四十六 真実の姿

「ぐあああっ!」

 獣のような声を上げながら、鳳崎がくずおれた。地面に膝をつき、左脚の太腿を両手で押さえつける。その掌が、赤黒い血にまみれ、ボタボタと垂れて、砂利を汚して―――、

「きゃああああっ!」

 一呼吸遅れて、村の人たちの方から黄色い悲鳴が上がった。誰だか分からないが、女の人が叫んでいる。それが、先程の渇いた轟音によってキィンと耳鳴りを生じさせている鼓膜に届いて、そこでようやく私は、

「きゃあああっ!」

 何が起こったのか理解し、共鳴するかのように悲鳴を上げた。

「静かにせんかっ!」

 それを遮るように、義則さんが吠えた。と同時に、右手を覆い隠していた布袋が、左手によって取り去られる。

 その手には――黒い拳銃が握られていた。銃口からは、白い煙がか細く漂っている。

「あ、ああ、ああっ……!」

 突然の、思いも寄らない脅威——凶器の登場に、言葉を失った。いつの間にか震えていた足が、ザリリと地面を鳴らし、勝手に後ずさっていた。

「誰も動くなっ!」

 再度、義則さんが吠えた。と同時に、銃口がぐるりとその場の全員を舐めるようにして向けられる。ただただ呆然とする人、ヒッと身をのけぞらせる人、頭を抱えるようにして両耳を押さえる人と、反応は様々だったが、命令された通りに、全員が身を固くしていた。

「よ、義則……お前、何を――」

 ヒリついた沈黙の中、縮こまっていた義巳さんがおどおどと声を上げた。が、

「黙っちょれ、こん馬鹿助がっ!」

 と、一喝される。

「まったく、兄貴もヤワな奴やな。こげなどこのもんとも知れんチンピラに自白させられるっちゃあ」

 さっきまでの重々しい口調とは打って変わって、義則さんは軽快に続ける。

「しっかし、名演やったやろう?カカカッ!すっかり騙されたやろうが。本当にすまんかったとか、ようアドリブでスラスラ出てきたもんよ。そげなこと、一ミリも思うちょらんが。ケヘヘッ!」

 まったく馬鹿馬鹿しい、といった風に、義則さんは布袋を握りしめた左拳で膝を叩いた。顔には、見たことがないほどの邪悪な笑みを浮かべている。

「な、な、なして銃やら……」

 後ろにいた父が、震え声で訊いた。すると、義則さんは、

「これか?」

 と、銃口を向けた。父が慌ててのけぞると、それを楽しむかのように、義巳さんは右へ左へ銃口を泳がせながら、

「さっき、尾先に行って取ってきたのよ。昔、お前の娘に小言を言うたせいで追いやられたあのボロ家になあ。しかし、まさか使う時が来るとは思わんやったぞ。大事にとっちょくもんやなあ!」

 そう言うと、義巳さんは馬鹿笑いをした。時折、ケアケアと喉を鳴らしながら。

「てめえっ……それ、警察の銃じゃねえだろ」

 その笑い声を切り裂くように、低く押し殺した声が隣で響いた。見遣ると、鳳崎が左脚の太腿を押さえつけながら、大鉈を杖のようにして必死に立ち上がろうとしていた。が、力が入らないのか、膝立ちのまま、身を震わせている。

「ほお、まだ喋る余裕があるんか。そういやあ、お前、何で分かった?俺が、これを隠し持っちょるっち」

 義則さんは、見せびらかすかのように拳銃を掲げて弄んだ。

「……面が入ってるだけにしちゃあ、包みがやけに重そうだったからだ。それでなくても、てめえの馬鹿面と白々しい演技を見てりゃ、腹の底で何を企んでるかなんざ、一発で分かるっ……」

 鳳崎は息荒く、義則さんを睨みつけながら答えた。

「へっ、そうかい。やが、間に合わんやったな。まんまと撃たれやがって。しかし、銃口が見えん状態で打つと狙いが定まらんもんやなあ。膝を撃ち抜くつもりやったが、当たったんは太腿で、それも見たところ、かすっただけか。まあ、どっちにしてん、無理せん方がいい。あんまり動くと、血がドバドバ出て死ぬぞ?」

 義則さんはニヤニヤと笑みを浮かべながら、勝ち誇ったように言い放つと、鳳崎に銃口を突き付けた。が、

「んなもん、どこで手に入れやがったっ……」

 鳳崎は怯む様子もなく、声を絞り出した。

「これか?へへっ、確かに、これは警察の支給品やねえ。あんなもん、パクった時点でクビやからなあ。そこまでして盗もうとは思わん。こいつは、事故対応の仕事で呼ばれた時に、事故っとった北九州のチンピラの車ん中で見つけた掘り出しもんよ」

 義則さんは、ククッと含み笑いを漏らし、

「そいつ、ヤク中で頭がクルクルパーになっとってな。どこで手に入れて、何に使う気やったか知らんが、こりゃ丁度いいと調べるふりをしてバレんように首尾よく手に入れたっちゅう寸法よ、カハハッ!俺もそこそこ治安の悪い場所で警察ん仕事をしよるせいで、それなりにあっち側のもんと人脈ができちょったきな。いつか、そいつらに対しての抑止力になるんやねえかと思うて大事にとっちょったが、まさかこげな時に役立つとはなあ!」

 鳳崎が、歯噛みするように呻いた。血が止まらないのか、黒いデニムに染みがじわじわと広がっている。

 私は呆然と、それを見ていることしかできなかった。鳳崎の向こうで、優一くんが同じように呆然と佇んでいる。まるで、時が止まっているかのように

「大体は、お前を脅す為に持ってきたのよ。夕の儀が終わったら、どこの何者で何を知っちょるんか、吐かせようと思うてな。どれだけ殴っても口を割らんやったが、さすがに、これにビビらん奴はおらん。やが、ククッ、まさか本当に撃つことになるとは思わんやったぞ」

「……んなもんにビビるか、クソが」

「へっ、威勢がいいやねえか、オイ!」

 突然、義則さんが私に向かって怒鳴り、ビクッと身が跳ねた。

「そいつが持っちょる鉈を取って、こっちん寄越せ」

 銃口を突き付けられ、ヒッと息を呑んだ。ビクビクと身じろぎしていると、

「早よせんかっ!こん腐れガキっ!」

 と、怒鳴られ、慌ててくずおれている鳳崎に駆け寄った。

「……チッ」

 鳳崎は観念したのか、私が手を伸ばす前に、自分で大鉈を義則さんの足元に放った。ぐらりと崩れそうになる身体を、代わりに肩で支える。鳳崎の身体は異様に熱く、激痛に喘いでいるのが伝わってきた。

「よ、義則……」

「ああ?」

 自分の名を呼んだ兄——義巳さんを、義則さんは忌々し気に見遣った。

「お、お前、自首するっち――」

「ハッハッハッ!兄貴、まさか、まだ信じちょるんか?そげな馬鹿らしいこと、するわけねえやろう!何の為に、こん奴を撃ったと思うちょる。今ここで、また証拠を隠滅すればいいことやろうが。六年前んように」

 銃口が、私、鳳崎、優一くんと、順に突き付けられた。

「ああ、そんガキは辰巳の嫁になる女やから、生かしちょってやらんとなあ。なあ、辰巳?」

 顔面蒼白になっていた辰巳が、ビクッと身体を震わせる。

「よ、よ、義則のおっちゃん……」

「ハハ、辰巳、何をビビりよるんか。安心せえ。お前には今夜、ちゃあんと女を経験させてやるき、心配するな」

 辰巳の顔は渇き切ったように蒼白のままだったが、義則さんの顔には反対に、湿度の高い邪悪な笑みがジトジトといやらしく浮いていた。

「オイ、それでいいやろ?こんチンピラと、そんガキを始末すりゃ、何も問題はねえやろうが。誰も、六年前のことやら、いちいち蒸し返さんよなあ?」

 義則さんは、村の人たちの方を窺った。みんな、ビクビクと身じろぎ、顔を見合わせている。お互いが、お互いの顔色を窺っている。

「どげえなんやっ!ああっ!?」

 誰も何も言い出さないのを見かねて、義則さんが忌々し気に怒鳴りつけた。すると、しばらくの沈黙の後、

「……義則、頼む」

 父が、信じられない言葉を発した。肩を落として、弱々しく、吐き落とすかのように、みんなを代表するかのように。

「義巳があげえなっちょる今、お前しか頼るもんはおらん。あん時んように、全部お前に任せる……」

「な……何を言いよるの?」

 気が付くと、強張っていた喉から声が出ていた。怒りと恐怖に震えている声が。

「お、お父さん。何を言いよるか、分かっちょうの?私がどうなるか、分かって言いよるの?この人たちがどうなるか、分かって言いよるの?」

 父を、真っ直ぐに見つめる。が、父は私の方を見ようともせず、伏し目がちに、

「……真由美、お前が受け入れりゃあ、全部丸く収まる。分かるやろ」

 受け入れる?

 何を?

 全部、丸く収まる?

 何が?

 意味が分からない。

 分かりたくない。

「真由美、頼む」

「真由ちゃん、お願い」

 え?

「真由ちゃん」

「真由ちゃん」

 村の人たちが、私を見つめている。

 懇願するかのように、私の名を呼んでいる。

 ……嫌だ、嫌だっ。

「真由美っ!しっかりしろっ!耳を貸すなっ!」

 耳元で、身体を支えている鳳崎の声がしたが―――、

「……お母さん」

 気が付くと、私は無意識に、母を呼んでいた。

 母は……母は?

 見遣ると、母は――私を見つめていた。

 その目には、涙が―――、


「いやっ!」


 母の悲鳴のような声が、場を切り裂くように響き渡った。

「真由美は、真由美はっ……私の真由美に、手を出さんでっ!」

 母が、泣きながら父に取り縋った。瞬間、私の心はズキンと疼いた。痛みではなく、感銘に。

 母は、私を。母は、こちら側に。私の、味方に。呪いの連鎖を、断ち切ろうと―――。

「早苗っ!なんをしよるかっ!」

「やめて!真由美はっ、真由美だけはっ!」

 母は父の袖を引きながら揉み合った後、組み伏せられて、ずるずると地面にくずおれた。が、尚も父の腰に取り縋り、泣きながら「真由美……真由美は……お願い……真由美だけは……」と、訴えていた。

「おい、どげえするんか?こんままやと、お前ん嫁も始末せんといかんようになるぞ」

 義則さんが、ヘラヘラと父を窺う。

「ま、待て、どうにか――」

「いやっ!そげなこと、させんっ!」

 諌めようとした父を、母が涙声で遮る。

「おうおう、躾ができちょらんな。兄貴んように、殴ってでも言うこと聞かせよらんのか?なあ、妙子姐さんよ」

 不意に呼ばれた妙子さんは、顔を氷のように強張らせた。

「まあ、うちん妙子姐さんは特別やからなあ。兄貴だけやねえ。親父からもよう殴られよった。へへっ、それだけやねえ。兄貴は知らんかもしれんが、妙子姐さんは――」

「うぶっ!」

 突然、妙子さんの口から何かが噴き出た。と思ったら、げえげえとほとんど胃液のようなゲロを吐き始めた。

「ハッ!思い出したんか?親父からヤられた時んことを」

 耳を塞ぎたくなるような下劣な声が響き渡る中、辰巳は強く目を瞑って下を向き、義巳さんは死人のように小さな背中を丸めて固まっていた。

「しかし、躾ちょるとはいえ、よう耐え切りよったよなあ。いい歳こいた親父の下ん世話までするっちゃあ、ようできた嫁さんもろうたなあ、兄貴?まあ、そういう俺も何回か具合を試したんやけどなあ、カカカッ!おっと、わりいわりい。辰巳が聴きよったな。やが、辰巳、俺はお母さんを褒めよるんやぞ?さすが、川津家に嫁いだ女は違うっちなあ!」

 と、その時、

「ぐ、ぶっ、くくっ、あははっ……」

 身をかがめていた妙子さんが、突然、身体をのけぞらせ、

「アハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 と、調子外れの声で笑い始めた。

 これは、あの六年前の夜に聴いたのと同じ――公民館で女の人たちに囲まれる中、畳に突っ伏していた妙子さんが上げた笑い声。

「アハハハハ!だって、だって、みんな、おかしいんだもん!この村の人間は!男だけじゃなくて、女もそう!同じ女なのに!同じ女の癖に!アハハ!アハハハ!だから、殴られて当然なんですぅ!学もないぃ!片親のぉ!売女の子はぁ!結婚してもらっただけ、ありがたいって思わなきゃいけないんだもん!言いつけたって、無駄なんだもん!アハハハ!当たり前のことだからとかぁ、昔からそうやってきたとかぁ、川津の嫁なら黙るべきとかぁ、そんなこと言って取り合ってくれなかったんだもん!だから、抱かせてやったんですぅ!黙って殴られてやったんですぅ!私はゴミ箱のサセ子になればいいんだもん!昔から、ずっと、ずっと、ずうっと、そうだもん!ゴミ箱!ゴミ箱のサセ子!アハ、アハハ、アハハハハハハッ!」

 妙子さんは、口からゲロの飛沫を吐き散らしながら、まくし立てた後、身体をかくかくと揺らして、壊れたおもちゃのように笑い続けた。

 六年前の恐怖が、再燃する。

 おかしくなってしまった大人を見てしまったという、恐怖が。

 あの時、きっと妙子さんは村の女の人たちに助けを求めて――その結果は、恐らく、言葉の通りに。そして、その末に心が壊れて、あんな風に。そして今、こんな風に。

「た、妙子ちゃんっ」

 幸枝さんが、妙子さんの肩を抱えようとした。が、妙子さんはひらりと身を躱し、

「あ!宵の儀で化け物の力を借りても子供ができなかった人だぁ!ねーねー、どっちに問題があるの?種無し?石女?ねー、どっち?アハハ!」

「な……なんを言うとっ!」

 幸枝さんが見たこともない顔つきになり、勢いよく妙子さんの頬を張った。

「私やないっ!絶対にこん人が悪い方なのっ!そん癖に、宵の儀やったら、シラカダ様の力を借りれば子供ができるかもしれんとか言うて、私を唆してっ!」

 いつも赤黒い雅二さんの顔が、青白く引きつる。

「結局できんで、損しかせんやったやないの!大勢に裸を見られて、神頼みしても無駄やったっち馬鹿にされただけでっ!」

「さ、幸枝、やめえ――」

「黙りないっ!種無し能無しのアル中がっ!」

 最悪の夫婦喧嘩が始まり、その間で妙子さんがゲラゲラと笑う。

「お前たち、落ち着かんかっ!今はそげなこと言よる場合じゃ――」

「う、うるせえぞ、ヒデ!真っ先に村ん決まりを破った癖に、偉そうに言うなっ!」

 雅二さんが吠え、秀雄さんが怯む。

「な、なんちや?」

「俺は知っちょるんぞ!お前が裏でコソコソ義巳を脅しよったことっ!お社で起きたことを警察にバラすとか何とか言うて、でけえ態度しよったことっ!やから、娘二人を早い内に村から出て行かせたんやろうが!スパルタ部活に専念させるとか言いよったが、本当は大学まで行かせて、出稼ぎ口にする為やったんやろうが!意地汚ねえ商売人が!お前は田んぼを守る気やらサラサラ無かったんやろうがっ!」

「何を言うかっ!まともな米も作りきらん癖に!」

「賞味期限切れのつまみ菓子やら酒やら平気で売りつけよる奴が、ガタガタ抜かすなっ!」

「あ、あれは文乃の言いつけで――」

「な、何を言うと!私はそげなこと言うちょらんよ!」

「言よったやねえか!アル中はどうせ味やら分からんき、いい在庫処分口になるっちな!カズに売りつけようっち言うたのも、お前が―――」

 また最悪の夫婦喧嘩が始まった。妙子さんは絶えず、ゲラゲラと笑い続けている。父は、取り縋る母を諌めるのに必死でいる。やや離れたところで、辰巳がその様を呆然と見つめている。その渇いた横顔には、絶望が滲んでいた。私もきっと、同じ表情を浮かべているに違いない。

 これが、こんなのが、こんなにも汚らしいものが、朽無村の――この村の大人たちの本性なのか。

 土蔵を出る前、優一くんは言っていた。

 もしかしたら、村の人たちはシラカダ様に操られているのかもしれないと。根っからの悪人など本当はいなくて、悪霊のせいで歪んでいるだけなのかもしれないと。

 だが、違っていた。

 これが、シラカダ様のせいだなんて思えない。

 きっと、鳳崎の言う〝隙〟が、この村には蔓延していたのだ。元々、汚らしい悪意にまみれていた醜い人々が、悪霊に魅入られ、つけ込まれたのだ。

 でなければ、母や祖母が、密かに良心を秘めていられたはずが、ギリギリのところで踏み留まれたはずが―――、


 ——―パァンッ!


 また、あの轟音が鼓膜を震わせた。義則さんが、天に向かって拳銃を掲げている。

「……うるせえ奴らやな。ちったあ静かにせんか」

 さっきまでの下劣で高らかな口調とは違い、険の籠った低い声色で、義則さんが言い放つと、全員が硬直し、静かになった。妙子さんだけが、ヒクヒクと腹を抱えて俯き、悶えている。笑いをこらえているのか、それとも泣いているのかは分からなかった。

「あんまりうるせえと―――」

 義則さんは不意に、左手に持っていた布袋を拳銃を握った右手に引っ掛けると、左手を中に突っ込み、

「全員、これで殺すぞ。人数分の弾は無いきな」

 中から取り出した物を、掲げた。

 それは、今度こそ――お社に飾られていたはずの、白蛇の面だった。

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