四 ご先祖様

 家に帰り、宿題に少しだけ手を着けた後、私は和室の風当たりがいい窓辺に寝転がって、ポケモンをしていた。とりあえず、午前中は家の中で遊ぶことにしたのだ。

 もう何回もやっているゲームだが、データを消せば何度でも旅が楽しめる。その度に、新しいモンスターを仲間にして旅をすれば、そんなに飽きることはない。

「あら、ここんおったと」

 顔を上げると、祖母がハンディモップを手に、和室に入ってくるところだった。

「真由美、埃が舞うき、ちょいと、どいちょきなさい」

「はぁい」

 ゲーム画面から目を離さないまま、居間の方へと移動し、ソファに座った。相手のモンスターに対して効果が抜群な技を出すよう、自分のモンスターに命じる。

 画面が見安いように、明るい方へゲームボーイアドバンスを掲げた。技を受けた相手モンスターの体力ゲージが、みるみる減っていく。この勢いなら、余裕で倒せるだろう。

 と、その時、突然画面がフリーズし、中心からドットが溶けるように消失していった。カラフルな色合いだった画面が、無機質な薄緑色に染まっていく。

「あっ……」

 電池切れだ。

 裏の蓋をパコンと開き、中の単三電池を取り出した。この間切れた時に、一本だけ新しいものに取り換えたのだが、それも切れてしまったのだろう。

 仕方なく、電話機が置いてある戸棚に向かい、電池類を入れている引き出しを漁ったが、新品の単三電池は見当たらなかった。これではゲームができない。

「はあ……」

 切れてしまった電池を、いつものようにクッキーの缶の中に入れてから引き出しを閉め、ため息をついた。せっかくいいところだったのに。まあ、直前でセーブをしていたから、そこまで落胆することでもないのだが。それに、どうせ楽に勝てる相手だ。何度もやっているから、確信がある。

 昼から、河津酒屋に電池を買いに行こう。お母さんにお小遣いをせびれば……。

 ふと、私は妙案を思いついた。先程、出て行ったばかりの和室へ向かう。

「ねえ、おばあちゃん。掃除しよると?」

「そうばい。手伝ってくれるとかい?」

「うん。でも、その代わり、ちょっとでいいき、お小遣いちょうだい」

「まあ。ふふ、いいばい」

 祖母は、よく知恵が回る孫だ、といった風に笑うと、

「ほしたら、そこん台に上がってから、ご先祖様方の写真を外して回り。はたくだけにしようかっち思いよったけど、ちゃんと拭いてしまおうかねえ」

 と、居間の方へ消えていった。恐らく、ふきんを取りに行ったのだろう。

 私は言われた通りに、和室の隅に置いてあった踏み台を使って、長押の上に並んでいる遺影の額縁を外して回った。ひとつひとつ、掃き出し窓の近くの畳の上に置いていく。

 この人は、曽祖父ひいおじいさん。この人は、曽祖母ひいおばあさん。最後に、祖父おじいちゃんだ。全員、会ったこともないので、どんな人だったのかは知らない。

「あら、早いことしたねえ」

 和室に戻ってくるなり、祖母が言った。手には、ふきんと座敷ほうきを持っている。

「拭くき、貸して」

 私は祖母からふきんを受け取り、額縁の周りとガラス面を拭いていった。お小遣いを貰うのだから、少しは働かないといけないし、それをアピールしないといけない。どんな人だったかも分からないご先祖様たちの顔を、きゅっきゅっと丁寧に磨いていく。

「ふふ、ご先祖様たちも、真由美が綺麗にしてくれて喜びよろうねえ」

 祖母が掃き掃除をしながら微笑んだ。この様子なら、電池代くらいは貰えそうだ。

 私はもっと、いい子アピールをしようと、

「ねえ、おじいちゃんっち、どんな人やったと?」

 と、訊いてみた。

 祖父は、私が生まれる少し前に病気で亡くなったと聞いている。なんとなく、家族の間での会話や、村の人たちの話を聞く分には、仕事一筋の頑固な人だったらしいが、それ以外に詳しいことは知らないのだ。せいぜい、今磨いている遺影の中の顔の印象くらいしかない。坊主のごま塩頭で、眉毛が濃く、目つきが険しく、口は何かを含んだようにしてグッと結んでいる。全体的に深い皴が刻まれている仏頂面は、どことなくアメリカのカートゥーンキャラクターのポパイのようだ。

「そうやねえ。どんなっち言われると……」

 祖母は畳を掃いていた手を止めると、不意に遠い目をしながら窓の外を眺めた。

「いっつも田んぼにおって、お米のことばっかり考えよって、ほして……何をするにしてん、頑固で強引な人やったねえ……」

 なんとなく、今まで聞いていた印象の通りだった――と、その時、祖母はフッと我に返ったように表情を緩めると、

「ああ、そうそう。強情な割には、いっつも身体がどこかここか悪いでねえ。しょっちゅうお腹下したり、風邪ひいたりしよったき、ばあちゃんの作ったドクダミ茶やら、ナンテン薬のお世話になりよったよ、ふふ」

「そうなんだ」

 磨いていた写真の中の祖父を見つめる。いかにも頑丈そうな面構えだが、そんな一面があったとは知らなかった。

 祖母は若い頃、今でいう薬剤師のような仕事をしていたのだという。その心得があるせいか、野草を煎じて薬を作ったりするのが得意で、村の人たちからは、ちょっとしたお医者さんのような扱いをされている。私も腹痛を起こした時に、祖母の作ったドクダミ茶のお世話になったことがあるし、祖母が庭の馬酔木を煎じて作った虫除け薬は、プランターや草花に吹き付けておくと芋虫やナメクジがまったく寄り付かなくなるのだ。

 もしかしたら、体調を崩しがちだったという祖父は、祖母のそういうところに惹かれたのだろうか。二人の若い頃の事は知らないが、案外お似合いの夫婦だったのかもしれない。

「……優しかった?」

 ふと気が付くと、私はそう訊いていた。

 すると、祖母は私に向き直り、

「ふふ、もし生きちょったら、真由美のことはたまらんくらい可愛がったやろうねえ」

 と、目を細めて微笑んだ。

 つられて私も笑うと、残りの額縁を拭きにかかった。

 なぜ、急にそんなことを訊いてしまったのかは、分からなかった。でも、なんとなく、こう思いたかったのだと思う。

 きっと、私の祖父は、久巳さんのような人ではないはずだと。優しい人だったであろうと。

 良かった。祖母の言葉を信じるのならば、祖父は優しい人だったのだろう。仕事一筋で頑固な人だったのかもしれないが、根は温和な人だったのだろう。

 すべて拭き終えると、祖母は、

「ほしたら、また同じように掛けちょって。台から落ちんように、気を付けちょかなばい」

 と、埃まみれになったふきんを受け取り、和室から出て行った。

 私は言われた通りに、同じ位置にご先祖様の遺影を掛けて回った。

 それから、窓の拭き掃除と床の間の雑巾がけも手伝い、私はまんまと三百円のお小遣いを手に入れた。

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