六 来訪者

 見慣れない光景に目を離せないでいると、その大きなトラックは窮屈そうに坂道を上り、尾先の集落の方へと入って行った。

「なんやろ、あれ」

 辰巳がそう零した時、また下の道路の方からエンジン音がして、車が上がってくる気配がした。でも、それはさっきの大きなトラックに比べて、随分と貧弱なエンジン音のように感じられた。

 その予想は的中していて、道路を上がってきたのは普通の白いワンボックスカーだった。それもまた、大きなトラックと同じように朽無村に入り込んで坂道を上り、尾先の集落へと入って行く。

「なんか、あったんかな」

 私と辰巳は示し合わせたように、一緒に坂道を下って尾先の集落の方へと歩いて行った。

 大きなトラックも、ワンボックスカーも、今までに見たことがない車で、興味が湧いた。何か、普段とは違う事が起きている。

 尾先の集落の入り口まで近付くと、遠巻きに声が聴こえてきた。複数の大人が会話をしている声だ。

 一体何なんだろうと、集落の中には入って行かずに、一番手前の空き家の影から顔を出し、覗いてみた。

 一本道の左手に家が五軒並んでいる集落の中ほどに、あの大きなトラックとワンボックスカーが停まっている。トラックは後ろの荷台が開け放たれていて、そこから大きなダンボール箱を運び出している大人の男の人たちが三人いた。その内の二人は、作業着っぽい青い服に身を包み、青いキャップをかぶっているが、もう一人は普通の私服然とした格好だった。

 と、その時、トラックが停まっていた前の——五軒の内、真ん中の家の玄関から、女の人が現れた。

 あれ?確かあそこも空き家だったはずだけど、と思っていると、女の人が家の中に向かって何事か叫んだ。

 すると、玄関から、小さな女の子がぱたぱたと飛び出してきた。女の人がそれを受け止めて、あやすように肩を抱えて揺らしていると、一息遅れて、また誰か玄関から出てきた。

 それは、男の子だった。先に出てきた女の子よりも大きく、スラリとした背格好の男の子が、玄関から現れた。

「誰やろ、あれ……」

 後ろで、辰巳が訝し気に呟いた。私も、同じことを思っていた。

 一体、誰だろう?雰囲気から察するに、どうやら引越しをしているらしいが、そんな話は誰からも聞いていない。家族からも、村の人たちからも。

 事の次第を確かめたかったが、集落の中へ入って行く気にはなれなかった。昔から、尾先の集落にはあまり近寄るなと言いつけられているし、知らない人にずけずけと「どこからきて、何をしているんですか?」と訊くような社交性を、私は持ち合わせていなかったからだ。

 じっと眺めていても仕方ないし、家に帰って何か知らないか家族に訊いてみよう。そう思い、身を翻そうとすると、

「うわっ!」

 私の肩にしがみつくようにして覗き込んでいた辰巳がバランスを崩し、私を巻き込むようにして転んだ。

「きゃっ!」

 咄嗟に受け身を取ったが、私は思わず悲鳴を上げてしまった。すると、家の前にいた人たちが気が付き、一斉にこちらを見た。地面に倒れている、私と辰巳を。

「…………」

 まるで、時間が停まったかのようだった。誰もかれもが、微動だにしていなかった。向こうの人たちも、私たちも。

 が、数瞬もすると、途端に気まずさと、気恥ずかしさとが込み上げてきて、私はあたふたと立ち上がり、ダッシュでその場から逃げた。坂道を上り、河津酒屋の方へ一心不乱に駆け戻る。

 後ろで、辰巳が何事か言っている気がしたが、振り返らずに走った。別に悪いことをしたわけでもなかったが、なぜか逃げずにはいられなかった。見ず知らずの人たちの目線から。

「はあっ、はあっ……」

 最初に辰巳がいた田んぼの所まで戻って来て、私はようやく走るのをやめた。一息遅れて、辰巳が追い付く。

「はあっ、はあっ……、急に逃げんなやっ」

 膝に手を突いて息を整えながら、辰巳がぼやいた。その手に泥が付いているのを見て、私はようやく自分の肩が汚れているのに気が付いた。

「ああっ」

 さっき、辰巳がしがみつくようにして覗き込んでいたせいだ。泥の付いた汚い手で、私の肩を。

「もうっ、なんで触ったとっ。泥が付いたやんかっ」

「なんかや。洗えばいいやろ」

「洗うっち、どこで洗うん」

「そこの田んぼで洗えばいいやん」

「田んぼの水なんかで洗わんっ!」

 うんざりしながら、肩の泥を手で拭った。キャミソールを着ていたから、服は汚れていないものの、肌に直に泥が付いているのは気持ちが悪い。早く、どこかで落としてしまいたい。

「じゃあ、裏の沢にでも行ってこいや」

「いいっ!河津酒屋に行くっ!」

 怒りに任せてずんずんと坂を上り、先程訪ねたばかりの河津酒屋に向かった。文乃おばちゃんに一声かけて、庭先の蛇口を借りて洗おう。

「おばちゃあんっ」

 と、声を掛けながら急ぎ足で店の中へ入ると、レジの前に人がいた。

「おっ、真由美ちゃん。こんにちは」

 日に焼けた顔で笑いかけながら挨拶してきたのは、白い作業着姿で、ごわごわとした短髪を七三に分けた男の人——辰巳のお父さんの義巳よしみさんだった。

「あら、真由ちゃん。どげんしたと」

 義巳さんの向こうから、文乃おばちゃんが顔を出した。何やら、二人で話をしていた様子だった。

 呆気に取られていると、追いかけてきていたのか、辰巳が店の中へと入ってきた。

「あっ、おとう。何しよると」

「辰巳?お前、釣りしよるんやなかったんか?」

「いや、餌探しよったら、なんか変なんがおった」

「変なん?」

「うん。尾先にでっけえトラックが来ちょって、知らん人がいっぱいおった」

「ああ、それか」

 唐突に親子の会話が始まり、私は文乃おばちゃんに蛇口を借りたいと言いそびれてしまった。

「尾先に来ちょったのは、山賀やまがさんっち人たちて。今日の今日、引っ越してきたとこばい」

「引っ越し?あん人たち、朽無村に住むと?」

「おう、ちゃんと挨拶したか?おとうはこれから行くとこやったって。しちょらんなら、お前たちも一緒に来るか?」

 辰巳は、不意に私を見た。どうやら、私が行くと言ったら、ついて行くつもりらしい。

「……うん。けど、そん前に、文乃おばちゃん、庭の蛇口借りてもいい?」

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