十 村の案内
「いってらっしゃあい。気を付けてねえ」
奥さんに見送られ、私たちは優一くんと陽菜ちゃんを連れて山賀家を後にした。とりあえず、尾先の集落を出ることにする。
「どうする?辰巳」
「どうするっち、なん」
辰巳は、ぶっきらぼうに答えた。どうやら、まだ優一くんたちに対して人見知りしているらしい。まったく、頼りがいが無い奴だ。
だが、私もあまり人のことは言えなかった。
無理もない。この間、挨拶をした時とは状況が違うのだ。あの時は、どちらにも親、ひいては大人という心強い味方がいた。でも、今は私たち子供だけだ。後ろ盾がない分、少し心細かった。
「えっと……」
尾先の集落を出て、上と下に続く坂道を前に、考える。案内するといっても、どうしたらいいのだろう。
「とりあえず……こっちに行こっか」
悩んだ末、下へと続く坂道の方に一団を先導した。どうせなら、入り口の方から案内した方がいいだろう。
みんなでテクテクと坂道を下りていると、
「ねえねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんって、どこに住んでるの?」
「え?えっとね、私の家は、あっちの上の方だよ」
「行ってみたい!お姉ちゃんの家!」
「えっと……後で案内するね。とりあえず――」
「お姉ちゃんの家に行くー!」
「こら、陽菜。困らせちゃダメだろ」
天真爛漫な陽菜ちゃんを、優一くんが優しく諭した。
「行きたい行きたい!」
「我儘言っちゃダメ。僕たちは案内される側なんだから」
「むううー!」
陽菜ちゃんが、ぷくっと頬を膨らませた。私はどうしていいか分からず、戸惑っていると、それを察されたのか、優一くんが、
「ごめんね。困らせちゃって」
と、謝ってきた。
「い、いや、大丈夫だよ。それに、私の家は後で案内するから」
「ほんと?やったぁ!」
陽菜ちゃんがあっという間に機嫌を直し、ぴょんぴょんと跳ね始めた。それを見て、ほっと息をついていると、
「真由美の家とか、なぁんもねえよ」
辰巳が、こっちを見向きもせずに毒づいてきた。
「なんもねえっちなん!」
「なんもねえやんか。
「狭えことないっ!
言い合いになっていると、それを優一くんたちに見られていることに気が付いた。途端に恥ずかしくなり、モゴモゴと口ごもっていると、
「ね、ねえ。えっと……辰巳くん」
優一くんが、初めて辰巳の名を口にした。途端に、威勢よく振舞っていた辰巳が、ピクッとして優一くんの方を向いた。
「その背中に背負ってるのって、何?」
辰巳は、優一くんの顔をじっと睨むと、
「釣竿」
とだけ、ぶっきらぼうに答え、またプイッと顔を背けた。
「釣竿って、渓流釣り用の?僕、やったことないんだ」
「そうなん」
「うん。海釣りなら、お父さんと一回だけ行ったけど、全然釣れなかったんだ。ねえ、渓流釣りって、どんな風にやるの?」
「延べ竿で、垂らすだけ。海釣りやったらリール使うけど、この辺の川やったら、リールとか使わんでいいき、延べ竿でやる。仕掛けも、針とガン玉だけしか使わん」
「それだけで、釣れるの?」
「釣れる!エノハも釣ったことある」
「えのは?」
「ヤマメのこと」
「ええっ、凄い!僕、ヤマメって図鑑でしか見たことないよ」
「滅多に釣れんけど、俺は何匹も釣った!」
やり取りを交わしていく内に、辰巳の顔が綻び始めた。私には頓珍漢な会話にしか聴こえなかったが、どうやら釣りの腕前を褒められて、御満悦らしい。
ほっと、胸を撫で下ろした。ここまでいけば、後はとんとん拍子だろう。辰巳はきっかけさえあれば、あっという間に距離が縮まる。もう放っておいても構わない。
盛り上がる二人の会話を邪魔しないようにしていると、不意に陽菜ちゃんが、
「ねえ、お姉ちゃん。手、繋いでもいーい?」
と、無邪気な笑顔で訊いてきた。
「うん。いいよ」
手を握ってあげると、陽菜ちゃんの無邪気さが伝染したように、私も自然と笑顔になった。
〝お姉ちゃん〟と呼ばれるのは、初めてのことだった。なんだか、不思議な感じだ。誇らしいような、それでいて、どこかくすぐったいような……。
私は一人っ子なので、兄弟姉妹がいない。加えて、小さい頃から身の回りに私より幼い子がいたことがなかった為、お姉さん扱いをされたことが今までに一度もなかった。当然、学校には下級生の子たちがいるが、こんなにも直接的にお姉ちゃんと慕われたことがない。
「ねえねえ、お姉ちゃん。これ、可愛いでしょお?」
陽菜ちゃんは、首から下げていたものを誇らしげに見せてきた。それは、ピンク色の小さなポーチだった。真ん中に、蝶々の形をしたバッジが付いている。
「うん、可愛いよ」
「そうでしょ!これね、ママがね、作ってくれたの!」
「えーっ!手作りなの?凄い!」
手を繋いで話をしている内に、段々と嬉しい気持ちになってきた。もし、妹がいたとしたら、こんな感じだったのだろうか。
和気あいあいとしている内に、坂道を下り終えて、橋を渡り、朽無村の入り口——バス停の所まで辿り着いた。くるっと山の方に向き直り、説明を始める。
「えっとね、毎朝ここからバスに乗って、学校に行くの。七時四十分にバスが上ってくるから、それまでにここにいなくちゃいけないの」
「そうなんだ。陽菜、今までより、早起きしなくちゃいけなくなるぞ」
「ええーっ」
「午前中はバスが一本しかないきんな。乗れんかったら、学校に行かれんくなる」
「ふふっ、辰巳。一回遅刻して、車で送ってもらいよったやん」
「なんで言うとかや!別にいいやろ!車ん方がバスより早かったし!」
「あん時、おっかしかったあ。校門のとこに隠れちょったもんね。私が来たら、こっそり後ろについてきて」
思い出し笑いをしながらバス停の説明を終えると、今度は村の方を指差した。
「えっとね、これが朽無村。ここからやったら、全部見えるでしょ?」
朽無村は、二つの大きな山と山との間に寝そべるようにして存在している小さな山の斜面を切り開いて作られているので、麓になる下から見上げたら、全体が一望できる。社会の授業で習ったが、こういった形で人が集まり、生活している所のことを、傾斜地集落というらしい。
「村っていっても、見ての通り一本道なの。ずうっとジグザクの坂道になってて、すぐそこの……優一くんたちの家があるあそこが、尾先っていうの」
「おざき?」
「うん。道に入ったら、五軒家が並んでたでしょ?あの辺りを、村の人たちはみんな尾先って呼んでるの」
「そうなんだ」
「そん内、尾先の山賀さんっち言われるようになるばい」
辰巳が、ニヤッと笑いかけた。どうやらすっかり打ち解けたようだ。
「それで、尾先からひとつ坂道を上ったあそこにあるのが、河津酒屋さん」
向かって右の尾先に差していた指を、左へと移す。
「酒屋さんだけど、色々売ってるの。お菓子とか、アイスとか。駄菓子屋って言った方がいいのかな?」
「ロケット花火も売りよるし、爆竹も売りよるから、武器屋っち言ってもいいばい」
「辰巳!いらんこと教えんと!爆竹とか怪我するやろ!」
「爆竹くらいでビビんなや!鳥を追っ払うのにも使うっぞ!」
「一回怒られたやろ!火遊びはダメっ!」
言い争っていると、
「花火!花火買いたい!」
と、陽菜ちゃんが無邪気に声を上げた。はっと我に返り、気を取り直して、村の方へ向き直る。
「えっと……それでね、あれが河津酒屋さんで、そこからひとつ坂を上ったあそこが、
「なかばらごや?」
「うん。トラクターとか、大きいトラックとか、消毒する機械とか、そういうのをあの小屋に置いてあるの。朽無村の人って、みんなお米農家なんだ。だから、みんなで使う共用の機械を、あそこで管理してるんだって」
「それで、あんなに大きいんだ」
確かに、中原小屋は村全体の景色の中で、やけに目立っている。建物自体も大きいし、壁も屋根も真っ白いトタンでできているせいだろうか。
「俺んちが建てたんぞ。機械も、俺んちが買ったやつばっか」
辰巳の小うるさい自慢を聞き流して、説明に戻る。
「で、中原小屋から坂ひとつ上ったあそこが、河津さんの家」
「朽無村って、かわづさんって苗字の家が多いんだね」
「うん。河津酒屋から上の人は、みんな河津っていう苗字なの。さんずいへんの方の河津。でも――」
「うちだけは、さんぼんがわの川津やけどな」
辰巳が私の説明を遮って、誇らしげに言った。
「へえ。同じかわづさんじゃないんだね」
「おう。さんぼんがわの川津は、朽無村で一番偉いっぞ。なんたって、本家やきなあ。元々は同じやったらしいけど、さんずいの河津はみんな分家扱いになったっち言いよった。ほら、真由美んちの上に、一番でっかい家があるやろ。あれが俺んち。みんなは、川津屋敷っち言いよる」
「もう、辰巳!順番に説明しよるんやき、飛ばさんでよ!」
「へーい」
辰巳はニヤニヤと笑いながら、頭の後ろで手を組んだ。せっかく下から順に説明していたのに、勝手に横入りしてきて。まったく憎たらしい。本家だの分家だの、わけの分からない大人ぶった言葉まで使って。
「ごめんね。えっと……それで、あそこの河津さんちから、ひとつ坂を上ったあれが、私の家」
「お姉ちゃんの家!」
陽菜ちゃんが、目を耀かせる。
「ねえねえ、お姉ちゃんのおうちには、犬いる?」
「犬?うちにはいないよ。どうして?」
「あのね、前のね、陽菜のおうちの隣にはね、モカがいたの!」
「モカ?」
「ああ、ごめんごめん」
優一くんが、制するように陽菜ちゃんの肩に手をやった。
「前に住んでたマンションのお隣さんが、犬を飼ってたんだ。モカっていう名前の。陽菜はモカが大好きだったから、いっつも犬が飼いたいって言ってるんだ」
「そうなんだ。ごめんね、陽菜ちゃん。朽無村には、犬を飼ってる人はいないの」
「そうなんだぁ……。モカ、元気にしてるかなあ」
無邪気一色だった陽菜ちゃんの顔が、ふっと悲しみに曇った。きっと、引っ越す時に辛い思いをしたのだろう。
どんな声を掛けたらいいか分からないでいると、不意に優一くんがしゃがみ込んで、陽菜ちゃんの手を取った。
「きっと元気にしてるよ。それに、陽菜の喘息が治ったら、犬を飼ってもいいって、パパも言ってただろ?いつかきっと飼えるよ。モカみたいな犬を」
「いつ?」
「……分かんないけど、頑張って治さなきゃね。ほら」
優一くんが、陽菜ちゃんの頭をポンポンと撫でた。
「もし飼うとしたら、なんて名前付けるんだ?」
「モカ!」
「それじゃあ、あっちのモカと分かんなくなっちゃうよ」
優一くんがクスクスと笑い、陽菜ちゃんの顔に無邪気さが戻った。
私は、ほっとすると同時に、優一くんに感心していた、優しくて、しっかり者のお兄さんなのだなあと。
もし、私に弟や妹がいたとしたら、あんな風に振舞えるだろうか。お姉さんとして、優しくできるだろうか。年上として、しっかり者になれるだろうか。
分からないが、もしいたとしたなら、優一くんのようになりたいと思った。優しく、しっかり者で、気遣いができるようなお姉さんになりたいと。
「じゃあ、いつか考えよう。お兄ちゃんも一緒に考えるから。ほら」
優一くんはスッと立ち上がり、
「その前に、説明を聞かなくちゃ」
と、私を見た。瞬間、私は顔が赤くなるのを感じて、咄嗟に村の方へ顔を向けた。
「え、えっとね。あれが私の家で、それから坂ひとつ上のあそこが、中原公民館。何かあったら、みんなあそこに集まるの。あっ、ラジオ体操も、毎朝あそこでやってるんだよ」
「そうなんだ。でも、僕たち、カードを持ってないんだよね」
「あっ、俺のやろっか」
辰巳が、いたずらっぽく笑いながら言った。
「辰巳!」
「はいはい。分かっちょうよ。でも、いいなあ。体操せんでいいっちことやろ。もしかして、宿題もねえと?」
「うん。でも、前の学校の先生が、勉強に遅れたらいけないからって、問題集を作ってくれたんだ。だから、代わりにそれをやってるよ」
「ええーっ。そんなんせんでいいのに。毎日遊べるやんか」
「ハハ。でも、父さんと母さんからも言われるしね。勉強しておきなさいって。それに、あんまり遊んでても怠け者になっちゃうから、コツコツやってるんだ」
「俺やったら、絶対せんし、体操も行かんわ」
「あっ。明日から、僕たちもラジオ体操に行くよ。ね、陽菜」
「お姉ちゃんも来るの?」
「えっ?うん」
「じゃあ、行くー!」
辰巳は、信じられないといった様子で二人を見ていた。気持ちは分からないでもないが、それを見ているとなんだかおかしかった。
「じゃあ、八時までにあそこに来てね。日曜日はお休みだけど、それ以外の日は毎日やってるから」
「分かった。陽菜、ちゃんと早起きできる?」
「できる!起きれるもん!」
陽菜ちゃんが小さな手を握りしめて、ぱたぱたと振った。その様子がとても可愛くて、思わず頭を撫でてあげたくなった。
「それで、あの公民館から坂を上ったら、辰巳の家。さっきも言ってたけど、みんなは川津屋敷って呼んでるの」
「へへ、大きいやろ!」
辰巳が、待ってましたと言わんばかりに声を上げた。
「うん。凄く大きい家だね。なんか、大名様のお屋敷みたい」
「だいみょうさまっち、なん?」
「えっと、昔の……偉い人かな」
「おう、そうやろ。朽無村じゃ、うちが一番偉いきんな」
褒められて御満悦の辰巳を見ると、ちょっぴりムカついたが、言ったことは紛れもなく事実だった。川津家が朽無村の主たる存在なことに、間違いはない。
「あっ、そうそう。中原公民館から上の、川津屋敷があるあの辺のことは、野土っていうの」
「のど?」
「おう。うちも、昔は野土屋敷っち言いよったらしい。野土に家があるんは、うちだけやきな。野土の川津っち言ったら、うちんこと。川津屋敷のもんっち言っても、うちんこと」
「要するに、村長さんの家なんだね」
「うん。この間、私たちと一緒にいた義巳さんが、そんな感じ……」
ふと、辰巳を見ると、さっきまでの威勢はどこへやら、口を結んで俯いていた。なんとなく、その理由を察して、
「それでね、あの川津屋敷から坂道を上ったあそこ、朽無村の一番上、山の天辺が
と、それとなく話題を変えた。
「しらかださま?」
「うん。ええっと、なんていったらいいのかなあ……。直接見た方が早いし、行ってみる?」
「うん。まだ、村の中を歩いて回ったことないから、行ってみたいや」
「お姉ちゃんの家にも行く?」
「うん。途中にあるから、寄ってもいいよ」
「やったぁ!」
陽菜ちゃんが、ぴょんと飛び跳ねた。その横で、チラリと様子を窺うと、辰巳は未だにむっつりと黙り込んでいた。
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