三十四 集結

「お前っ……」

 顔色を変える鳳崎を尻目に、優一くんはギイイ……と、重たい引き戸を閉めた。ゆっくりと向き直ると、鳳崎の方へと歩み寄っていく。

 私はきちんと距離を取っていたが、優一くんも鳳崎の傍までは近付こうとしなかった。やはり三メートルほど手前で足を止め、じっと無表情で縛り付けられている鳳崎を見下ろす。

 途端に、二人とも黙り込んだので、どうなるのだろうと固唾を呑んでいると、

「……このクソガキ」

 鳳崎が、沈黙を破った。

「自分が何やったか、分かってんだろうな?」

「……ごめんなさい」

「謝って済むか、ボケ。俺たち文蘭寺派ぶんらんじはにとっちゃ、一大事だぞ。とんでもねえことしでかしやがって……。あのハゲも珍しく慌ててやがった。終いには自分で迎えに行くとか言い出しやがったが、あんな身体で来れるわけもねえし、どうにか黙らせて俺が代わりに来たんだ。……まあ、俺しかいなかったんだろうがな。もしもの時に、アレを相手にできる奴なんて」

「やっぱり、そうだったんだ……。宇多川うたがわ先生、怒ってた?」

「キレてた方がまだ良かった。いい歳こいたおっさんがめそめそ泣くとこなんざ、見れたもんじゃねえよ」

 優一くんが俯く。相変わらず無表情だったが、その物憂げな目はどこか、後悔の念や罪悪感を抱いているように見えた。

「んなこたあいい。それよりお前、ブツはどこにある。そのリュックの中か?」

「……うん」

「見せろ」

 鳳崎に言われるがまま、優一くんはリュックを下ろすと、中から布の包みのような物を取り出して地面に置いた。よく見ると、それはタオル地で、抱えて持つほどの円柱状の物体を、バスタオルで包んでいるようだった。

「んなもんで……適当な持ち運び方しやがって……」

 ブツブツと垂れる鳳崎を尻目に、優一くんはバスタオルの包みを解き始めた。すると、中から現れたのは、随分と奇怪な代物だった。

 想像していた通り、それは抱えて持つほどの大きさの円柱状の物体だったが、その表面には、まるで包帯のようにぐるぐると白い布が巻かれていた。そして、その布には、びっしりと判読不能の奇怪な文字が書き連ねられていた。

 どこかで見たような――あっ。

 そうだ、あの文字は、鳳崎が身体に入れていた謎の刺青と同じものだ。かなり崩して書いた漢字のような、奇怪な文字——梵字。

 だが、それが白い布に書き連ねられているとなると、印象はまったく違うものになった。

 まるで、長い長い御札で、円柱状の物を封印しているかのような――と、その時、触れてもいないのに、その白い布がはらりと緩み、中身が露わになった。

 枯れ色の、艶やかな表面。あれは……大ぶりな、竹筒?

「お前っ……」

 不意に、鳳崎が緊迫した声を上げた。

「まさか、開けたのか?」

「……うん」

 途端に、鳳崎の顔からサアッと血の気が引いた。かと思うと、瞬時に鬼のような形相になり、

「なんてことしやがった!このバカ野郎がっ!」

「ちょ、ちょっと!」

 慌てて制した。それほど、鳳崎が発した怒号は大きかった。土蔵の外にも響き渡ってしまったのではないかと思うほど。

 だが、尚も鳳崎は、

「この……この……クソガキがっ……なんてことしやがったっ……クソッ……クソッ……!」

 と、怒りを露わにしていた。身を震わせ、胡坐を掻いていた足をガツガツと地面に打ちつけている。恐らく、地団太を踏んでいるつもりなのだろう。

 そんな鳳崎を、優一くんは無機質に見つめていた。

「ね、ねえ。よく分かんないんだけど――」

「お前は黙ってろ!」

 一喝されて、すごすごと黙り込んだ。

 一体、どういう状況なのだ。聞き慣れない言葉や人名、奇怪な物のせいで、さっぱり話が見えない。が、鳳崎の様子からして、何か不穏なことが起こっているということは、理解できる。

「……ごめんなさい、鳳崎さん」

 優一くんが、また謝罪の言葉を口にした。すると、鳳崎は獣のように息を荒げながら、だが、どこか恐る恐るといった風に、

「お前っ……そうか。だから、そんなツラしてやがんのか」

「……うん」

「いつだ。いつ、どこで開けた?」

「……昨日の朝、この村で」

「フン、どこに隠れてたか知らねえが、耐えるのに一日かかったのか?」

「うん。痛くて、ずっと動けなかったよ。半分くらい、気絶してたと思う」

「今は?」

「……大丈夫。人がすぐ傍まで近寄って来なければ、出てこない。僕の意思で抑えつけられてるのかは、分からないけど」

「……クソッ」

 鳳崎が舌打ち混じりに吐き捨て、ようやく私はそこで、

「……何が起きてるの?」

 と、震えながら訊いた。二人共に訊いたつもりだったが、

「お前、さっきこいつに会ったのか?会ってから、ずっとこんな感じだろ。怒りも、笑いも、泣きもしねえ」

 答えたのは、鳳崎の方だった。優一くんは、無表情で俯いている。

「う、うん」

「無理もねえ。魅入られてるどころじゃなくて、取り憑かれてんだからな。感情なんか、表に出せるはずがねえ」

「そ、それって――」

「言っただろうが。とんでもなくヤバいモノだ。その中に封じ込めてたが……クソッ……もう、手遅れかもしれねえ」

 …………手遅れ?

「そ、そんなっ……。あ、あなた、どうにかできるんでしょう?さっき、自分にしかできないから、迎えに来たってっ……」

「……俺は、相手にできるって言っただけだ。助けられるとは言ってねえ」

 そんな―――。

 優一くんが、手遅れ?もう助けられない?

 それはつまり……嫌だ。

 そんなのは、嫌だ。なんで、どうして。せっかくまた会えたのに。六年前、山賀家を襲った魔の手から、ただ一人逃れられたのに、生き残ったのに。

 シラカダ様は、優一くんまで取り殺すというのか―――。

「なっ……何なの?」

 沸々と、怒りが込み上げていた。

「今更手遅れって、何なの?あんな偉そうなこと言っておいて、どうにもできないって何なのっ……!」

 どうにかできると言っていたから、信じていたのに―――、

「優一くんを助けられないって、どういうことなのっ!」

 気が付くと、私は涙声で鳳崎に怒鳴りつけていた。外にまで響いたかもしれなかったが、それどころではなかった。

 優一くんを救うはずが、もうどうにもならないなんて―――。

 当の鳳崎は、弁解の余地もないのか、ずっと下を向いていた。荒れた長い髪の毛を顔の前に弱々しく垂らして、黙り込んでいる。

「……真由美ちゃん」

 不意に、優一くんが口を開く。

「鳳崎さんは悪くないよ。これは、僕が自分で選んだことだから」

「で、でもっ……」

「全部、覚悟の上なんだ。だから、ここまで来たんだよ。……終わらせなきゃいけないと思って」

 その、分かるようで分からない言葉と、眼差しに、私は何も言えなくなってしまった。

 優一くんの、恐ろしいほどに澄み切った黒い眼に映っていたのは、私ではなかった。もっと別の、儚く、冷たく、妖しい危うさを感じさせる、くらい意志だった。

 ―――終わらせる。

 何を?

 分からない。

 分かりたくない。

 だけど、薄々分かっている。

 きっと、あの竹筒に、さながら霊虫のように封印されていたのは、優一くんに取り憑いていたシラカダ様で。

 恐らく、それは六年前、鳳崎のような人間の手によって行われて。

 この六年間は、何事もなく無事に過ごせていて。

 けれど、それは見せかけだけで。

 シラカダ様の穢れは、完全に祓えていなくて。

 優一くんは、引き寄せられるようにこの朽無村へ戻ってきた。

 封印されていた、シラカダ様と共に。

 優一くんが終わらせようとしているもの。

 それは、きっと。

 自分を蝕む、シラカダ様という名の呪い。

 そして、その結末は……。

「そんなの、いやっ……優一くんまでっ……」

 嫌というほど流れた涙が、また溢れそうになっていた。そんな私を、優一くんは変わらない眼差しで見つめながら、

「……いいんだ。僕は、もう。だから、鳳崎さんを責めないで。勝手なことをしたのは、僕の方なんだ。僕が色んな人を巻き込んで、大変な迷惑をかけちゃったから。それに……これから、きっと真由美ちゃんにも迷惑をかけることになる。僕の中にいる――」

「言うなっ!」

 突如として、鳳崎が優一くんを遮った。

「……分かってるよ。言ったら、どうなるのかは」

「いいか、絶対に口走るなよ。忌み名の方も、あだ名の方もだ」

「あだ名も?」

「ああ、念の為にだ。お前の口からは、絶対に言うな」

「……分かった」

 忌み名?あだ名?

 また、私には分からない会話が行われ、ひとり、疎外感を感じた。私も、十二分に一連の事態に関わっているというのに。

 肩に力が入る話ばかり聞いていたせいで限界が来たのか、それとも変に状況に慣れてしまったのか、急に涙が引っ込み、頭の中がスッと澄み切った――というより、開き直ったような気分になった。短く息をつくと、

「ねえ、いい加減にしてよっ。さっきから、二人にしか分かんないことばっかり。私は関係ないっていうの?」

「そういうわけじゃないけど……」

「ろくでもねえ目に遭いたくなかったら、口出しすんじゃねえ」

「もう遭ってるし」

「……ごめん」

「……フン」

 話している内に、私たちの間にほんの少しだけ余裕が生まれていくのが分かった。

 もう、ここまで来たら、いちいち泣き言を垂れても仕方がないのだろう。

 それぞれが、散々な目に遭った。それを呑み込んで、今この場に集まっているのだ。めそめそと泣いている場合ではない。

 ともかく、事態を進展させなければ。

「本当にごめん、真由美ちゃん。でも、これ以上巻き込むわけにはいかないんだ。これに関してだけは――」

「もういいよ。関わるなって言うなら、あれこれ訊かないから」

 本当は何もかもを訊きたかったが、諦めることにした。いちいち気にしていたら、キリがない。

 気を取り直して、

「それより、優一くん。この男に会ってどうするつもりなの?」

 鳳崎が、露骨に顔をしかめて私を睨んだ。

「えっと、その……特に理由は無かったんだけど、縛られてるっていうから、助けようと思って」

「理由がねえってなんだ、コラ。っつうか、お前ら、さっさと解け」

「あ、真由美ちゃん。お願いできる?僕……」

「ええ……」

 私は露骨に嫌そうな顔を仕返してやりながら、鳳崎の下へ向かった。柱の後ろ側に藁縄の結び目を見つけたが、固くて解けそうになかったので、その辺にあった草刈鎌を手に取る。

 藁縄に刃を当てて引き切る前に、

「優一くんに、手を出さないでよね」

 と、釘を刺した。さっきの暴れ様からして、自由にした瞬間に殴り掛かりそうだったからだ。

 が、鳳崎は存外に大人しく、

「出せるか、ボケ。あいつには今——」

「……何?」

「……なんでもねえ。さっさと切れ」

 その時、私は鳳崎の猛禽類のような鋭い眼光を湛えた目に、ほんの一瞬だけ、怯えの色が映ったような気がした。

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