三十五 終結へ

 切れ味の悪い草刈鎌をノコギリのように使い、どうにか藁縄を切って自由の身にしてやると、鳳崎は礼のひとつも言わずに「フン……」と鼻を鳴らして手首をさすった後、地面に散らばっていた荷物を片付け始めた。

 なぜか真っ先に手を伸ばしたのは黒いヘッドホンで、繋がったままのウォークマンを使って壊れていないか、やけに慌ただしく確認していた。それほど粗雑に扱われでもしたのだろうか。

 どうやら無事だったようで一安心したのか、それを丁重にトートバッグにしまうと、今度はやけに淡々とした様子で他の物も一緒に詰め込み始めた。が、あの濃青の香水の瓶を手に取った時、不意にこちらに振り返ると、私を睨んだ。

「……何?」

 返事をしないまま、鳳崎は衣類が入っているらしきビニール袋から新品のタオルを取り出すと、広げてシュッシュッとまんべんなく、それでいて過剰なほどに香水を振りかけ、私に差し出してきた。

「これを首に掛けとけ」

 おずおずと受け取り、言われた通りに首に掛けると、表面が湿るほど吹き付けられていたせいか、刺々しいミントの香りでむせ返りそうになった。思わず、スルッと首から外すと、

「我慢しろ。首に掛けたままにしとけ」

 と、注意された。

「どうして?」

「いいから、言われた通りにしろ」

 仕方なく、タオルを首に掛け直す。息をする度に、キンキンに冷えたハッカを鼻から突っ込まれたような感覚が襲い、肺の奥がピリピリとした。目の表面にまで、行き過ぎた清涼感がしみてくる。

 どうにか慣れようと、目を瞬かせながら我慢していると、片付けを終えたのか、鳳崎がトートバッグを手に立ち上がった。いつの間にか、身だしなみを整えたようで、顔の血は拭われ――それでも痣の痕は痛々しかったが——荒れていた長髪は、またぴっちりとジェルで撫でつけられている。

「ねえ、携帯は持ってないの?」

「あのクソゴリラに盗られた」

 クソゴリラというのは、きっと義則さんのことだろう。となると……。

「とりあえず、警察に連絡しないと。誰もいないなら、ここの母屋の電話を使って――」

「待て。その前に」

 鳳崎は、大きな竹筒を包み直してリュックにしまっていた優一くんの方を睨むと、

「……優一、お前がやろうとしてることは、なんとなく分かってる。六年前、お前の身に起きたことを考えりゃあな。無理もねえだろう。だが……だとしても、お前を止めるのが俺の仕事だ」

 優一くんはリュックを地面に置いたまま立ち上がると、鳳崎に向き直り、

「……鳳崎さん。でも――」

「その結果、どういうことになるのかは分かってるはずだ。だからこそ、躊躇ってるんじゃねえのか。やろうと思えば、いつでもできたはずだ。この村に着いた時点でな。なのに、お前はやらなかった。そのわけは、こいつを見かけたからか?」

 鳳崎が、私の方を顎でしゃくった。

「えっ?」

 そういえば、私は一昨日、尾先の集落で優一くんっぽい人影を見ていた。見間違いかと思っていたが、時系列を考えれば、既にその時、優一くんは村にいたことになる。そして、遠巻きにだが、私を目撃したことになる。

 その時に……躊躇った?

 おずおずと優一くんの方を窺うと、むっつりと伏し目がちに俯いていた。否定も肯定もせずに。

 途端に、胸の奥が疼き始める。

 私を見かけて、何を思ったのだろう。

「……フン、まあいい。ともかく、早まるんじゃねえぞ。お前はまだ、引き返せる段階にいるかもしれねえんだ」

「えっ?」

 思わず、声が出た。優一くんも、

「……もう、手遅れなんじゃなかったの?」

 と、顔を上げる。

「確かにアレを完璧に祓うことはできねえが、宇田川のハゲが総本山の連中に頼み込めば、やるだけのことはやってやれるかもしれねえ。癪な話だがな。それに――」

 鳳崎は首をパキッと鳴らし、

「俺がハゲから受けた依頼は、お前を無事に連れ戻すことだ。だから、馬鹿な真似を……俺の顔を潰すような真似をすんじゃねえぞ」

 脅す、というよりは、諭すように言った。が、優一くんは、伏し目がちに口を結んだまま、返事をしなかった。

「大体、なんで今まで黙ってたんだ。自分の身に起きたことを。言ってりゃあ、こんなことにはならなかっただろうが。俺たちに任せても、どうにもならねえことだと思ったのか?それとも、周りに迷惑をかけるわけにはいかないからとか、そんな理由か?」

 それを見かねてか、鳳崎が続ける。が、やはり優一くんは黙り込んだままだった。

「言いたくねえってか。フン、そうか、そうだな。お前はそういう奴だったな。ガキの癖に、いつも一人で抱え込んで、自分だけでどうにか解決しようとしやがる馬鹿野郎だ。だが、今回ばかりは度が過ぎてるぞ。その身に抱えてるモノのヤバさも知らねえで」

 鳳崎が、声を尖らせる。すると、優一くんはようやく、

「……ごめんなさい」

 とだけ、絞り出すように言った。

「フン、ちったあ分かったか?ヤバいモノに芯まで取り憑かれてるっつうことの辛さが」

「……うん。こんなに苦しいとは思わなかった。やっぱり、鳳崎さんって凄いんだね」

「今更気付くんじゃねえよ、タコ」

 鳳崎が毒づくと、途端に場がシンとしたので、その隙をつき、

「ねえ、深入りするなって言うのならもうあれこれ訊かないけど、結論だけ教えて。もしかして、優一くんを救えるかもしれないの?」

 先程から、ずっと気になっていたこと――鳳崎さんって凄いんだね、という言葉の意味も気になるが——を訊いた。すると、鳳崎がぶっきらぼうに、

「ああ。だが、勘違いするな。救えるかどうかは分からねえが、焼け石にかける水を増やすくらいのことはしてやる」

「……っ!」

 パッと心の内が明るくなった。

 どういう状況なのかも定かではないが、例え僅かでも優一くんが助かる可能性があるのなら、今はそれだけで十分だ。今は、その希望だけで。

「さて……」

 鳳崎は砂埃にまみれた服をパンパンとはたくと、あの香水を首元と服に入念に吹き付けた。まるで、武装するかのように刺々しいミントの香りを纏い直すと、香水の瓶をポケットにねじ込み、グイッとオールバックの髪を両手で撫でつけ、

「警察沙汰にする前に、色々とコトをはっきりさせようじゃねえか。その為にまず、今現在分かってることを共有するぞ。それと、後は……足りねえ役者を揃えるとするか―――」

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