32.不思議な魅力のある方だわ

 温室は手入れが行き届いた空間だった。家と呼んでも差し支えない広さで、天井も高い。鳥籠をイメージした形らしく、出入り口のデザインも洒落ていた。


「見事だわ」


「お褒めに預かり光栄です。庭師にも伝えます、喜ぶでしょう」


 案内してくれた執事の言葉に頷き、用意されたソファに腰掛けた。急遽運んだのではなく、普段からソファが常設してあるみたい。ステンドグラスのように花の模様が美しいテーブルには、お茶の準備が整えられた。


 気品あるティーカップやソーサー、ケーキスタンド、色とりどりのお菓子やケーキ……凄い。こんなの見たことないわ。過去に数回、お茶会に参加している。だから豪華な食器や繊細なお菓子の意味は分かった。財力や権力の裏打ちなの。これだけのものを揃えて、提供するだけの力がある家と示すためだわ。


「奥様、見てください。このお砂糖、とても細かくて可愛いです」


 そっと耳打ちしたアンネの言葉に、ミルクや檸檬と一緒に用意された薔薇のお砂糖に気付いた。砂糖菓子のように色がついた小粒の薔薇が並んでいる。角砂糖ではないのね。こういった些細な部分で、家の格や財力が見えてしまう。


 このような部分まで気を使うことが出来る使用人を確保することはもちろん、用意して並べ、日常使いする財力はリヒテンシュタイン公爵家より上だった。比べるのも烏滸がましいレベルよ。もっとも女主人だった私が知らないだけの可能性もあるけど……侍女のアンネが驚いたのだから、こんな気遣いをする余裕はなかったのね。


「お待たせしてしまいましたか」


 早足で青紫の薔薇の脇を抜ける人影に、微笑んで首を横に振る。


「いいえ。急にお呼びだてして申し訳ありません。来てくださいましたのね」


「あなたからのお誘いなら、いつでも喜んで」


 満点の対応だわ。家主ならホストだけど、今回は私が招いた形だった。だから彼は少し遅れてくるのが正解。用意された茶器などを褒めるのは、席についてから。私に関しても同じ。席について親しく話し始めるまで、一般的な挨拶に止めるべき。私が習った通りだわ。


 アウエンミュラー侯爵令嬢として、最低限の教育は受けた。お母様のお陰よ。今の私を形作った知識や経験のほとんどは、お母様が与えてくださった。


「そのワンピースに袖を通していただけたのですね。用意させた甲斐がありました」


「ありがとうございます。日用品から服も、すべて……ご厚意にいくら感謝しても足りません」


 まだふらつくから、カーテシーや立っての挨拶は遠慮させていただいた。気を遣わせるし、私もみっともないわ。心地よい温度と湿度の温室に響くのは、私達の会話と葉ずれや小鳥の声だけ。


「奥様」


 声をかけたアンネに、ヴィクトール様は目を見開き……ふわりと笑った。顔の半分を隠しているのが勿体無いわね。笑うと子どものような雰囲気になる。目を引く美形ではないけど、不思議と魅力的だわ。


「もう奥様ではないよ、アンネ。お嬢様だ」


 指摘されて、アンネはぱっと口元を手で覆った。間違えたと表情が強張り、その後で静かに頭を下げる。


「失礼いたしました。ローザリンデお嬢様、アルブレヒツベルガー大公閣下」


 両方へ謝罪したアンネに対し、ヴィクトール様は肩をすくめて執事を手招きした。離れた位置に控えていた彼は、心得たように書類を取り出す。


「アンネ、君の所属はもうアルブレヒツベルガーに移った。今日からこの家で、アウエンミュラー侯爵令嬢に仕えてくれ」


 異動を証明する書類を受け取り、しっかり細部まで確認した後でアンネは一礼した。執事が見守る中、彼女は署名を行う。これでアンネが、リヒテンシュタイン公爵家に戻される心配が消えた。


「感謝いたしますわ」


「この程度、いくらでもお力になります」


 袖のカフスボタンを弄りながら答えるヴィクトール様、もしかして着替えていらしたの? 先ほどまでとシャツが違う気がします。ぎこちなく微笑んだ私の前にあるカップへ、執事ではなく彼が紅茶を注いだ。

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