四十四 終局

 慌てて脚立によじ登り、格子窓から外を窺うと、

「あっ……」

 村の人たちがわらわらと川津屋敷の敷地内へ入って来ている最中だった。みんな、祭事衣装である白い法被と割烹着を身に着けている。

 よく見ると、外は既に日が傾きかけて、空気が白み、夕方の気配を漂わせ始めていた。

 まずい。どうやら話を聞き出している内に、随分と時間が経っていたらしい。もう、夕の儀が始まる時刻——六時が近いのだろう。

 何か、下準備をする為にここへ来たのか。それとも、音頭を取る義巳さんが定刻になっても現れないので、みんなで呼びに来たのか。どちらにせよ、この状況はまずい。

「ど、どうしよう。村の人たちがっ……」

 動揺しながら鳳崎の方を窺うと、

「……フン、ちょうどいい。奴らの目の前で、シラカダを祓い殺してやろうじゃねえか」

 と言い、呆然自失といった風に座り込んでいる義巳さんの方へ近付いた。

「オイ、立てよ。てめえ、仮にもこの村の当主なんだろうが。連中に、全部説明しろ。自分らが崇めてきたのは、神様なんかじゃなくてクソ悪霊でしたってな」

「親父……親父……」

「オイッ、立てコラッ」

 鳳崎は構うことなく義巳さんの首根っこを引っ掴むと、無理矢理立たせて入り口の方へ引きずっていった。

 私は慌てて脚立から降りると、

「ちょ、ちょっと待ってっ。何をするつもりなの?シラカダ様を祓い殺すって」

「そのままの意味だ。シラカダを、この世から消し去る」

「消し去るって、そんなことができるの?」

「大した悪霊じゃねえからな。手間はいるが、俺にできねえことじゃねえ」

「で、でも、言ってたじゃない。相手にできるって言っただけで、助けられるとは言ってないって」

「……何言ってんだ?お前。勘違いすんなよ」

 鳳崎はそう言って私を睨むと、土蔵の扉をギイッ、ガララッ!と、勢いよく開け放した。そのまま、義巳さんを連行するように外へ出て行ってしまう。

「ま、待ってっ」

 と、追いかけようとして、踏み留まる。

 鳳崎が具体的に何をするつもりなのかは分からないが、これから起こることが、私にとって生易しいものではないというのは分かっていた。

 外には、村の人たちがいる。シラカダ様を根源とする悪意に呑み込まれた朽無村の住人たちが。

 その中には当然、父と母もいる。

 ことのすべてを理解した今も、対面することが怖かった。

 自分たちの汚らしいエゴを押し付けて、私の人生を勝手に定めようとした両親に。

 私は―――。

「……真由美ちゃん」

 振り返ると、優一くんがいた。距離を置いていたが、私を真っ直ぐに見つめている。

「……こんなことになって、ごめん。辛い思いをさせて」

「な、何言ってるの。悪いことをしたのは、私たちの方なのに」

「……うん。でも、真由美ちゃんは違う。辰巳くんも、きっと違うんだ。もしかしたら、他の人たちも、シラカダ様に操られているだけなのかも。根っからの悪い人たちなんて本当はいなくて、全部、悪霊のせいなのかもしれない」

 優一くんの言葉が、優しく脳を揺らす。この期に及んで、そんなこと考えてはいけないと分かっていても。

 未だに、私のことを気遣ってくれているなんて。

 穢れている私に、そんな資格はないというのに。

「そんなの、分かんないよ……。それに、今更信じる気になれない。自分たちの為に、私の人生を平気で犠牲にしようとしてた人たちのことなんて」

 本来ならば、許すべきではないのだ。それに、私はまだしも、優一くんの人生は、家族は既に―――。

「……もう、みんな死んじゃえばいいのに」

 気が付くと、そう弱々しく漏らしていた。紅葉原で泣いていた時から、ずっと心の奥底に秘めていた感情。

 この村も、人も、モノも、穢れているものはすべて。それに属する私も―――、

「ダメだよ」

 優一くんの声が、私の暗い思いを制した。

「確かに、許されないことをしていたのは事実だけど……そんなの、ダメだよ」

 それ以上何も言わなかったが、優一くんが何を言いたいのかは十分に伝わっていた。

 優一くんの眼から、あの冥い意志が消え失せていたからだ。代わりに映っていたのは、私だった。憂いを帯びた瞳が、私を射抜いている。

「……うん」

 頷くしかなかった。

 優一くんが、死を否定している。生きようとしているのだ。

 だったら、私も死を否定しなければならない。生きようとしなければならない。

「罪を、償わせる。村の人たちに」

 心を奮い立たせて、決意を固めた。

 向き合うのだ。逃げずに、戦うのだ。この怒りも、悲しみも、恐怖も、何もかも受け入れた上で。

「……行こっか」

「……うん」

 私は入り口の方に向き直ると、足に力を込めて、土蔵の外へ踏み出した。




 外へ出ると、大鉈を担いだ鳳崎が、ギラギラと威圧感を放ちながら、村の人たちと相対していた。その前には、まるでこれから処刑される罪人のように、義巳さんが膝をついている。

 みんな、どういう状況なのか分からず、困惑しているようだった。表情を固めて、息を呑んでいる。が、私が鳳崎の左隣に立った途端に、どよめきが起こった。


 ——―なして

 ——―真由ちゃん

 ——―あん奴は

 ——―何が

 ——―どげえなって


 父は、眉をひそめて私を見つめていた。

 母は、叱られた子供のような顔で私を見つめていた。あれから家でずっと泣き腫らしていたのか、目が腫れぼったくなっている。が、村の人たちの反応から察するに、母は私が逃げ出したことを吹聴してはいないようだった。

 そんな中、

「真由美っ!」

 辰巳だけが、大きく声を上げて一団から飛び出し、こちらに来ようとした。瞬間、

「静かにしろ!」

 鳳崎がビリビリと一喝し、場が緊迫した。辰巳も怯み、足を止める。

「いいか。てめえらがこれまでやってきたことは、俺もこいつも全部分かってる。シラカダとかいうクソみてえな悪霊を信仰して、宵の犠とかいうクソみてえな夜這い同然の儀式を執り行ってきたことも。六年前、それが失敗したせいで、ひとつの家族をてめえらの都合で殺して存在を消し去ろうとしたことも。そして今夜、懲りずに同じ儀式をやろうとしてることもだ」

 鳳崎が大鉈を突き付けながら言い放つと、一気に村の人たちの顔が強張った。私と鳳崎を交互に見ながら、次々に狼狽え始める。これまで私にそのことをひた隠しにしてきた男の人たちも、教えた上で説き伏せようとしてきたはずの女の人たちも、白々しく。

「な、なんを言いよるか。一体、何のことを――」

「とぼけんでっ!」

 しどろもどろに喋り出した秀雄さんを、鋭く遮る。

「私、もう全部知っちょうとっ!全部全部、分かっちょうとっ!今更、知らんふりをせんでっ!」

 精一杯の怒りを吐き出して睨みつけると、面食らったのか、秀雄さんはモゴモゴと黙り込んだ。他の人たちも、私から視線を逸らす。父と母ですら。

「このオヤジから、全部聞き出してある。あの日の夜、あの社に誰がいて、どいつが何をしたかまでな。死体が今も焼却炉の中に埋もれてることも分かってる。逃れられると思うなよ。どれだけしらばっくれようが、てめえらが殺人と死体遺棄をした事実と、それを隠蔽した事実は揺るぎねえんだ」

 途端に、みんなが一斉に義巳さんの方を見た。裏切者、口を割ったのか、信じられないという感情が籠った目で。

「義巳っ、お前っ……」

 代表して父が呼びかけたが、義巳さんは力なく俯くばかりだった。それを見かねたのか、父は鳳崎の方を向くと、意を決したように、

「……やから、何っち言うんか。骨が出たくらいで、どげえなる。誰が何をやったかとかいう証拠は、どこにも残っちょらん。今更、どうにもなることでもねえ。お前んような怪しい奴が、何を言うたところで、信じるもんはおらんやろうがっ!」

 この期に及んで、まだ逃れようと―――、

「お父さんっ!」

「お前は黙っちょけっ!大体、何でこげな奴と一緒に――」

「黙らんっ!絶対にっ!」

 喉を振り絞り、怒りを真っ向からぶつける。

「お父さんも、山賀さんたちを殺すのに加担したやろ!その後、夜逃げに見せかける為の証拠隠滅までした癖にっ!それを見られんように、私に嘘ついてずっと家に閉じ込めた癖にっ!みんな、私に嘘ついて、みんな、みんなっ!」

 逃れようのない事実を突きつけられ、父は言葉を失っていた。その横で、母が手で顔を覆っている。

 心が痛んだが、怯んではいけない。私は、声を上げなければならないのだ。怒らなければならないのだ。

 悪意に呑み込まれないように。脈々と続く呪いの連鎖を止める為に。

「……骨以外にも、証拠はある。っつうより、証人がここにいる」

 加勢するかのように、鳳崎が父を睨む。

「義巳のことか?どげえやって無理矢理言わせたか知らんが、警察ん前で口裏を合わせればいいだけや。何も知らんっち言えば、それまでのことになる。不利なのは、お前ん方やぞ。余所者がいきなり来てから、わけの分からん言いがかりをつけてきたんやからな。そもそも、なんでそれを知っちょったか訊かれて、お前ん方が疑われるやろうて」

 父は私から視線を逸らした途端に饒舌になった。見苦しく、向き合おうとせず、未だにどうにかなるつもりでいる。

「違えよ。あの社で、てめえらがやったことを、目の前で見た証人がいるっつってんだ。それも、この村の人間じゃねえ証人がな」

 その言葉を契機に、土蔵から静々と優一くんが現れた。距離を保ちつつ、私の反対側——鳳崎の右隣に立つ。

「てめえら全員、都合よく忘れたかもしれねえが、こいつは、てめえらが殺した一家の生き残り。六年前の夜に起きた惨劇から、唯一逃げ延びたガキだ」

 鳳崎が突きつけるように言い放った瞬間、また、どよめきが起こった。私が現れた時よりも、ずっと緊迫した様子のどよめきが。

 きっと、思いも寄らなかったに違いない。各々が、口を押さえ、肩を強張らせ、目を見張っている。自分たちの忌まわしい過去——犯した罪を知る人間が、取り逃がした悪霊への供物が、幽鬼となって目の前に現れたことに、打ち震えている。

 そんな村の人たちを、優一くんは無表情で見つめていた。

「フン、やっと思い出したか?分かっただろ。てめえらはもう、逃れようがねえんだ。くだらねえクソ悪霊の為、自分たちの私腹を肥やす為に、ひとつの家族を殺した事実を認めろ、クソ野郎共が!」

 鳳崎が、ドスの効いた声で吠えた。瞬間、場が水を打ったように静かになる。

 もう誰も、反論しようなどという気は起きないようだった。場が完全に、鳳崎の放つ気迫によって制圧されている。

 ドクドクと脈打つ心臓の鼓動を感じながら、拳を握りしめた。私は、あの人たちとは違う。私は、こちら側に――正しい側にいるのだ。例え、この忌まわしい村で、悪霊の穢れの下に生まれていたとしても。

「オイ、真由美。社に行って、白蛇の面を持ってこい」

「えっ?」

 初めて鳳崎から〝お前〟ではなく、名前を呼ばれたことと、指示されたことの不可解さに驚いていると、

「こいつらの目の前で、シラカダを祓い殺す。気を付けろよ。持つ時は、そのタオルを使え。直接触れたりするな。なるべく見ないように、なんなら包んで持ってこい」

「わ、分かった」

 言われた通りに、首に掛けていたタオルを携えて、シラカダ様のお社へ向かおうとした時、

「そん必要はねえ」

 一団の後ろの方で、低い声が上がった。

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