四十五 懺悔
「白蛇の面なら、ここにある」
そう言いながら、一団の奥からザクザクと現れたのは――義則さんだった。白い法被を翻し、腰に巻いていた前掛けのような布袋を外して、手に掲げる。歪に膨らんだその中身が何なのかは、その場にいた全員が分かったようで、
「お、お前、なんでっ……」
父が驚き、雅二さんがヒッと避けるように後ずさった。
「さっき、お社で準備しよった時に、こっそり持ち出しちょったのよ。こげなもん、ぶっ壊してやろうと思うてな。サトマワリやら、もうせんでいいように」
「……な、何を」
白蛇の面と聞いてか、それとも弟が話し始めたからか、ぐったりしていた義巳さんが顔を上げた。
「義則、お前……」
「兄貴、もうよかろうが。田んぼをしよらん俺からしたら、兄貴たちがこげな得体の知れん化け物の為に、えげつねえことを平気でしよるのが不思議でしょうがねえ。何が、村ん為か。女を手籠めにしてまで、人を殺してまで、守るような村じゃあねかろうが。まあ……取り憑かれちょったとはいえ、あん人たちを殺してしもうたんは俺やが……」
村の人たちを代表するかのように私たちの前に立つ義則さんは、疲れたような顔で義巳さんを見下ろしていた。
「そもそも、親父が悪かったんや。親父のせいでみんな、こん村に縛り付けられちょったんや。何が何でも田んぼにしがみついて、村を盛り上げようとして、暮らしを良くしようとして……。何が当主の川津か、何が昔からの伝統か。そげなもん、今の時代、流行りゃあせん。まして、得体の知れん化け物の力を頼るとか、正気じゃねえ。兄貴は、いや―――」
義則さんは、不意に後ろへ振り返ると、
「兄貴だけじゃねえ。みんなみんな、俺からしたら取り憑かれちょるようにしか思えん。誰もかれも……きっと、親父もそうやったんやろう。シラカダ様に取り憑かれて、大事なもんを見失っちょったのよ。村の為、田んぼの為、自分たちの為とか言うて、結局はシラカダ様のいいように操られちょったんやないか」
思い当たる節でもあるのか、村の人——特に男の人——たちはみんな、後ろめたそうに顔を伏せ始めた。辰巳だけが、あの頃のような顔で私を見つめている。
「俺は、昔から爪弾き者にされちょったき、よう分かる。ずっとずっと、シラカダ様の御加護を受けちょらん出来損ないっち言われてきたが、やからこそ、六年前に取り憑かれたからこそ、分かるんや。何がシラカダ様か。こげなもん、神様でもなんでもねえ。こん村のもんを食い物にしてきた、得体の知れん悪霊よ」
義則さんは手に掲げている布袋を忌々し気に見遣った後、義巳さんの方へと向き直り、
「兄貴、やから、もうやめようや。辰巳たちにまで、背負わせることはねえ。俺たちん代で、終いにするのよ。今更、やってきたことの取り返しがつくかは分からんが……」
「義則……」
義巳さんは、消え入るような声で弟の名前を呼んだ。
こんな風に会話をしている義巳さんと義則さんを、今までに見たことがなかった。いつもギスギスといがみ合っていたが――その実、二人とも、こうして話をしたかったのではないだろうか。
と同時に、私は幼い頃のことを思い出していた。辰巳と二人でお社に入り込んだ時に、義則さんからトラウマになるほど怒鳴りつけられた記憶。
あれは、もしかすると、私の身を案じての行動だったのではないのだろうか。
きっと、あの頃から、義則さんはこの村に蔓延るシラカダ様の呪いに気が付いていたのだ。宵の儀によって――シラカダ様の呪いの下に生まれなかったからこそ。
だから、私を守る為に、トラウマになるほど叱りつけて、二度と近寄らないようにさせたのだ。シラカダ様が危険なものだと教え込む為に。嫌われ役になってでも。
普段、村の人たちに憎まれ口を叩いていたのも、そんな反骨心によるものだったのでは―――。
「……おう、あんた。すまんかったな。酷い目に遭わせてしもうて」
義則さんは、鳳崎を一瞥すると、
「あん時は揺らいどったが、もう決心がついた。取り憑かれちょったとはいえ、殺したんは俺や。そん後、どうにかしようとして、証拠隠滅を命じたんも俺や。やから、全部、俺一人がやったことにして、自首する。兄貴たちは悪うねえ」
「よ、義則、お前っ……」
「本当のことやろうが。俺が何もかんも指示して、あん人たちの存在を無かったことにした。やから、全部、俺がやったことでいい。それに、身内やから分かるが、警察は悪霊だのなんだの言うても通じんよ。まともに取り合っちゃあくれんはず。下手に言い訳せんと、結果だけを言うた方がいい。俺が殺して、村のもんに無理を言うて、証拠隠滅を手伝わせたっちな。俺が脅したっち言えば、白い目で見られるかもしれんが、兄貴たちの罪は軽くなるやろう」
義則さんは、覚悟を決めたような、しかし、どこか悲し気な顔で義巳さんを見下ろした後、また村の人たちの方へ振り返り、
「誰も、異論はねえやろ。俺一人が、罪を被る。やから、あんたたちはまた、六年前みてえに口裏を合わせりゃあいい。俺に脅されてやりましたっち言えばいいだけや。へへっ、せいせいするやろう。昔から嫌っとったもんが、とうとういなくなるんやからな」
と、自嘲気味に笑った。
「よ、義則のおっちゃん……」
みんながばつの悪そうな表情を浮かべる中、辰巳が声を上げる。
「辰巳、すまんかったな。まだ子供やのに、色々背負わせてしもうてから。今まで、ずっと辛かったやろう。お前は関わらんでいい。何も知りませんでしたっち言え。これは、俺たち大人の問題やからな。お前たちは、何も背負う必要はねえ」
そう言うと、義則さんは向き直り、私と優一くんを一瞥して、
「真由美ちゃんも、すまんかった。俺たち大人ん都合で、勝手なことをしようとして。……君も、すまんかった。あん夜、俺たちがもっと上手く親父を止められちょったら、こんなことにはならんやったかもしれん。今更、どげえもならんし、取り憑かれちょったとはいえ、こん手で親御さんと妹さんを殺した俺が、それを隠し通そうとした俺が何を言うても収まらんとは思うが、こん村を代表して謝る。本当にすまんかったっ……」
と、絞り出すように言い、深々と頭を下げた。
私はどうしていいか分からず、口を噤んでいたが、しばらくして、
「……顔を上げてください」
優一くんが、沈黙を破った。義則さんが、おずおずと顔を上げる。
「……正直言って、許せる気はしません。あの日、僕はすべてを奪われました。父さんも、母さんも、陽菜も……。今でも、あの日のことを夢に見ます。目の前で、次々に家族が殺されていく時のことを。悲鳴を上げて、逃げることしかできなかった時のことを。その度に、どうしようもなくなって……僕は……」
優一くんの声が、川津屋敷の敷地に静かに響いていた。いつの間にか、陽が高い山の影に沈もうとしていて、夕方の気配が色濃くなっていた。どこか遠くの方で、カナカナカナ……とヒグラシが弱々しく鳴いている。
「……でも、この村の人たちが、みんな悪かったわけじゃないってことが分かりました。だから……僕は……僕は……」
優一くんは、逡巡しているようだった。途切れ途切れに、言葉を詰まらせている。が、やがて、
「……許します。だから、罪を償ってください。僕の家族を殺した罪を」
静かに、だが、はっきりと、優一くんは自分の意思を示した。
「……申し訳ねえ」
義則さんが再度、頭を下げる。それに呼応するかのように、後ろで村の人たちが黙祷を捧げるかのように俯いていた。優一くんはそれを、無機質に見つめていた。
長い長い謝罪の後、ようやく頭を上げた義則さんは、
「……なあ、あんた。どこん何者かも知らんが、これを、シラカダ様をどうにかできるっち言うんか?さっき、そげな風なことを言いよったが」
と、白蛇の面が入っている布袋を掲げて鳳崎に訊いた。
「……ああ」
鳳崎は未だ、自分に暴力を振るった義則さんのことを許していないのか、声を尖らせていた。
「ほしたら、頼む。もう、終わりにしてくれ」
義則さんが、布袋の中に手を突っ込み、白蛇の面を取り出そうと―――、
「待て」
不意に、鳳崎が身じろいだ。と思ったら、
「真由美っ!優一っ!下がれっ!」
「え――」
瞬間、
——―パァンッ!
という、幼い頃に耳にした、爆竹を鳴らしたような渇いた轟音が、目の前で響き渡った。
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