
「別にいいやろ。中に入らんければいいんやし」
辰巳はそう言うと、ひょいひょいと石段を上って行ってしまった。振り返り、再度村の方を見下ろしてみたが、坂道や田んぼに人の姿は見当たらない。
「えっと……行こっか」
優一くんたちに声を掛け、おずおずと石段を踏みしめて上った。白や薄緑の斑点が無数に浮き、所々ひび割れている石段は、端の方に枯れた笹の葉がびっしりと溜まっていた。
たった十段ほど、しかし結構な急角度の石段を上り終えると、地続きのように続いている石造りの道に、辰巳が立っていた。私たちが来たのを見計らったかのように振り返り、
「遅えぞ、なんしよったん」
「見つからんか見よったと。また怒られるかもしれんやんか」
「怒られんっちゃ。くぐらんければいいんやから」
と、親指で背後の鳥居を差した。確かにそうだが、石段の上にいるだけでも、十分に怒られるのではないか。それに、辰巳の家が近くにあるのだ。もし、川津屋敷の人に見つかったら……。
そんな心配をよそに、辰巳はすたすたと行ってしまった。シラカダ様のお社の入り口、鳥居の方へ。
呼び止めようかと思ったが、石段の上にいるよりかは、奥へ行った方が、下から姿が見えなくなると思い立ち、仕方なくついていった。そんな私に倣うように、優一くんたちも辺りを見渡しながらついてきた。
―――ここには、久しぶりに来た気がする。
でも、あの時とちっとも変わっていない。
十メートルもないであろう短い石造りの道。その両脇の、雑草が生え散らかった原っぱ。道の先に構えている、石造りの鳥居。そして、その両脇にずらりと並べて植えられた馬酔木。それらは、私の家の庭先に植えてあるものと違って、手入れが行き届いておらず、枝葉がひしめき合うように乱雑に伸びていた。そのせいか、まるで侵入者を拒む塀のように感じられてしまう。
ここには、あまりいい思い出がない。かつて、私と辰巳はここで―――、
「ここって、神社なの?」
鳥居の前まで来ると、優一くんが声を上げた。
「神社っち言よらんけど、似たようなもんやねえかな。俺たちは、シラカダ様のお社っち呼びよる」
「そうなんだ……」
優一くんが疑問に思うのも、無理はないだろうか。
村の人たちがみんな〝お社〟と呼んでいた為、私たちの中ではそういう名称のものになってしまっているが、確かに、あれを始めて見た人は〝神社〟と呼びたくなるだろう。
鳥居の向こうには、いかにも神社っぽい建物がある。床が高く造られていて、入り口の手前に短い石段が設けられていて、縁側みたいな上り口があって、焦げ茶色の板張りの壁に、くすんで渇いた古めかしい質感の柱や梁、マジシャンがかぶる帽子みたいな形の苔むした瓦屋根。
あれが、シラカダ様のお社だ。でも、狛犬も、お賽銭箱も、お参りの時に鳴らす鈴も、設けられてはいない。というより、何も無い。
何も、無いのだ。正面に開き戸があるが、それはずっと閉め切られたままだし、取っ手には鎖が回されていて、頑丈そうな大ぶりの南京錠が取り付けられている。そこ以外に入り口は無いし、窓もない。唯一、壁の上部のぐるり――板張りの壁と軒の間が明り取り用の格子になっているが、そこは三十センチくらいしかないし、高い位置にある為、中を覗き込むこともできない。
だから、私たちは中に何があるのか、まるで知らない。シラカダ様のお社と呼んではいるが、砕けた言い方をすれば〝中に何があるのか分からない、神社っぽい造りの開かずの建物〟だ。
もちろん、家族や村の人たち――いわゆる大人に訊いたことがある。「中に何があるの?」と。
だが、その度にはぐらかされてしまう。「別に大したもんはねえばい」とか、「シラカダ様が祀られちょるだけて」とか言われて。
「なんか、変でしょ?神社っぽいのに、神社っぽいものが何も無いなんて」
「いや、そんなことは……。でも、あんなのは見たことないや」
優一くんがあんなのと言ったのは、恐らく
「あれね、一筋縄っていうの」
「ひとすじなわ?」
「うん。一本の縄ってこと。あれ、どこにも切れ目がなくて、全部繋がって戻って来てるの」
「へええ……」
確かに、あれは異様に感じても仕方がないのかもしれない。味気ないお社の佇まいの中で、唯一それらしい趣きがある箇所ともいえる。
板張りの壁の上にずらっと並ぶ格子。そこに一メートルほどおきに括り付けられている藁紐にぶら下げるようにして回されている一筋縄は、建物の四方をぐるりと巡っている。大量の稲藁で編まれたそれは直径が五センチほどもあり、どこにも切れ目繋ぎ目が無い。
そして、その両端は正面の扉の真上でぐるぐると捻じられ、だらりと取っ手の辺りまで垂れ下げられている。まるで、お社という箱を結わえて閉じているかのように。
他所の神社やお寺では、こんな装飾をしているのを見たことがない。注連縄というものが回されているのは見たことがあるが、あれは注連縄とは違うものだ。似ているけれど、白いジグザグの紙が付いていないし、太さも均等に作られている。
「あれな、毎年、田んぼが終わって稲藁ができたら、村の男ん人たちで作るって。自分とこの藁をここに持ち寄って、みんなで編み込んでな。そん時は、うちがリーダーになるんぞ」
辰巳が、誇らしげに言う。
「凄いね。手作りなんだ」
「おう、大事なもんやきんな。村が盛り上がりますようにっち言って作りよるらしい」
「えっとね、田んぼが上手くいきますように、っていうか、立派なお米を作れますようにってこと」
変な表現をした辰巳の補足をすると、
「ねえ、ここっておみくじできるの?」
と、陽菜ちゃんが声を上げた。
「おみくじはないよ。お賽銭箱もないし。うーんと、なんていったらいいのかなあ……。ここはね、神様を祀ってるところなの」
「それって、さっき言ってた、ええっと……」
「シラカダ様っ」
さっき補足されてムキになったのか、今度は辰巳が優一くんの補足をした。
「そうそう。シラカダ様っていうのは、どんな神様なの?」
「うーんとねえ……。私たちも、あんまりよく知らないんだけど――」
「シラカダ様っちいうのは、白蛇の神様のことばい」
私を遮って、辰巳がつらつらと説明を始めた。
「シラカダ様は白蛇の姿をしちょってな。ずうっと昔、この朽無村ができた時から、おるらしい。元々朽無村は、うちのご先祖様が山を切り開いて作ってな。そん時、ご先祖様がシラカダ様をここに連れて来たっち言よった。そっから、ずっと川津屋敷のもんが代々世話をしよってな。シラカダ様のおかげで、田んぼが盛り上がって、立派な米が作れるようになって、村が栄えたっち、おとうから聞いた」
辰巳は説明を終えると、「フフン、どうだ」といった風に私を見てきた。ムカついたが、さすがは川津屋敷の人間だ、と見直した。
辰巳の説明の通り、シラカダ様はそういった存在だ。小さい頃から、父や祖母に似たようなことを何度も聞かされていた。シラカダ様のおかげで、この朽無村があるのだと。確か……ごこくほうじょうを司るとかなんとか、そういうことも言っていた気がする。
「あとね、朽無村じゃあ、蛇を大切にしないといけないの。山とか田んぼで見かけても、イタズラしたり、殺したりしちゃいけないんだって。シラカダ様は白蛇の神様で、その辺にいる蛇はその使いっていうか、仲間みたいなものだから、大切に扱わないと罰が当たるって。抜け殻とかも、見つけたら持って帰って玄関に飾ったりするんだよ」
なんとなく悔しかったので、私もシラカダ様についての知識を披露した。辰巳ほど詳しくはないが、これくらいのことは知っている。
この間、家の小屋で父と大きな蛇を見つけた時も、田んぼでカエルを食べている蛇を見かけた時も、無下に扱わなかったのは、その為だ。村の人はみんな、蛇を大切に扱っているし、その辺で見かけたら拝んだりしている。蛇様だとか、村の守り神様の使いだとか言って。
「白蛇の神様……。じゃあ、あの中に、シラカダ様がいるの?」
優一くんが、閉め切られたお社を見つめながら言った。
「いるっていうか、祀られてるっていうか……でも、ここはね、子供は入っちゃいけないの」
「えっ、そうなんだ」
「なんかね、大人の人しか、この鳥居をくぐっちゃいけないんだって。子供は、くぐっちゃダメって言われてるの」
端的に言うとそういうことだが、村の大人たちから言いつけられている文言は、少し違う。
例によって、お社のことを聞くと大人たちは白々しく、ああだこうだとはぐらかすのだが、その後には必ず、こう付け加えるのだ。
「いいか。シラカダ様にはな、大人になるまで顔を見せたらいけん。シラカダ様は、大人やないと会うことが許されん神様やきな。子供の内に会うてしまうと、それはそれは酷い罰が当たる。やから、お社に入ったらいかんし、入り口の鳥居も、絶対にくぐったらならんぞ―――」
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