四十八 顕現

 数瞬の沈黙の後、

「うっ……」

 辰巳が、よろよろと後ずさりをするようによろめいたかと思うと、私たちの目の前、義巳さんの横に、ズジャッと尻もちをついた。そのまま、ぐらりと後ろに倒れ込む。

「……え?」

 仰向けの辰巳の、祭事衣装である白い法被の胸の部分に、赤い染みが浮いていた。それが、ほつれのような小さな穴を中心として、みるみるうちに広がっていく。

「た、辰巳っ!」

「いやああああっ!」

 義巳さんが叫ぶのと、私が悲鳴を上げるのは、ほぼ同時だった。それを契機として、村の人たちの方からも悲鳴が上がった。

 鳳崎に肩を貸しているのも忘れて、慌てて駆け寄り、

「辰巳っ!辰巳っ!」

 パニックになりながら、必死に辰巳の胸を押さえつけた。が、血は止まることなく、白い法被をじわじわと真っ赤に染めていく。

「辰巳、辰巳……!」

 義則さんも、反対側について辰巳に取り縋り、必死に名前を呼んでいた。が、辰巳は口からひゅうひゅうと空気を漏らすだけで、返事をしなかった。目の焦点が合っておらず、息が段々と荒く、浅くなっていく。

「オイッ!しっかりしろっ!こっちを見ろ!」

 いつの間にか、鳳崎が横から辰巳の顔を覗き込み、頬を叩きながら呼びかけていた。すると、不意に辰巳の目の焦点が合い、虚空を泳いだ後――私を見た。

「ま、真由美っ……俺っ……お、俺っ……」

 と、苦し気に漏らしながら、胸を押さえつけていた私の手を握る。

「一緒に、む、村から、逃げようっち思って……や、やから原チャリをっ……」

「辰巳っ、苦しいなら喋らんでっ!」

「ふ、二人乗りっ……ごめん……ごめん……」

 辰巳は、あの頃のような泣き顔で謝り続けた。が、次第に、私の手を握る力が弱くなっていき――頭が、ごとんと地面についた。

「……辰巳?辰巳?」

 必死に呼びかけたが、辰巳は答えなかった。私よりはるかに大きく、強い力を持っているはずの手も、一向に握り返してこない。

「……いやっ……辰巳っ!辰巳っ!いやあっ!」

 何が起きたのか、理解したくなくて、認めたくなくて、肩を揺すったが、辰巳の身体は、まだ温かいのに、なぜか、大事なものが抜けていったと、失われていると分かって―――。

「いやあああああっ!」

 死んだ。辰巳が、死んでしまった。嫌だ、辰巳が、嘘だ、嫌だっ。

「てめえっ……!」

 鳳崎が、震えながら立ち上がった。激痛を堪えている風ではなく、怒りに震えているようだった。

 そのギラついた視線の先には――小刻みに震えながら、拳銃を構えたまま呆然と立ち尽くす、義則さんの姿。

「なんで撃ちやがったっ!クソ野郎がっ!」

 鳳崎が吠える。が、義則さんは、押し黙ったままだった。動かなくなった辰巳を、虚ろな目で見下ろしながら、口元でブツブツと何事かを呟いている。

「辰巳……辰巳っ……」

 義巳さんは、辰巳の肩を抱えて静かに泣いていた。

「辰巳?ねえ、辰巳?寝ちょるんでしょう?ダメばい、こげなところで」

 義則さんの後ろで、つい先程まで取り乱していたはずの妙子さんが、なぜか不気味なほど穏やかな表情を浮かべて辰巳に呼びかけていた。

「辰巳……ううっ……辰巳っ……」

「ほら、起きなさい。もう、しょうがない子やねえ。コタツやないんやから。そんなところで寝たら風邪ひくき、起きなさい。ね、辰巳、辰巳、辰巳、辰巳——」

「うるせえええええっ!」

 突如として、義則さんが絶叫した。と同時に、場がヒリヒリと静まり返る。

「うるせえうるせえうるせえうるせえええっ!お前たちが悪いんやろうがっ!俺に歯向かうきっ、こげなことになったんやろうがあっ!」

 ぐるぐると銃口を誰もかれもに突き付けながら、義則さんが唾を飛ばして狼狽え始めた。

「俺やねえっ、お前らが、お前らがっ……勝手に動くなあっ!」

 私たちを庇うように、足を引きずりながら前に立った鳳崎を、義則さんの銃口が捉える。唯一心を許していた辰巳を手にかけてしまったことにより、心が壊れかけているようだった。その後ろで、村の人たちが呆然と立ち尽くしている。

 その場にいた誰もが、選択肢を奪われていた。

 私たちも。

 村の人たちも。

 その間で、凶器を手に立ち回る義則さんですら。

「……クククッ、カカカカカッ」

 不意に、義則さんは不敵に笑うと、

「もう、知ったこっちゃあるか」

 白蛇の面を胸の前に掲げ、覗き込むように見つめた。

「オイッ、よせっ!これ以上——」

「喋るなっち言うたやろうがああっ!」

 義則さんが、口の端で泡を吹きながら、鳳崎に喚いた。

「もう、どげえでもなりゃあいいっ!どいつもこいつも、死にゃあいいじゃねえかっ!」

 そう叫ぶと、義則さんは不意に天を仰いだ。

 そして、白蛇の面を、乗せるようにして、顔に―――。

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